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今更ながら年末の話

12月某日
「年末帰る実家もない人&東京から人が消えて暇な人のための生バンドカラオケで垢落とし忘年歌い納め大会」を開催する。

この会はもともと2年前に、なぜか知り合ったばかりの朽木誠一郎さんと「バンカラに行きましょう」となり、6人くらいの知り合い(と言っても初めて会った人が大半)と行ったのが始まり。その時は貸切じゃなかったので知らないおじさんの歌を聴かなければならず、どうせなら貸切にしようと思い人を呼びまくった結果26人も来てくれた。
私はこういう大人数の会になると、とかく必死で盛り上げようとしてしまいがちで(一人でもつまんなそうにしている人がいることに耐えられないから)朽木さんに何度も「大丈夫?サガってない?サガってない?」とメッセで確認するも、朽木さんはさすが、「大丈夫、みんなもう大人なんだからそれは各人の責任だから」と落ち着きはらった回答。
ケーキを買うために新宿の街を全力疾走し、幹事のくせに遅刻したが、到着したら心優しい&フォロー力の高い何人かのおかげでいい感じに場が温まっていた。

しかしこの会、行く前に数人から「大勢の知らない人の前で歌うとかマジ、無理ゲーなんだけど」というメッセージをもらい(しかも何度も)「そうか、知らない人の前で歌う、のが恥ずかしいって人も多いのだな」とやっと気づく。


「知らない人の前で平気な顔して歌う」というのは水商売経験者特有のスキルなのかもしれない。銀座のクラブで働いていた時も、六本木のキャバクラで働いていた時も、歌舞伎町の会員制バーで働いていた時も、カラオケスキルは必須、とりわけ盛り上げのスキルが超必須で、しかし逆に言えばそれさえあれば他はどうでもよく、歌うのを恥ずかしがってもじもじしている女はサゲで、歌唱力なんかはまるで問題じゃなく、歌はむしろ下手であれば下手であるほどお客さんはアガる(自分より上手いと不機嫌になるおじさんというのがいる)という刷り込みがされているため、私はたとえ音痴だろうと知らない人の前でも平気な顔して歌えるのだが、それはけっこう、特殊なことなのだなぁ。

しかしちょっと前に、ちょっと前の好きな男とカラオケに行った時、それがさして盛り上げもせず、拍手もせず、淡々と好きな曲を歌い、相手の曲も聞かなくてよく、さっと歌ってさっと帰るというカラオケで、そんなものがこの世に存在するのか!という衝撃的体験だった。私の知ってるカラオケはタンバリンを打ち鳴らし、合いの手を入れ、なるべくおじさんのわかる曲(できればデュエット)を、おじさんよりもちょっと下手、くらいで歌う、盛り上がる曲以外は曲にあらず、の絶対君主制カラオケであり、そうじゃない、気楽で愉しいカラオケがこの世に存在するのか〜〜〜〜〜〜〜という、割とね、イデオロギーが転覆するくらいの経験だった。
下手でもよく、好きな曲を好きなように歌う、それが一番いいよねぇ。


それで当日、蓋を開ければそれまでの心配なんかまるで無用で、最初の一曲が「おジャ魔女カーニバル」だったり、「持ってけ!セーラー服」を振りつけで踊る女子がいたり、ジョジョを歌う人がいたり、トリはデジモンのバタフライだったりなどで、まあ、オタク率の多いカラオケだった。好きな曲を好きなように各人が気持ちよさそうに歌っていて、とりわけPhaさんがおもむろに歌い出した曲がなんだったか忘れたけど本人のキャラとマッチしていてとてもよかった。
話したい人、いっぱい居たのに、私は盛り上げに徹していたので全然喋れず残念。
奥岡けんとくんにオタ芸を教えてもらったので来年は完璧に身につけて挑みたい。

この3年間、家とカフェの往復で、全くと言っていいほど仕事らしい仕事をせず、朝起きてから夜寝るまで会話するのは頭の中の登場人物だけという生活を送っていて、人付き合いなどほっとんどなかったので、こんな風に年末の時期を大勢の好きな人たちと過ごせるというのは結構な至福である、とはいえその生活が終わったわけではなく2018年もさらなる下積みの期間として(3年やって、やっと0.5合目くらいの感じ、まだまだ先は長く、むしろやっと自分に何が書けるのか、何を書きたいのか、さっさと筆の動くジャンルは何で、これから何を実験して行きたいのかが分かった感じなので)また地の底に潜るような生活を続けると思うのだけど、人と関わるのも結構いいなぁと思った会だった。2018年、どうなるかわかんないけど、書くとか編集とかコンテンツを作るとか、文章周りにいる人たちと話すのはやっぱり楽しいなと思うので、来年もみなさん、よろしくお願いいたしますね。


ありがとうございます。