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ビンボー起業⑥生きてさえいれば、なんとかなる。の話。

前回はこちら↓

思い返してみれば、私達夫婦には甘い新婚生活なんてものは皆無でした。

とにかく極貧生活からのスタート。
厳しい現実との真っ向勝負な日々。
来る日も来る日も、電卓とにらめっこ。

何度喧嘩したかもわかりません。
でも、私は彼と結婚する事を決めたとき、

”幸せにして貰おう”
なんてこれっぽっちも思っていませんでした。


”未完成で、未熟な2人だけど、一緒に幸せを掴み取っていこう”
その一心で、2人で、そして周囲の方に支えられ、見守って頂きながらやってきた様に思います。


だから、どんなに厳しい状況に陥っても

”こんなはずじゃなかった!!”
なんて思うどころか、

”こんな未熟な私達だもんね。。。ありえるわー。。”
ってな具合だったと思います。

さて、そんな未熟者たちが繰り広げる、
「ある日突然、夫が無職に!あなたならどうする?!」の続きです。


母性神話との葛藤

私がハローワークで見付けた「WEBデザインコース」という職業基金訓練。

もともと、私は大学時代は芸術学部に通っていました。(映画学科だけど)
アートとか、デザイン的な事は好きだったし、WEBにも興味があったので、早速応募してみました。

筆記試験や、面接などがあり、無事に合格していよいよ通える事になりました。

しかし、ここに来て葛藤したのは、一歳になったばかりの息子を預けに出さないといけないということでした。

産まれてから今まで、片時も離れる事無く一緒に過ごしてきた息子。
それが突然、訳も分からないまま、預けに出される。

どんなに不安な思いをさせてしまうんだろう。
まだ完璧に乳離れもしていないのに。

息子に寂しい思いをさせてしまうのではないかという気持ちもあったけれど
何より、私が息子と離れるのが寂しかったのだと思います。

この当時はまだ(今もだけど)母性神話のような物が残っていた。
「共働きは、子供がかわいそう」
「3歳までは、母親が育てるべき」

実際に、周囲からも言われた。
でも、私は、声を大にして言いたい。

ごちゃごちゃうっさいわ。
こっちだって、寂しいんだよ。
出来ればずっと傍で、成長を見ていたいに決まってんだろ。

他人に分かるわけがないでしょう?
私たち母親が、どんな気持ちで、どんな覚悟で、
自分で産んだ可愛い我が子を、人に預けてまで働くのか。

だから、外野はごちゃごちゃ言わずに黙っててくれ。
こっちだって、もう十分葛藤してるんだから。


可愛い我が子との時間を手放すんだから、
絶対に、それ以上のものを手に入れて見せる。

そして、手に入れたそれらを、我が子に還元していけるように。

私は、そう決心した。
(きっと、世の中のお母さんお父さん、皆んながそんな気持ちなんじゃないかな)

こうして、私と息子の蜜月は、1年と4ヶ月で終わりを告げた。


「休職中」という劇弱カード。日本死ね!

職業訓練は、「求職中」という扱いなので、認可保育所の入所審査基準としては優先順位が低い。

「育休明け」という最強カードを持ってしても、待機児童になってしまうのだから、「求職中」という劇弱カードで認可保育所へなど、到底入れるわけがなかった。

結局、無認可の保育施設に預けざるを得なかったのですが、
無認可の施設は所得に関係なく一律料金。
我が家にとっては、とにかく保育料が高い!!!!
(所得が高い世帯は逆に安くなることもある)

当時の我が家にとって、唯一の収入源が職業訓練生に給付される
生活給付金12万円。

その内、4万円が保育料で消えていく。

何だ?この人生詰んだ感じは。
生活保護の方が優先的に認可保育所に入れるし、まだマシだ。

典型的な、社会のセーフティーネットからこぼれ落ちているパターンである。

「求職中」というのは、何も暇なわけじゃないんだよ!!
生きていけないから、働きたいから「切実に職を求めてる」んだよ!!

保育園落ちた。日本死ね!

そりゃあ、言いたくもなるよなぁ。


生きてさえいれば、なんとかなる。

とまぁ、色々と葛藤や悩みはあったのですが、そんな事に心折れている訳にはいきませんでした。

歩みを止めたら、死ぬ。
生きてさえいれば、何とかなる。

実は、私には鬱病だった過去がある。
何もかもが嫌になって、息をするのですら苦痛で、
死にたくて、死にたくて、死にたくて、死にたくて

何度も死のうとした事がある。
この世は、私にとって生き地獄だった。

何とか、周囲の家族や仲間のお陰で真っ暗闇から抜け出す事が出来た。
という経験がある。

だからこそ、命が無くなったら終わりだ。
という事を身に染みて感じている。

死ぬ事以外、かすり傷。

みたいな言葉があるけど、正にそれである。
生きてりゃ、なんとかなるの。

だから、お金がなくても、命さえ諦めなければ大丈夫。

もう2度と、あの暗闇には引きずり込まれたくない。
夫も、子供も居る今は、そうなる訳にはいかないのだ。

絶対に、今のこの環境から抜け出してみせる。
その一心で、ガムシャラに勉強した。


職業訓練、卒業。そしていよいよ就活へ。

保育園の先生方のお蔭で、息子は愚図る事も無く
毎日楽しそうに保育園へ通ってくれたし、

職業訓練も、クラスメイトや講師の方に大変恵まれて、
充実した日々を送る事が出来た。

自分の興味のある事を、お金を頂きながら勉強出来る。

こんなに贅沢なことはありません!!

私がそこで学んだのは、イラストレーター(ai)、フォトショップ(ps)、ドリームウィーバー(dw)、フラッシュ(fl)

などの、デザインの専門的なソフトの使い方や、
htmlなどのWEBに必要な知識でした。

結構マニアックな講座ではあるのですが、
そんな講座に集まってくる人も、なかなか面白い人ばかりで、
色々とマニアックな裏情報を教えて貰ったりと、とにかく知識を貯える事が出来ました。

正にその時に習った知識のお蔭で、
起業当初に、hp、チラシ、ブログカスタマイズ、名刺など、ほとんど外注する事なく経費をかけずに自分で作成することができたのです。

それが無かったら、事業を打ち出してPRするのには莫大な予算がかかるので、
経費の無いビンボー人が起業なんて出来なかったと思います。

最初は全く意図してなかったのですが、最終的には、
お金を貰って習った事が更にお金を生む。
という、ありがたすぎる展開になったわけです。


そして、いよいよ職業訓練卒業のときが迫ってきました。

基金訓練は、就職を目的としているので、就職活動を積極的に行っていかなければなりません。

もちろん、この頃の私には、まだ起業するというビジョンは無かったので、就職活動を行っていました。

この頃には、夫も再就職先をなんとか見付けてくれていたので、一安心でした。

けれど、収入面を考えると、わたしはパートではなく、フルタイム出勤するような仕事をしていかないと、収入的には厳しかったのです。

そして、私の就職活動が始まったのでした。

つづく。。。。

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