時と場所の移動~Reあいちトリエンナーレー
消灯中の、名古屋は栄のテレビ塔前にて書いている。
8月中旬、兼ねてから気になっていた「あいちトリエンナーレ」へ、そして物心ついて初めての名古屋。そして今回、高速バスであいトリアゲインの目的は、映像プログラム。秋の気配で過ごしやすくなっている。
たった2日間だったが濃度が濃すぎて、とりわけ最終日の今日の作品がもう衝撃的で。
「A Day in the Aichi」。https://aichitriennale.jp/search.html?offset=0&limit=1000&search=&artwork_category_bn=fp&venue_category_bn=
私は、生まれも育ちも愛知ではないが、テーマが普遍的だった。時と場所での人の変遷、なりわいや他者との関わり、、これはどこにでも通じるなと。ぶっちゃけ愛知、名古屋には何の感情もなかったが、津田さんプロデュースのあいトリのおかげで身近に感じた。めちゃくちゃ偏見だが、通りですれ違う人や一本入った通りにどことなく偏愛(態)的要素を本能的に感じていて、それは今日のカンパニー松尾さんの作品を見て、あ、仮定が検証されたと思った。
外からは、乙な良さとか、一見分からないと(確かにソトモノから見て愛知県は自己完結、ある意味地産地消なのかも)しても、でもコア層は必ずいる。東京だから、とか、もうないんだよな。同年代の出演者の言葉に共感しきり。なんなら、もう国籍も関係ないじゃんねと。出身も背景もソトモノの津田さんのおかげかも(同学の先輩ゆえ彼への思い入れが強い)
今、あらゆるコミュニティーが趣味嗜好の意味でいろいろある中、本トリエンナーレのような、公共的に表現しつつも、ミクロに愛知、あるいは彼らにとっての名古屋の一面も見えた、なんともふれ幅が広く感謝。(少なくとも私の住む県ではもう知事の発言でできないだろう)
何の縁もない場所から、私につながるある意味とっかかりができた。
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