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ビンボー起業13_里帰り出産の罠とお仕事再開。の話。

前回は↓

里帰り出産の罠

2人目の出産は、地元の長野へ里帰り出産することにした。
というのも、妊娠中に喘息を発症してしまったりと体調が優れなかったので、産後が心配だった事と、長男のお世話をできる人が居ない。という理由だった。

2020年の今でこそ、大臣が育休を取ったりして男性も育休を取る流れが出来ているけれど、2012年当時は、まだまだ男性が育休なんて。という感じだった。

当然そうなれば、実家を頼らざるを得ない。

実家が近ければ、里帰りと言ってもそこまで生活環境が変わらないかもしれないが、
大分と長野は、残念ながら1,100キロメートルも離れている。
「ちょっと実家帰ってくるわ」のレベルじゃない。

飛行機で帰るのだけど、妊娠後期に入ってくると飛行機に乗れなくなるため、妊娠7ヶ月頃に長男を連れて帰ることにした。

長男が通っている保育所へ、里帰りの件を伝えると衝撃的な事実が発覚した。

なんと、長期間保育所を休む場合は(例え休む理由がはっきりしていても)退園しないといけないという市の規定があるそうで、
いくら里帰りとは言え、産後も含めると4、5ヶ月は保育所を休むことになる。

となると、当然、長男は退園しなければならない。

じゃあ、里帰りから帰ってきたらどうしたらいいのか?
それはまた、再び待機児童として入園できる日をひたすら待たねばならないということだった。

ガーーーーーーーン。
せっかく入れたのに。また待機児童に後戻りなのか。。。。
ショック!!!!

そんなこんなで、長男は保育所を退園し、私と一緒に長野へ帰った。


第2子出産、そしてお仕事再開

第2子出産時、色々とトラブルがあり緊急帝王切開となった私は、自然分娩だった長男の時と比べると、産後の体の回復がかなり遅かった。

実家に里帰りしていて、本当に命拾いしたなーと。この時は思った。
ただ、長男は保育所を辞めさせられたけど(かなり根に持ってるw)

例えはちょっとアレだけど、帝王切開って切腹だから。
生きた状態で、腹を掻っ捌いて、臓器(子宮)の中から赤子取り出す。
って、そんなことしておいて、ちょっとやそっと休んだくらいで体が回復するわけない。

けれどそんなにゆっくり休んでもいられないので、産後2ヶ月で大分へ戻りお店を再開させた。
自営業者に育休などという概念はない。
育休手当が出る雇用保険は、経営者自身にかけることができないからだ。

待機児童に後戻りした3歳の長男と、産後2ヶ月の赤ん坊を連れてお店を開ける日々。
帝王切開の傷跡は、まだ全然生々しい。痛い。
でも、お店を一日でも早く再開させないと。
その一心だった。

接客中に「ままーおしっこー」とか言われるのもしょっ中だし
赤ん坊はまだ2時間おきくらいに授乳しなきゃいけないし
お客様が試着室に入っている間に、ササっと授乳したりしてみたり。

自分なりに工夫しながらやったけど、
やっぱり産後まだ身体が回復しきっていない感は否めなかったし、
まだ精神的にも整っていなかったように思う。

産後2か月で、1人で2人の子供を連れて働くのは相当しんどい。
せめて長男だけでも、保育所に入らせてもらえたら。。。
けれど、待てども待てども、入園できそうな気配は微塵もなかった。

会社員の育休明けは、保育審査の点数が高いのに、自営業の産後復帰は何故こんなに冷遇されているんだ。
辛すぎる。

ちょっと、いいかげん体力的にも精神的にも限界が来ていたのと、
3歳の長男にとっても、毎日毎日私の仕事に付き合わされて、ろくに遊びにも行けず可愛そうだった。

ある日、思い切って市役所へ相談へ行った。
「里帰り後に戻ってきて、以前通っていた保育所へ申し込みを出したけれど、待機児童になってしまい戻れない。私は自営業だけどもう仕事復帰しています。何とかそこを考慮して貰えないでしょうか?」

実際はこんな風に穏やかではなかったかもしれない。
なかなかの気迫で職員さんに迫ってしまったと思う。

職員さんは「ちょっと園の方へ確認してみますね。」と電話を掛けた。
すると、なんとあっさり登園許可が出たのだった。

後日、保育所の先生へ確認したところ、保育所の方では私が里帰りで帰ってくることは把握していたので、当然長男もまた保育所へ戻ってくるという前提で準備をしていてくれたそう。

ただ、いつまでたっても、戻ってこないので、おかしいな?と思っていたとの事。

つまり、市役所側では保育所の申込用紙を受け取っただけで、保育所へ確認などをしていなかったようだった。

はぁーーーー??なにそれ?
だった。

私が身体も心もボロボロにして頑張った数か月を返してくれ。
この怒りをどこへぶつけたら良いのやら。

この経験があってから、二度と里帰り出産なんかするもんか。
と固く誓った。

種から芽が出て、そして自宅サロンから店舗へ

この頃、レンタルドレス以外に、月に一度の撮影会を始めた。
ドレスアップして、ヘアメイクして、カメラマンに撮影して貰う。
というもの。

当時は、ちょっとした女性の起業ブームが始まっていて、仕事でFBを使いだす人も増えてきている時期だった。

なので、みんなプロフィール写真が必要だった。
でも自撮りじゃイマイチだし、どうせだったら綺麗な自分の写真を使いたい。
という訳で、この企画が大変な人気を呼び、募集をかけるとものの数時間で満員御礼になるくらいまでになった。

この時から一緒にお仕事をさせて頂いている、ヘアメイクさんとカメラマンさんとは、第2子妊娠中に出会い、産後に動き出せるように色々考えていたのだった。

あの時、思うように仕事に時間を割けなくてもどかしかったけど、種まきをしていたものがこうして芽を出したのが嬉しかった。

ここら辺から事業のスピードが上がってきた。
雑誌の取材依頼が来るようになったり、自宅サロンだったのがドレスが増えてきて手狭になったので店舗を借りたりするようになった。

ただ、当時お借りしていた店舗はとても古い建物で、エアコンが付いていなかった。

当時、徐々に暖かくなってきていた4月下旬。
汗だくで試着をする。。。。
そんなドレスショップ、あるか?!
いや、無しでしょ!!
ヤバい。ヤバすぎる。

なんとかせねば。
というか、ここに入居する前に夏場の事考えておけよ。
というツッコミはそっと心の奥にしまっておいてもらえると助かります。笑

なぜなら、爆安でお借りすることが出来たので、後先考えずに入居してしまったというアホな感じだったので。。。

この建物にエアコンを設置してもいつまで入居してるか分からない。
それなら、違う物件を探してみようか。

でも、引っ越し費用に新しい店舗の入居費用。
捻出できるかな。
うーん。いますぐには難しい。

…あ、そうだ。
補助金とかって何か無いのだろうか?

そして、色々調べることにした。

眠い。つづきます。すみません

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