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議論の土台を批判覚悟で提供すること

さて、今月から開幕した「あいちトリエンナーレ」で従軍慰安婦を象徴するような、ある少女の像に対する批判が殺到している。

この像がある企画展の名前がもろ「表現の不自由展」というものの一作品であり、もうこの作品を展示すると話す段階で今の状況はとっくに津田さんはじめ、開催側は覚悟していた。というか、この賛否両論が巻き起こる状態を良しとしていたと思う。もう、予想済みとしか言えない。

私たちは、改めてこの国が表現の自由に対してどのような姿勢を取っているのか、中立に議論できるきっかけと捉えた方が建設的だ。この作品は自由度を測るリトマス紙みたいなものだ。私個人としては、どうか撤廃しないでほしいと思う。

アートが、きれいなもの、時代のカオスと無縁であれ、て誰が決めたんだ。私は、自身が批判(あるいは、反対派による何かしらの攻撃やテロ)を受けることを覚悟して、でもあえて日本が過去どう関係諸国と向き合い、今どうなっているかを世界中の来場者に問うてくれた、作品のクリエーター、展示を提案したキュレーター、そして決断した津田さんに対して、リスクを厭わない姿勢に心から敬服している。

そして、くれぐれも開催側の命が守られますように。そのような、憎悪の連鎖は断固断ち切らなければいけない。

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