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第14話 沖からのうねり

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2000年9月初旬の、とある日、新宿パークタワーの高層階。巨大な会議室の、やたらと対面との距離が遠い、幅広の長テーブルの真ん中で、僕はある男と向き合っていました。

彼の背後、一面のガラスには、広大な関東平野と、くっきりと縁が浮かぶ富士山。なんとも雄大な景色が広がっていました。

その男は、その景色を、まるで我が物のように支配しているかのようにも見えるし、でもなぜか、支配されているようにも見えるのでした。

それは、山脈の陰に落ちてゆく夕陽が綺麗な、夏の終わりの一日でした。


何かのスイッチが入ったのでしょう。このあたりの時期から、僕の中では、この筋道ならいけるんじゃないか。という、あるシナリオが、最期の望みとして芽生えはじめていました。

資金調達環境は、悪すぎる。どう考えても、この先は冬の時代が続く。

調達すると、それだけExitのハードルが上がってしまう。

バリューに見合うだけの、実力をつけるのは、時間がかかるだろう。

でも、待てよ。

これまで話してきた事業会社は、たくさん、僕らのやっている事業に興味を持ってくれていたじゃないか。

この事業は、売れるかもしれない。

秘密裏に、事業売却を仕掛けよう。
今なら、ギリギリ間に合うかもしれない。


富士山を背景に背負った、その男は、少し顔がむくんでいて、話し方はやや早口で、どこかヒステリックでもありました。中肉中背で、姿形は、僕と似たところがあったかもしれません。

その男とは、東証一部、米ナスダック上場企業、クレイフィッシュの創業社長、松島さんでした。

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会社売却の交渉は、割と自信をもって臨めていたと思います。

結局は、人間誰でも、何らか得意なことというのは、あるものです。

僕の場合は、ことさら好きで、得意だったのが、社長と会って、トップ同士で、「うちと一緒に組んで、何かやりましょうよ」と仕掛けてゆく、アライアンス営業でした。(バナー広告営業が、あれだけ嫌だったのに、不思議なもんですね)

例えば、日経ITproという、日経が持つIT系ポータルメディアがありました。それはシンプルな広告課金ベースの、よくある記事ポータルサイトでしたが、日経ですので、大量のビジネスマンが読者となっていました。アライアンスの切り込みは、こんな感じです。

きっと読者の中には中小企業経営者もいらっしゃるでしょう。我々のサービスも同じです。

その重なりあった顧客ターゲットに対して、記事だけじゃなくて、プロトレード の、仕事委託先を探せる機能を埋め込んではどうでしょうか。

そうすると、ITproの提供機能が上がるし、僕らも安価で顧客獲得できますので、お互いメリットですよね。

これが一番シンプルな例ですが、そういった類の「組みませんか」話を、本当に何度も何度も、トライしてぶつけてきました。

今でいうところの、グロースハックの一種。要するに、お金を使わないで、裏技的に、飛躍的にお客さんをつかまえよう。という試みで、すでにトラフィックや会員があるところに、プロトレード をプラグインさせてゆく。という作戦でした。

創業以降、上記の日経さん以外に、アライアンス検討をいただいた企業名を上げると、こんな具合でした(もちろん、検討の濃淡はありますけど)。

IBM(SMB顧客開拓)、So-Net(中小向けサーバー拡販)、NTT-X(GooのB2Bブランド)、NTT Data(中小へのソリューション営業)、日立(中小向けASP、e-Creationイニシアチブの共同展開)、Intuit(会計事務所に展開)

徐々に経験を積んだ僕らは、スーツを着たおじさん相手に、安易にカタカナ語を使わないとか、Win-Winとか、ビジネスモデルがーとか、言わない方が良い。ということを学んで、ちょっぴり大人になっていたのです。


もう少し掘り下げます。アライアンスの得意な人は、自然とこういうことをやっていると思います。

1. 二つの陣営の思惑と、強み弱みのクロスポイントを、素早く察知する
2. 頭の中でパズルを組み立て、落とし所を見つける
3. それを、直言ではなく、質問のフォームに変換して、ぶつける
4. いかにも相手が、自分自身でそれに気づいた。という風に持っていく

高速の脳内作業を、相手の話を聞きながら、思惑を悟られないようにしながら、同時に行うということだと思っています。

やや大げさかもしれませんが、イメージでいうと、レーシングドライバーが、目の前の先行車両と、そのさらに先にあるコーナーのアペックスを、「透視」するような感覚で、超高速バトルするような感覚に近いかもしれません。


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そもそも、遠い思い出は、なんとも儚いもので、ふと浮かんでくる記憶は、果たしてそれが本当に起こったことなのかさえ、確かとは断言できないように思います。

ただ、なん度も、繰り返しトライしてきて、技として身につけてきた、経験は、嘘をつかないと思っています。やり込んできたことが、なんらかの能力として開いて、それが、今の自分の仕事に役立っている感じたとき、それらの思い出は、きっと確かに起きたことだったのだろうと確信できるのです。

剣道では100回、200回と素振りを毎日繰り返しますが。そのうちに、だんだん剣が止まって見えてくるのです。

僕はダメな起業家でした。でも、こういうことは、当時わずかに持っていた、僕の強みだったんじゃないかと、思いたいのです。

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松島さんは、電光石火の人でした。
あっさりと、はじめてお会いした、その場で決断されます。

いっそのこと、うちの中にはいって、
一緒にやりませんか。


アライアンスのトレーニングは、確かに生きました。売却によるExitも、そのコツは、本質的に同じだったのです。

目を水平線にこらすと、再び沖には、波が立ってきているのを、確認したのです。ついに、うねりが届きはじめました。

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