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ビンボー起業⑤ある日、事件は起きた。のはなし。


私の出身は長野県。
大分からだと、なかなかそう簡単に帰れる距離ではない。
正直、はじめての出産だし、そんなに周りに頼れる人もいない。

実家の両親からは里帰り出産を勧められたけれど、悩みに悩んだ末に
大分で出産することに決めた。

それは、私たち夫婦の決意表明でもあった。

里帰りをすれば、快適な環境があることも分かっていたけれど、あえてそれを選ばなかったのは、

これから先、何かあったときは、結局のところ私たち夫婦で力を合わせて乗り切っていかなければならないのだ。

まだまだ若い、未熟な夫婦。
将来性もないままに、勢いだけで結婚した夫婦。

でも、これからは私たち2人で、子供と家庭を守っていくんだ。
そのためには、最初の一歩を、自分たちで乗り切ろう。

そんな風に、未熟者夫婦と、赤ちゃんの生活が始まった。


ある日の夕暮れ時に、事件は起きた。

相も変わらず、お金は無かったけど、なんとかやりくりしながらの生活を続けていた。

そのうちに、夫の仕事もだんだんと軌道に乗ってきて、お給料も少しずつ上がってきた。
と言っても、やっと人並みな生活が送れる様になっただけだけど。

このまま平凡な育児生活、結婚生活を送っていけるかと思っていた矢先でした。

ある日、私が息子を連れて買い物から帰宅した夕暮れ時。
太陽が沈みかけて薄暗くなった部屋の電気をつけると、

リビングの床のうえに仰向けに寝転がっている人が居ました。

恐る恐る目を凝らすと、それは夫のようでした。

「?!電気も付けずに何やってんの?!」

と、私が聞くと夫は

「。。。。。。ごめん。。。動けない。。」


どうやら、長年抱えていた腰のヘルニアが悪化して、ついに立つ事もままならなくなってしまったようでした。

今まで騙し騙しやってきたものの、ついに誤摩化しがきかなくなり
やっとの思いでなんとか帰宅はしたものの、そこで力つきてしまい
家の電気も付けることができなかったようです。

それからすぐに病院に行きましたが
医師からは、力仕事をこれ以上続けて行くのは無理でしょうとの診断。


体が動かなくなるという事は、職人である夫にとって致命傷です。

体が動かせなければ、お金を稼ぐ事ができません。


つまり、ある日突然、夫が無職になってしまったのでした。。。


やっと最近歩き方を覚えた息子は、1歳と3ヶ月。
もう職場復帰が絶望的な夫。
貯金はほんの少し。

これから夏本番。
暑い暑い7月下旬の事でした。


無職=ちょっと長い夏休み

ある日突然、夫が無職になった。
そんな時、あなたならどうしますか?


人間、一度どん底を知ると強くなるようで、あの極貧生活の経験のおかげで
お金が無い中で生活して行く事に対して、そこまで不安を感じませんでした。

あの頃と違って、貯金も少しだけあるし。
(あの頃はマジで1円玉や10円玉までかき集めて生活する日々でした)

とりあえず、あと数か月は生活できる。


じゃあ、長いサマーバケーションを取ったという事で、ゆっくり過ごそう。
お金が無いなら、昔に戻ったつもりで切り詰めて生活すればいい。

それよりも、夫がこんなに長い事休んで居られる状況も、この先の人生でそうそう訪れないだろう。

それなら家族で思いっきりこの時間を楽しもう!!!

そう決めました。

それから、リハビリに通いつつ、だんだん普段とおりの生活を送れる様になった夫と、息子と、

毎日毎日海に行ったり、川に行ったり、水族館にいったり。

貧乏旅行をしてみたり。

とにかく、遊びまくりました。(もちろんお金は使わない遊びだけど)

息子はというと、いつも朝起きたら仕事に出かけていてほとんど会えなかったパパと、毎日一緒に居られて、とても楽しそうでした。

そんな風に家族の時間を楽しみつつも、私はハローワークのチェックも欠かしませんでした。


主人の分と、私の分と。

あまり夫ばかりに負担をかけるような仕事は無理なので、
私も働いて少しは足しになればいいな、と思っていました。


職業訓練という、すばらしい制度を知る。

さて、ベビーカーを押してハローワークに通う日々が始まりました。
けれども、そもそも当時のハローワークって、ベビーカーを押して来る人がいることを、全く想定していない場所でした。(今は違うかもだけど)

でも、意外とみんないい人で、助けてもらいました。

手続きするのも、階段で2階へどうぞ。と言われたけど、
ベビーカー持って上がるの嫌だなー。と思ったので

受付の人に「ちょっと子供見ていて貰えませんか?すぐに下りてくるので」
ってお願いしたら、快くオッケーしてくれて見ていてくれたり。


仕事探す機械みたいな、pcみたいなブースは狭すぎてベビーカーとかはみ出して邪魔になっちゃって申し訳ないと思ったけど、
誰も何も言わず、むしろ通路を譲ってくれたりとか。

周囲は男の人がほとんどで、場違い感がすごかったけど、
沢山の方に大変助けられました。

とまぁ、そんなこんなである日、ハローワークに置いてあるチラシで見つけた「職業訓練」という文字。

それは、資格等の勉強をしながら、生活費もわずかながら支給してもらえて、就職活動も思う存分にできる。
という素晴らしい制度。


こんなに良い事はありません。

それで早速いくつかの訓練に申し込みましたが、私が受けたい講座はどこも定員オーバーでいっぱい。

ちなみに、当時は医療事務の講座を受けようと思っていました。
本当は、働きたい職種があったけど、とてもじゃないけど子供いながら働ける気がしなかったので、諦めました。

中には、子供がいると言うと
「子供が熱出したから休みます。とかじゃ他の人に迷惑だから」

という理由で面接さえ受け付けてくれなかった講座もありました。

でも、絶対なんとしてでも職業訓練に申し込みたい。
もうこうなったら、何でもいい!
どこでもいいから確実に入れそうな講座に申し込もう!!

そしてついに、人気がなくて定員割れしている講座を見つけました。
それは「webデザインコース」というものでした。


この講座との出会いが、のちの私の運命を変えて行くきっかけとなったのです。


次回へつづく。。。。

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