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1975年 僕が愛する5曲

ヘヴィーメタルのことを書いたらとても多くの方に読んでもらえた。ありがとうございます。今度は1975年、僕が中学2年生の時にアメリカでヒットして、僕の心を未だに掴んで離さない5曲のことを書こうと思う。ギターを弾き始めて数ヶ月。様々な音楽が奔流のように僕の中に流れ込んで来て、自我が膨満肥大して、心がシッチャカメッチャカになった。当時の情報源はほぼ全てがラジオからのもの。ラジオでお気に入りの曲をエアチェック(カセットテープに録音)しては悦に入っていた。僕は特に「アメリカン・トップ・40」を毎週心待ちにして聴いていた。紹介されたのはビルボードのウイーククリー・ランキング。1970年7月4日、アメリカで放送開始、DJはケイシー・ケーサム。日本ではラジオ関東(現在のラジオ日本)で1972年10月14日で放送放送開始、DJは湯川れい子さん。湯川さんが歌詞の内容をちょっとだけ日本語訳してくれるのが大好きだった。情報の全てが僕の中にストレートに入り込んで来た。宝石のようなヒット曲の数々。そして僕の心を鷲掴みにしたあの曲この曲。僕の根底にはこうした音楽が今でも色濃く存在する。

Someone Saved My Life Tonight / Elton John

Someone Saved My Life Tonight / Elton John
この曲が僕のオールタイムナンバーワンソング。アコースティックピアノのイントロからヴォーカルと同時にフェンダーローズピアノ、エレクトリックベース、パーカッションが加わる。それがどうしたと云われても困るが、もうそこにそれだけのドラマが用意されているのだ。特にエレクトリックベースは史上最高のテイクであると僕は思う。そこにそうやっていることで全ての意味を裏付けている。そして3回目のサビからソリーナ(ストリングスシンセサイザー)がキラキラと鳴り始めて僕の魂はもうここにいなくなる。1975年のあの夜に僕はいつでも戻れるのだ。そしてエルトンのヴォーカルにかかっているリヴァーブの崇高さ。「僕を救ったプリマドンナ」の邦題は間違いで、救ってくれたのはシュガーベアなんだ。僕も救われた。この曲で何度も何度も。僕の音楽はまだ生きている。生きているなら音楽がある。これからも精一杯生きよう。音楽と共に。

I'm Not In Love / 10cc

I'm Not In Love / 10cc
このコーラスの重奏の美しさたるや。各音程のトラックを録音して、ミキシングコンソールのフェイダーを鍵盤として扱うと云う、巨大メロトロンと云うかサンプラーのアナログ版と云うか、そのアイディアを実行してしまうことの凄さはもちろんのこと、それで出来上がったこの壮大なサウンドの見事なこと。そしてフェンダーローズピアノもなんとエモーショナルに鳴るのであろうか。僕は恋をしてないなんて若者のうじうじとした心情を歌った曲にもかかわらず、その壮大さに中学生の僕は魂を根こそぎ引っこ抜かれたような気持ちになった。間奏以降で聞かれるキラキラした金属音のループ(何の音なのか未だに判らない)が帰ってきたウルトラマンのオープニングのキラキラ(あれはグロッケンとピアノにエコーをたっぷりであろうか)が僕の頭の中では繋がってしまって、今でも当惑してしまう。近所のスーパーで店内BGMにこの曲がかかって、身動きが出来なくなったことを覚えている。大好きだけれど、不意に聴くと危ない曲でもある。他の曲も皆そうなのだけれど。

Wildfire / Michael Murphey

Wildfire / Michael Murphey
これは滅多にスーパーではかからないので安心だが、若い頃にFEN(現在のAFN)を聴いていて、夜中に突然このピアノのイントロが流れてきて、前後不覚に陥ったことが何度もある。アコースティックギターとフェイザーのかかったエレクトリックギターの関係性の美しさ。この曲でもソリーナが響き渡る。そして荒野の向こうに繋がっているかのようなコーラスの愛しさ。死んだ馬の亡霊が寒い冬の牧場に戻ってくると云う遠野物語やら水木しげる先生的な内容なのも「アメリカン・トップ・40」で知った。ずっとこの曲を愛している。これからも一生愛する。

The Same Old Tears On s New Background / Art Garfunkel

The Same Old Tears On s New Background / Art Garfunkel
これはシングルカットされていない曲。アルバムの一番最後に入っている美しすぎる歌。邦題は「ある愛の終わりに」。あまりにも美しいので聴くと身悶えてしまう。なのであまり人前で聴くのが憚られる。僕にとっては1970年代のニューヨークの音。そうなのか。ニューヨークなのか。定かではないのだけれどニューヨークはきっとこんな音がするのだと思っている。ピアノが途中からオーバーダビングされている。リズムがしっかり出ている曲ではないので、殆ど神通力のようなものを使わないと出来ないことだと聴く度に感心する。なんでそんなことをしたのだろう。美しさのためか。歌声が美しい。ストリングスも美しい。ベースもピアノも美しい。ローピッチのスネアドラムも美しい。美しい音の集合体。だめだ、身悶えてしまう。

Could It Be Magic / Barry Manilow

Could It Be Magic / Barry Manilow
邦題は「恋はマジック」。好きなだけでなくこの曲に僕は多大な影響を受けている。きっとこの曲のことだけで何時間も話をすることが出来る。どこだどう好きなのか。いや、全部好きだ。隅から隅まで好きなんだ。一番最初のビアノのコード、Cm。これだけで飯が一杯食える。続いてFm。ご飯お代わりである。そしてその次のコード、G。このイントロパートはショパンの前奏曲第20番ハ短調を元に作られているが、この3つ目のGのコードの積み方はショパンと「恋はマジック」では既に違う。そんなことにずっと50年近くこだわって解析してきた僕もどうかとは思うが、そうした箇所も心から好きなのだ。そしてサビのコード、Cm - A♭/C - G9/B - Gm9/B♭のあまりの美しさにやはり僕は悶絶してしまう。そして最後に延々と繰り返されるサビの大仰さ。アメリカンエンターテインメントここにあり。バリーの歌声がフェイドアウトしてもずっとまだ曲は続く。永遠にこの繰り返しでも構わない。僕はそこにいる。でも最後はピアノだけのCmで終わる。あまりにも美しい。美しさの余韻の中で今回はここまで。勢いだけで書いてしまった。まあいいか。


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