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ドットコム起業物語~蹉跌と回生のリアルストーリー

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90年代終わり。いまや伝説となったビットバレーに飛び込み起業した20代の青年がバブルの波に翻弄されながらも楽天へと企業売却するまでの、蹉跌と回生のリアルストーリー。 起業におい… もっと読む
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#ネットビジネス

第1話 俺は懲りていないのだろうか

46歳の誕生日に、人生で二つ目の会社を設立しました。So Good Groupといいます。 我ながら、懲りない男だと思います。一度やって、もうこういうのは、やめよう。って思ったのに。 どういう訳か、中学生ごろから、早く東京に行って、社会人になって、仕事がしたいな。こんな学校の勉強とか、意味ないしって。周りに対して、「俺は先に行くぜ」って。妙な対抗意識のようなものを抱えて生きてました。 事業に成功して、お金を稼いで、かっこいい男になって、自由に生きるんだって、どこかで思っ

第2話 ジャックには勝てるはず

← 第1話 事業計画なんて、書いては捨て。書いては捨て。その繰り返しです。NetAgeの西川さんは、軽く100以上ビジネスプランを書いたと言っていました。(それはちょっと病的ですのでオススメしません) 僕らが最初に考えた、フードデリバリーの注文サービスで起業する計画は、外食業界を営業開拓していくのはしんどそう。という、とても真面目な理由から、見送りにしました。 松涛のNetAgeオフィスにたむろさせていただくようになり、1-2ヶ月ほど経ったでしょうか。あっさりと会社を辞

第3話 GEとオラクルと俺

←第2話 2000年2月。日経新聞の朝刊に記事が出た途端に、僕らの会社はモテ期に突入します。メディア関係、ベンチャーキャピタル、人材紹介や派遣関係者、リクルート。それからリクルート。あとはリクルート。色んな方々からのメールや訪問が舞い込みます。 「うちと組みませんか。講演してくれませんか。会に参加してくれませんか。」このタイプの甘美な誘惑は、なりたてホヤホヤで目立ちたがり屋の若手社長(オレ)から「時間」と「謙虚」さを徐々に奪っていきました。 流石にちょっと経験すると、講

第4話 それはノイズか、シグナルなのか

← 第3話 その年の、ゴールデンウィークをどう過ごしていたかは、あまり覚えていません。 連休突入前、我がプロトレード社内は、GEとオラクルからの2億円ゲットのニュースに沸き立っていました。創業メンバー4人と、社員1人。あとはアルバイト2人ほどでしたでしょうか。それぞれが、次のステージへと進めることに、安堵感と期待感を持って、連休に入ったと思います。 Protrade.ne.jpは、ネット上で簡単に相見積もりがとれて、地域の離れた企業同士でもビジネスができる、会社と会社の

第5話 光と音の残像

←第4話 その時の会話は、ほとんど記憶に残っていません。 いや、むしろ人間が持っている、心の防御本能が作動して、「強制的忘却」というプログラムが走ったのではないか。とも思います。 しっかりと覚えているのは、その時の光景と、その方の声です。心に負荷がかかると、光と音を、僕は記憶するタイプなのかもしれません。 光 - プロトレード 社は「ピジョン松涛」(鳩さんかよ)という、渋谷bunkamuraを、少しすぎた先。松涛のお屋敷街の入り口にあるビルの、3Fに小さなオフィスを構

第6話 ショートライド

← 第5話 サーフィンをやる方は共感していただけると思いますが、波乗りはビジネスにたくさんの示唆を与えてくれると思います。 一番岸から離れた、波が割れ始めるポイントからうまく乗れた人は、岸辺までのロングライドを楽しめます。アメリカ(シリコンバレー)経済はその波を、95年8月9日のNetscape上場の日から、がっしりと掴み、ライドしはじめました。 日本では、その頃、孫さんはゲーム卸事業から転換し、96年にYahoo! Japanを創業。目ざとく波を掴まえはじめます。

第7話 超せない夏

← 第6話  陸上の5000メートル競技で、トップを走っていたランナーが、残り1周あったのにゴールだと勘違い。ガッツポーズでウィニングランに入ったが、間違いに気づきトラックに戻るも時遅し... この動画が僕に語りかけてくるポイントは、「五輪メダリストでもこんなミスをするんだ」ではなく、彼が間違いに気づいてから、走り直した後のスピードです。 身体は向かおうとするのですが、脳が切り替わっていないのです。 「あと一周残っていると気づいて、走り直したとしても、ゴールに到達した

第8話 大志満とジェントルマン

←第7話 ネットバブルはパーンと破裂したのですが、実際には、瞬時にリセットが起きたという訳ではありませんでした。事業活動の現場と、株式市場の動きには、やはりタイムラグがあるようです。 どうしてそうなるか、ということを振り返りますと、 タイプA 祭りの終わりを察し、さっと引き揚げる人 タイプB 祭りが終わって、片付けに時間がかかる人 タイプC 祭りが終わったことに、気づかない人 大まかには、この3タイプの事業プレイヤーが世の中に存在して、レイヤーのように重なってい

第9話 ビンテージデニムの男

← 第8話 当時の、日本のベンチャーキャピタル(VC)業界は、昨今の姿に比べれば、少し滑稽な状況だったのかもしれません。 普通に考えれば、VCも金融サービスなので、行動原理はおおかた同じ。であるはずなのですが、まだ業界が勃興期で経験不足だったということもあったのでしょう、誰もかれもが外資ファンドのように手仕舞い。または、賢く引き締めをした訳ではありませんでした。 実際には、投資といいつつ、融資のような感覚(と、手法)で業務にあたられていた、オールドスクール派のVCも多か

第14話 沖からのうねり

← 第13話 2000年9月初旬の、とある日、新宿パークタワーの高層階。巨大な会議室の、やたらと対面との距離が遠い、幅広の長テーブルの真ん中で、僕はある男と向き合っていました。 彼の背後、一面のガラスには、広大な関東平野と、くっきりと縁が浮かぶ富士山。なんとも雄大な景色が広がっていました。 その男は、その景色を、まるで我が物のように支配しているかのようにも見えるし、でもなぜか、支配されているようにも見えるのでした。 それは、山脈の陰に落ちてゆく夕陽が綺麗な、夏の終わり

第16話 こだわりと、愛と

← 第15話 思いきって、企業売却に舵を切り、秘密裏に行動を開始した僕ですが、その決断については決して揺るぎない信念を持っていたわけではなく、毎日のようにブレていたと思います。 まだやれるんじゃないか。 俺は逃げているだけじゃないか。 何だかんだ、綺麗にまとめようとしていないか。 頭の中では、 「これは合理的な選択である。」 「迷っている時間はない。断固と進めるんだ。」 というロジカルな指令が、飛んできます。 しかし、心の中では、会社を売る。という行為への罪悪感と、自

第17話 銭形吠える

← 第16話 少しバイアスがあるかもしれませんが、ベンチャー企業と、関わりを持とうと接近してくださる方々の中で、保険業関係の方々は、目の前の損得を一旦置いて、まずはギブをしようとしてくれる方々が多かったように思います。 「社長の下の名前と、私の名前とは、同じ漢字が使われているのを発見し、大変感動しました。ぜひ一度ご挨拶させていただきたい。」 と、訳のわからないコンタクト理由が盛り込まれている、手書きの手紙を送ってくれた、熱血生命保険営業マン、陣野さん(現アクサ生命保険エ

第18話 連続下降

← 第17話 話を元に戻しましょう。9月にクレイフィッシュの松島社長とお会いし、その場で、「一緒にやりませんか」という話となりました(第14話)。 そこからボールを受け取って、具体的なスキームに落とし込み、実務を進めていただく役を担われたのは、取締役最高執行責任者、荒巻さんでした。 はじめて荒巻さんとお会いした第一印象は、ずいぶんと男前で、鼻が鷲のように高い、颯爽とした人が出てきたな。と思ったことと、画数の多い漢字が10個も並ぶタイトルを持たれて、書類記入が大変だろうな

第23話  ダイヤモンドヘッド

← 第22話 この時代に、観光をすることの意義はどんどん薄れていると言う人がいます。それはなぜかというと、今やネットで、そのランドマークの映像も動画も、なんでも観られるから。 このご時世、生まれて初めてハワイへ行って、ダイヤモンドヘッドを見ても、「あー、あの山、有名だよね」という程度の感動しかない、世知辛い世の中になっています。 2000年9月のとある日、プロトレード 経営陣、佐藤さん、岡田さんと、僕は、3人揃って、中目黒の楽天オフィスへ向かいます。 ここで僕らは、そ