もうアカン

 大阪の西天満に「もうアカンやめます!」「店じまい閉店セール」と謳ってかなり長く(おそらく10年以上)営業していた有名な靴屋さんがあった。数年前ホントに閉店してしまい、東京から来た客人に大阪の面白さを伝える恰好の名物をひとつを無くしたことはとても残念だった。
 このイベントの確か9回目、HPのトップで「もうアカン、やめます!」とオマージュしたくらい。
黄色のテント地に赤字で書かれた強烈な売り文句は、実に大阪らしいなぁーと感じていた。

 ちょうど同じ頃、我が南森町の天神橋商店街には「アメリカ村衣料」という豹柄メインのアパレルショップがあり、看板に「もうアメ村には行かせない!」「3枚買うと店員がアホになって2枚分の値段で買えます」といったイカしたキャッチを掲げるお店もいつぞや無くなってしまった。

 店名で秀逸だったのは十三ファンダンゴ近くにあったHな無料案内所。「名案内コナン」でコナンがサングラスしていたり、某コーヒーショップのロゴをほぼパ◯リ「スケーベックスコーヒー」て看板を掲げていたのも見るたびに笑えるし(アカンけど)ある意味感心していた。

 ネタか天然なのかよく分かんないのもあるが、おおよそ「しんどいことや、世間から虐げられるものも笑いに変えてポップにしてやろう」という大阪人の気質が見え隠れする。


 大阪でしかやれないこと、大阪だからやれることってなんやろう?
と、ライブ界隈の人が考えなくてもいいことをずっと考えてこの仕事をやってきた。

 ここ20年くらいか、ネットの普及により全国どこにいても同じ情報が入ってくる環境で「地域性」なんてものはだんだん薄れてることを実感する。
その土地の文化を育むのが、
何かを表現する会場やそれぞれに主張するお店であったり、独自に発信する媒体だとするならば、
ネット配信であらゆる芸を見れて、スマホで買い物、YouTubeとSNSで情報を得る昨今、もはやその土地独自の文化ってだんだん無くなってきている気がする。レゲェが寒い地域でしっくりこないように、最終残るのは気候差くらいだろうか。

 関西でも一部ライブハウス、会場やメディアにまだその空気が感じられるものの、30年以上前にファンダンゴや磔磔でウルフルズを観た時「これは大阪でしかありえへんなぁ〜サイコーやな」というその土地、風土にあった音楽ともここ最近出会ってない気がする。

 60年代後半、難波のはずれに「ディラン」という喫茶店があったらしい。
全国的にフォークブームが到来。しかし関西のミュージシャンはカウンターとしてのフォークやR&Bといった東京にはない「ならでは」の音楽を発信していたようだ。例えるなら巨人が嫌いで阪神を応援する感覚と似ている気がする。ええかっこしているよりも土着的なものを好む傾向が音楽にもあったのだろうか。
 そしてライブハウスも無かった時代、ディランに集まったミュージシャンから派生したイベントが「春一番」というタイトルで71年に今はなき天王寺野音で行われたらしい。おそらく日本で最初のロックフェスに該当するのではないかという、東京から「はっぴいえんど」の名前も見つけられるとても貴重な出来事がこの大阪ではじまったようです。
(50代のワタシもリアルタイムで知らないので全て推定)

 その後、春一番は50年ものあいだ、だいぶお休みされたり、紆余曲折ありながらも今年また再開されるそうです。今はタイトルを「祝・春一番」とされてますね。
大阪でライブの仕事させて貰っている人間の端くれとして非常に喜ばしいこと。

 最盛期には野音で確か5日間くらいの規模だったのがだんだん日数が減ってきた際、主宰であられる大先輩に縮小の理由を聞いたところ
「ああん?年々出る出演者があの世に逝ってもうてやなぁ、減らさなしゃ〜ないやろ?ガッハッハハ」
と豪快に笑いとばされて、こっちは全く笑えなかったがまぁそうゆうブラックなとこもやはり実に関西人らしい。
起こってしまったことはもうしゃーないやないか、という覚悟と開き直りからの「笑い」なのだと思う。

 もしも大先輩方が辞められることがあれば「春二番」として若輩な私が闘魂継承させて頂く!
、、、なんて根性は、毛頭ありませんが今後とも末長く続くことを願っております。

そんな春一番は今年服部緑地野音で
日程は5月3日〜5日の3日間!

オトダマってイベントが日程被せてしもてるやないかい。

 精神的になんだか複雑な気持ち、、、やっぱ春もやりづらいのかなぁ。
しかし今年に関してはしょうがない、と開き直りまして。
何が言いたいかと申しますと
大阪の文化的イベントである「祝・春一番」ともどもGWは、我が「OTODAMA」もご贔屓に!
ということでした。
引き続き宜しくお願い致します。
(結果、タイトルと本文は関係ありませんでした)