労働者としてのアイドル(2011.12)

以前メルマガに寄稿した文章を載せてみます。3年前のものですが、今も変わらない部分が多いのではないかと思います。今読むと懐かしい記述も多いですね。(この記事は投げ銭形式にしています。)


  いよいよ、アイドルが労働者としての様相を帯びてきた。2011年を終わるにあたり、その思いを強くしている。もちろんもともとアイドルは基本的に労働者であったのだが、それがいよいよ可視化されてきたという印象だ。メディア上でクリーンなイメージの徹底した管理がなされてきたと思われるアイドルという領域であるが、アイドル稼業における苦労・苦悩・葛藤がアイドルのブログ、twitter等さまざまなところから滲み出てきている。考えてみると、アイドルグループが乱立するこの激しい競争の中で、売上げノルマ(的なもの)、時間外労働、休日出勤、感情労働、薄給(というか無給の場合も多かろう)…と、実はアイドルには非常に強い負荷がかかっている。

  もちろん「労働」に負のイメージだけを読み取るわけにはいかない。あらかじめ確認しておくが、ここで私はアイドルが劣悪な労働環境で苦しんでいるということのみを訴えたいのでもないし、アイドルファンやアイドルを雇用する側がその意味で若いいたいけな少女を搾取しているということを非難したいのでもない。労働は、人間にとって義務であると同時にまた権利でもあるのだ。その意味では、アイドルがますます超越性を失って、人間の労働者として我々の地平にまで降りてきている、という言い方もできるかもしれない。ともかく、2011年のアイドルをめぐる動きを、「労働者」という観点から振り返ってみよう。(このコラムでは、アイドルに関して、女性グループアイドルを念頭において話を進める。グループ名には『 』を付した。)  


■営業成績

  今のアイドルが置かれた状況を簡単に確認しておこう。成果主義的な考え方をとるならば、労働者はなんらかの数字を達成することが求められる。アイドルもまた、様々な数字を求められているということが言えるだろう。たとえば、CDの売上げ、ライブの集客数があげられる。CD売上げではいまだにオリコンチャートの何位に入ったかということが、世間一般における人気の目安とされているようだ(『ぱすぽ☆』は2011年5月にデビューシングルでオリコン1位を記録)。

  しかしそれらは、アイドルグループにおいては個人の人気を測るものではない。いま、握手などの「接触」がアイドル現象を稼動させる中心的な仕掛けとなる中で、個人別の数字が如実に出てきていることに注目しなければならない。 もっともはっきりと表れる人気の指標は、握手会における列の長さだろう。多くのアイドルグループが個別の握手会を開催している。またメンバー別にCDを出したり、人気投票がされたり、他にも2ショットやトーク券、個別サイン会など、グループ内での人気差を否応なしにアイドル自身が意識させられてしまうようになっている。またブログのアクセス数や動画の閲覧数なども如実に人気差を表してしまう。グループアイドルは一人が脱退してもグループとして致命傷を受けずに存続できるメリットはあるが、逆に人気のないメンバーほど、自らのグループ内での存在意義に疑問を持ったり、将来への不安を感じることもあるかもしれない(この辺の問題に関して、元『ももいろクローバー』早見あかりの脱退が議論を呼んだ)。 また、極端な例としては次のようなことがあった。 『AKBN0(エーケービーエヌゼロ)』(現在は「N0」というグループ名)は売上げ至上主義を謳うアイドルグループで、個人別の売上げ順位を定期的に発表している(ダンス・歌の実力も加味されてランキングが決まる)。7月に引退したあるメンバーは、「AKBN0の売上げ至上主義は、私が想像していたよりも露骨過ぎました。」とコメントを残して辞めていった。 


 ■労働時間

  アイドルはいつどこまでがアイドルか。いつアイドルをオフにできるのか。アイドルを「降りる」ことのできる時間が減ってきているかもしれない。『スマイレージ』が「24時間365日」営業していると謳うように、また『私立恵比寿中学』が「えび中一週間」という曲において、「土・日・祝日だけじゃないっ」、「月火水木金も営業中」と歌うように。それはアイドルを応援する身としては頼もしい限りだが、一方では常にアイドルでいなければならないという拘束感をアイドルに与えるかもしれない。実際、多くのアイドルがtwitter、ブログ(そしてコメント返し)に携わり、『AKB48』における「モバメ」(メンバーからメールが送られてくるサービス)、「Google+」、他にもUstream放送を行うアイドルも存在し、どこからどこまでがアイドルの仕事なのかが分からなくなってきている。問題は、ネット上においても常にアイドルとして見られていることを意識して振舞わなければならないことと、ブログ更新やコメント返しなどは、やろうと思えば際限なく続く作業であり、過重な時間外労働となりうるということである。 


 ■体力

  『AKB48』の握手会では、体調不良でダウンするメンバーが出ることがある(握手会の問題点は後でも述べる)。また最近はケガによって長期離脱を余儀なくされ、リハビリ生活に入るメンバーもいる。『モーニング娘。』の光井愛佳は足の疲労骨折で長期離脱中。鞘師里保は坐骨神経痛でライブをしばらく休んだ。『Fairies』の藤田みりあはレッスン中に足首を骨折、先日(11月末)復帰した。学生であるアイドルの場合、平日の学業と、レッスン、トレーニングに土日を中心としたイベントと、若いとは言え体力的にはかなり厳しいスケジュールをこなすことになる(愛媛のアイドル『ひめキュンフルーツ缶』は「ひめキュン参上!」という自己紹介ソングの中で「アイドルと学業の両立はきついけど頑張るしかないわ」と歌う)。疲労が取れないままに体に負荷をかけたためにケガをする(体調を崩す)という構図は、プロのアスリートさながらである。 


■感情労働 

  感情労働とは、Wikipediaによれば「肉体や頭脳だけでなく「感情の抑制や鈍麻、緊張、忍耐などが絶対的に必要」である労働」のことである。私は常々、高速で大量の人数をまわす握手会を中心として、アイドルは典型的な感情労働であると考えてきた。アイドルは基本的にどんなファンに対しても「笑顔で感謝」というスタンスを崩すことができない。アイドルである以上、ほとんど常に笑顔で、かわいくあらねばならない。 握手会では、不特定多数のファンを相手に、数秒~1分程度で相手と適切なコミュニケーションをとらなければならない。できるだけそれぞれのファンに対して「好意」を示さなければならないし、そうした感情表現を含めたふさわしい応対を秒単位でファンに対して行うということを、場合によっては千人以上に対して繰り返し行わなければならないのである。時にはアイドルが傷つくような発言や、セクハラまがいの発言をするファンもいるであろうが、そうしたファンに対しても決して笑顔を崩してはならないのだ。そう考えると、握手会はその運営の仕方によっては、ひどくアイドルを疲弊させる労働になると言えるだろう。(AKB48オフィシャルブログ9月11日の記事では、「イベントに参加した人がメンバーに酷いことを言ったり、馬鹿にしたり、おもちゃのゴキブリを持って脅かしたりするという事を聞きます」とある。) 


 ■解雇・退職 

  2011年10月に、『ぴゅあふる』小板橋優姫がファンとプライベートで会い、物を買ってもらったことが判明して解雇されるという事件が起きた。『AKBN0』も7月に、ファンとのプライベートなやり取りが原因と思われる脱退者が3名も出た。『AKB48』関連グループにおいても、プリクラ流出等のスキャンダルを原因とした謹慎や解雇の話はしばしば聞く。また、『中野腐女シスターズ』のメンバーであった乾曜子(『腐男塾』の紫集院曜介)の脱退(7月)については、本人の希望ではない年齢的な理由での脱退ではないかという推測もなされ、ファンの中では抗議や反対署名活動なども起きる事態となった。その他、理由は様々ながら、10月から年末にかけてアイドル卒業・脱退のニュースが相次いだ。『アイドリング!!!』の谷澤恵里香とフォンチー、『私立恵比寿中学』の宮崎れいな、『ぱすぽ☆』の佐久間夏帆、『スマイレージ』の前田憂佳、『SDN48』の解散決定…。人気のあるアイドルグループだけでも多くの「退職者」が出ることとなった。理由はどうあれ、アイドル稼業を続けていくことの難しさというものを想像させるに十分な数である。

  以上見てきたように、アイドルは労働者として見た場合、(「枕営業」のような都市伝説的なものを省いて考えても)相当厳しい労働条件を課され、また長く続けることの難しい存在である。精神も肉体も未発達な少女に対する負荷の大きさはいかばかりのものか。したがって、ある程度アイドルグループを健全に運営するならば、『さくら学院』が「成長期限定!!」を謳うように、アイドルを「定年制」にすることを考えるべきではないか、とすら思えてくる。 


■労働讃歌 

  さて、現在アイドル楽曲は『AKB48』を中心として自己言及性の強いものが目立っているが、ここまで述べてきた状況を反映するような、「労働」を扱う楽曲が最近登場した。 アイドルの労働ということですぐに思いつく曲は、『アイドリング!!!』の「職業:アイドル。」(2008年11月19日発売)だ。「アイドル」という仕事についての曲で、PVはメンバーがタイムカードへの打刻をするシーンから始まる興味深いものだ。 しかしここでは、今年ブレークし、アイドルに関心のない層にも認知度が高まっているであろう『ももいろクローバーZ』の曲「労働讃歌」(2011年11月23日発売)を取り上げよう。

(公式動画 http://www.youtube.com/watch?v=GDhFNdmVR5U  )

「労働讃歌」はその名の通りの曲だ。「働こう 働こう その人は輝くだろう」と歌う。「職業:アイドル。」と異なるのは、ここでの「労働」が、アイドルにおける労働と、聴き手であるファンの労働の両方を指しうるということだ。言い方を替えれば、アイドルとファンの区別をつけていない曲だと言うことができる。「働くと 働くと 君に会う時 うれしいし 働くと 働くと 君の笑顔が見れるし」。これはアイドルにもファンにも成り立ちうる歌詞だ。 「人に使われたら負けなんじゃないか?」という歌詞がある。アイドルこそ大人にいいように使われる「操り人形」のように考える人なら、この歌詞をアイドルに歌わせることの悪辣さを感じることだろう。しかし『ももいろクローバーZ(ももクロ)』をある程度知る人なら、この歌詞を歌うことを、ただ「やらされている」という受動性を超えたパフォーマンスに昇華できる彼女たちの強さを知っているだろう(『ももクロ』はその圧倒的なパフォーマンスで演劇性を超越する、としばしば論評される)。「もちろんいいことばかりじゃないがな そんなの働いたなら言わずもがな」と彼女たちが歌う時、そこには実際にアイドルとして課されたものを義務としてこなすだけでなく、権利として前向きに取り組もうとする明るさや強靭な意志を見ることができるかもしれない。「労働の喜びを今こそ歌おうぜ!」と歌う彼女たちが今ブレークして輝いて見えるとすれば、それは実際に彼女たちがアイドルという「労働」を喜んでいるように見えるからだ。人にいいように使われている感の強いアイドルの「労働の喜び」を聞くことで、我々は自らの労働をも「権利」として捉えていく契機とすることができるかもしれない。(ここでは『ももクロ』を例に挙げたが、他の魅力ある現代アイドルたちもその身体の躍動によって、我々に同様の希望を与えてくれる。)


  アイドルには厳しい労働条件が課されている、と先ほど述べた。しかし、それは必ずしもアイドルの不幸を意味しない。握手会も、ブログ更新も、人気競争も、楽しげに悠々と乗り越えていけるアイドルはいるだろう(もちろん何の苦労も無いわけはない)。そういった意味でのアイドルへの適性といったものは確実にある。アイドル適性をもったアイドルが生き残るという点では、アイドル乱立の今、厳然たる淘汰が行われていると言えるだろう。そして厳しい労働条件をものともせず、淘汰を生き延びるアイドルに対しては、我々は畏敬の念を持つかもしれない。そこでは、超越性を失い、労働者として我々と同じ地平に降りたはずのアイドルが、その超人的な仕事ぶりによって、再び超越性を獲得していくことになるだろう。

(この文章はこれで終わりです。もしこの文章が面白かった、お役に立てたようであれば、ぜひ投げ銭してやって下さい)

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