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第16話 こだわりと、愛と

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思いきって、企業売却に舵を切り、秘密裏に行動を開始した僕ですが、その決断については決して揺るぎない信念を持っていたわけではなく、毎日のようにブレていたと思います。

まだやれるんじゃないか。
俺は逃げているだけじゃないか。
何だかんだ、綺麗にまとめようとしていないか。

頭の中では、
「これは合理的な選択である。」
「迷っている時間はない。断固と進めるんだ。」
というロジカルな指令が、飛んできます。

しかし、心の中では、会社を売る。という行為への罪悪感と、自己嫌悪感寸前の、自分へのがっかり感は、ヘドロのように僕の身体の中に沈殿していきました。

土壇場でも、僕の心の中での自問自答は、続いていたのです。

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起業家が、他の起業家を意識することって、おそらく多かれ少なかれ、あるのではないでしょうか。僕も他のベンチャー経営者たちとお会いする機会は多くありました。

とりわけ、インキュベーションをしていただいたNetAgeさん関連の経営者に対しては、どこかでライバル意識を持っていたかもしれません。


ミクシィ(当時イーマーキュリー)の笠原さんは、大学卒業したばかりなのに、すでに職人さんのような佇まいを帯びた人でした。関心のないことは無頓着で、唯一自社サービスだけを見つめていたと思います。

分かりやすい凄さとか、オーラは全くというほど感じさせません。なんともつかみ所がない。

ただ一点だけ、ものすごく、しつこいところがありました。とにかく、粘っこい。それは自分には全くない、性格特性でした。

今では笑い話ですが、99年の頃、NetAge西川さんからこんなことを頼まれたことがあります。

笠原くんはさ、どうも頑固でね。あのビジネスモデルだと、イケてないって、何回も言ったんだけどさ、ぜんぜん聞いてくれないんだよね。

小野くんみたいに、優秀な人をもっとたくさん集めて、ビジネスモデルを作り込むことが必要だと思うんだよね。

ちょっと悪いんだけどさ、彼らのオフィスに行って、アドバイスしてあげてくれないかな?

まったく皮肉な話です。おこがましいにも、ほどがあるってのは、こういうことでしょう。

は?優秀ってなんなの?って。今なら中指たてちゃいますよ。

ベンチャーに必要な優秀さって、職歴とか、小賢しいビジネス知識とか、 Excelやパワポの能力とかとは、関係がないことを、笠原さんは、見事に証明されてきたと思います。


ビズシークの小澤さん(現Yahoo!ジャパン取締役)は、アウトドアテントが室内になぜか張ってある、三茶のオフィスで初めてお会いしました。

髪の毛の寝癖はそのままに、口から泡を吹き、白目をむきながら、古本業界のビジョンを語っていました。

言葉のはしばしで、「ダー」とか、「ドバー」とか、大げさな表現が混ざります(最近は少し減りました)。まさに起業家らしい起業家という感じでした。

彼はこの頃から、ものすごく数字とか儲けにうるさくて、商売に真剣に向き合っていました。それはこの時の僕の最大の弱点だったので、ちょっと刺激が強すぎました。

価値観が合わないなと思い、少し距離を置こうと思っていたことを覚えています。(その後、家族ぐるみの大親友となります)

他にも、なんとも地に足のついた、安心感と誠実感の塊のような、アクシブ(現Voyage Group)の宇佐美さんなど、同年代の、一時代を築いてこられた起業家が、一心不乱に事業に打ち込んでいました。


いや、ライバル意識というほど、かっこいいものではなかったかもしれません。当時はとにかく、他人と比較していましたね。自分に自信がなかったのと、自意識過剰と、両面があったのでしょう。

「あいつはこうやっている。俺はじゃあこうしよう」
「あいつから俺は、どうみられているだろうか」

そう、他人なんて、気にしなければいいのです。起業家なんだから、傍若無人なくらいでいい。プロダクトお客さまだけを見て、突っ走ればいいんです。

でも、それは僕には難しかった。

プロダクトに対するこだわりは、結局は薄かったのです。アメリカで流行っていた事業を、少し編集して、いいとこ取りして、こんなのがウケるかな?と思ってやってみたというのが正直なところで。まぁ、プロデュース感覚でビジネスを組み立てていたと思います。

そこは徹底的に、こだわりを持ってプロダクトに向き合う、笠原さんとの大きな差でした。


お客様への愛は、多少感じはじめていました。ユーザーさんのコメントとかは嬉しかったですし、お仕事が取れて喜んでいただくと、僕も嬉しかった。

けれども、埼玉の林家ペーとか、リタラシーの低い中小企業のオヤジたちを相手にする現実に直面すると、さすがに、そこまでの愛情とか想いは、感じにくかったのです。

家庭環境が違ったら、ひょっとしたら違ったのかもしれないのですが、リアルに対象顧客を、自分ごとのように考えられなかった。

死ぬほど漫画が好きで、本屋さんのような商売人も大好きで、とくとくと、お取引先がいかに喜んでいかを語る、小澤さんとの大きな差でした。


まあ、今でこそ、このように明確に、当時の「かなわないなと思った」理由が書けるのですが、それは彼らの後日の、人間的成長と成功の軌跡を目の当たりにしつつ、自分の中で落とし込んで行ったから。という面は否めません。

当時はすぐにこのように整理されて、受容できていたわけではありませんでした。ただ単に気持ちの悪さと、一抹の反抗心とが、ドグマのように渦巻いていたと思います。

繰り返しになりますが、若い頃の僕は、何かにつけて他者と比較してしまっていたことが、なんといってもダメだったと思います。今の僕だったら、昔の僕に対し、パワハラ上等モードで、とっちめてやりたいと思うのです。

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深夜11時。ひとりで逡巡を重ね、どこか生気を失った起業家が、電線が空を覆う、神泉の坂道の階段を、匍匐前進かと思うようなスピードで登っていました。

時は9月末。カウントダウンの時計の針は、刻一刻と進んでいきます。

「もう、しんどい。早く楽になりたいな」


実はこの時すでに、僕らの運命を大きく変えてゆく、キーマンとの出会いを果たしていたのですが、この時の僕は、そのことを知る由もありませんでした。

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