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第35話 押し切る力

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ちょっと、失礼。

楽天の中目黒オフィス、5Fの大ミーティングルームの、華奢な男性。山田常務が立ち上がって退出していきました。

残された澁谷さんと僕の間では、会話がしばし続いていましたが、僕は次の展開を想像し、うわの空だったように思います。

次こそ、ラスボス登場に違いない。
落ち着け、俺。

けれども、意思に反して、自分の心拍数が上がってゆくのが分かります。どこか冷めた目で、「俺って小物だなぁ」と、外から見つめている自分がいました。


ここで、澁谷さんが、かき混ぜてきます。

いやー、小野さん、お金持ちになっていいねえ。
俺だったらすぐ使っちゃいそうだけど。羨ましい。

でも、俺なら、キャッシュじゃなくて、株交換にしちゃうけどね。
楽天株は絶対上がるからねぇ。

しばらく持っていたら、毎日ドンペリあけちゃう身分になれちゃうよ。

おいおい、ここにきて株交換? 

で、なんでまた高田純次モード? ドンペリ?

キャッシュが惜しくなったのかな?
楽天株がどんだけ高値なのか、知ってるのかな。

ないない。騙されないぞ。

あのー、澁谷さん、僕、
キャッシュがいいです。


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少し整理しますと、楽天の店頭公開は2000年4月。
上場前年、99年度(3期目)の売上高は6億円、経常は2.2億円の黒字。
その頃のヤフーとの比較はこんな感じです。(出典Internet Watch)

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今、これらの数字だけを見ると、正直言って、しょぼいですよね。

ただ、あの頃のインターネットの熱気と、EC市場の未来の期待が、三木谷浩史という起業家をスターにし、楽天という船を一気に押し上げました。その結果、店頭公開時の時価総額(初値)は、2,455億円にもなったのです。

僕がこの、プロトレード 売却交渉をしていた、2000年10月の時価総額が、いくらを付けていたかは、データが見つからないので分からないのですが、株価は上場以降、ずっとダウントレンドだったことは、覚えています。

ましてやこの、ITバブル崩壊のタイミングですから、むしろ、楽天がまともに、事業計画の通り成長していけるかの方を心配しても、おかしくないムードだったと思います。あそこで楽天株を買うのは、勇気が要ったでしょう。



ちなみに、20年を経た今から振り返ると、全く違う景色が見えるのは、皆さんご存知の通り。楽天さん、これだけ伸びてますからね。

2000年は、一番左から二番目のデータです。
あれ、棒が見えませんね。あはは。

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結局、27歳の、給料ゼロで働いていた僕としては、早く現金が欲しかった。

腹が減っている若者は、来年収穫される美味しいお米を苗から育てるより、今すぐ、天丼を腹一杯食べたいんです。
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勢いよく扉が開きました。

視線を上げると、入室してきたのは、山田常務だけでした。
あれ、ラスボス、来ないじゃん。

おもむろに席に座り、すっと、話はじめます。表情は、さっきよりも友好的な雰囲気を出していました。けれども、相変わらず目は全く笑っていません。

少し考えてみました。
2.5億円という小野さんの希望額について。

改めて、ここは分かって欲しいのですが、
私たちは皆さんのことと、プロトレード の事業には、
素晴らしい未来があると信じています。

楽天の仲間になってもらえれば、この会社の成長と一緒に、
皆さんの自己成長と、資産の成長も、
間違いなく加速するでしょう。

あなた達にとって、絶対に悪い話じゃないですよね。
しかし、考えてみてください。

買収金額をあげても、その半分は
NetAgeに取られることになりますよね。

この部分で頑張っても、しょうがなくないですか?

僕は、瞬間的に、この人は取引をしようとしているなと理解しました。
直感的に、裏でラスボスと打ち合わせて、帰ってきたな。とも思いました。

小野さん、
買収金額ですが、スバリ、2億円でどうでしょう。

その代わりに提案なのですが、役員の皆さんの年収を、
それぞれ、90万円づつ、あげさせてください。

皆さんにとっては、毎年の給料の方が、価値あるはずですよ。

それから、今はまだないですが、ストックオプション制度も
これから準備しますから、そこも期待してもらっていいです。


2億5000から、5000万円ダウン提示。
代わりに、年収90万円アップ。550万が640万円。

頭の中で、計算しようと試みます。

ところが、僕ですね、実はそれほど暗算が得意じゃないんですよ。こういうプレッシャーがかかっている場面では、なおさら、オタオタしてしまいます。


僕の悪い癖は、知ったかぶりをすること。カッコをつけたがること。それから、沈黙を怖がること。

「ここはタイム」と伝えて、時間をかけて考えるのが、よかったのかもしれませんが、僕の美学はそれを、よしとしませんでした。

どうやら、ストレートを投げられたら、フルスイングで答えたくなってしまう性分のようです。(ちなみに、こういう人は、投資に向いていません)

さらに、それを見越してなのか、山田常務も、早口で畳み掛けてきます。僕に落ち着いて考える暇を与えたくないのでしょう。対戦相手の嫌なことを、的確に突いてくる人です。


ええと、僕の持ち分が20%で、他の役員が10%だから..
株式売却と給与で、税金面でも違うな...
これ、何年働けば、売却額のとり分の差を埋められるのかな...

本当にざっくりと、4、5秒くらいで、割り算を繰り返します。
差分5000万円の、10%だから、約100万円のアップでも、5年。税金を考えたらもっと違うはず。


僕のカンピューターが、これは割に合わない提案だと弾き出しました。

よし、間違っていてもいいや。思い切って、ポジションを取ってみよう。
ここが、最後の勝負どころだ


僕は、頭の中で計算し尽くした風を装って、こう返しました。

山田さん、全然それ、辻褄が合ってそうで、あってませんよね。

売却額に5000万も開きがあると、給与で埋め合わせるの、すごい年月かかりますよ。(注:具体的な年数は、はじき出せてません)

せめて、2億3000万円くらいじゃないですか。


その後のやり取りは、はっきりと覚えていません。

僕がほぼ口から出まかせに出した、2億3000万円というカウンターオファーは、そのまま受け入れられてしまいました。

あとは細かい調整の話をしていたと思います。欧米な感じの、分かりやすい、シェイク・ハンドとかは、ありませんでした。

最後は、あっさりというか、こちらの言い値でまとまったことになります。
交渉なんて、最後はロジックよりも、押し切る力で、決まるのでしょう。
言ってしまったもの勝ち、なのかもしれません。


感激とか、高揚とかは、ありませんでした。
もう、何とか、やりきった。ということだけ。
いっぱいいっぱいでした。
じとっと、汗がもう一度、吹き出します。

なんとか、難破しそうな船を、岸にまで漕ぎ着けられた。
それだけでした。

ふと目を向けると、あのキレキレ山田常務が、随分と脱力した感じになっています。これだけ激しい交渉をしても、何事もなかったかのように、ケロっとしているのは、何なのでしょうね。

多分、頭の良すぎる人は、すぐ前に起こったことをリセットしてしまう力を持っているのかもしれません。まるでたった今、会ったばかりのように、僕をウェルカムしています。

小野さん、ありがとう。これから一緒に仕事できるの、楽しみだね!
あ、隣の部屋に、三木谷が帰ってきているようです。

ちょっと顔を、出していかれませんか。

(後日、この経済マフィア的強靭さと、天然純朴青年っぷりの両面が、山田常務の、持ち味であることをよく知ることになります。凄い人です。)

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