わたしたちの活動に賛同して頂いた方の声を紹介します!!!(逐次更新中 最終更新6月28日)


清義明さん(作家。横浜の野毛のBAR「GIMME!GIMME!GIMME!(ギミギミギミ)」オーナー。「サッカーと愛国」イースト・プレス  2016年)

「路上での飲酒を禁止しても、渋谷の街の特定の日の迷惑行為は収まらないでしょう。それをしている人のどれだけが路上やコンビニなどで酒類を飲んでいるかといえば、相当に疑問です。法として実効性がないばかりか、その他の禁止事項は様々な弊害が予想されます。渋谷区はもっとまともな対策を。」

塚田薫さん(作家。「日本国憲法を口語訳してみたら」幻冬舎 2013年)

「飲みたいわけじゃないし騒ぎたいわけじゃないけど飲むなって言われるのは違うよね」

山口祐二郎さん(憂国我道会会長、作家。キャバクラ王)

「渋谷での路上飲酒を禁止するなど言語道断。私は酔っ払いの味方をする者ではないが、まるで暴対法、暴排条例が日本国憲法が定める基本的人権の尊重を無視して、犯罪ではなくヤクザだというだけで裁くようになった権力の横暴にそっくりな構図である。
ハロウィン等で一部の酔っ払いが暴徒と化し法を犯したからといって、それを理由に路上飲酒禁止条例の制定を目論むことは愚の骨頂だ。 暴対法、暴排条例が結果としてヤクザのマフィア化を急速に進め、法の網を掻い潜る半グレと呼ばれる新たな勢力を台頭させ、アウトローのシノギが老人を騙す詐欺などに変化をしたように、路上飲酒禁止条例は隠れてバレずに飲酒をする酔っ払いを増やすだけの悪法に他ならない。
法として実効性がないばかりか、逆に治安の悪化を招くことになるだろう。」

鶴見済さん(フリーライター。著書『0円で生きる』)

「個人の自由はとてつもなく大事なものなので、それを抑制しようとする動きにはよくよく神経を尖らせていないといけない。
犯罪が起きたりすると、それを口実に個人の自由を抑制しようとするのは、とてもよくある手口です。」

かとうちあきさん(旅コミ誌「野宿野郎」編集長。横浜のお店のようなものの店主)

呑む呑まない、騒ぐ騒がないは、わたしが、わたしたちが、決める。わたしは路上で好きなときに酒を呑みたいし、いい気持ちになってごろごろ寝たいし、してゆくぞー!ってことで、わたしは渋谷区の上からで対話のない規制に、反対します。

神長恒一さん(だめ連)

自分はもう30年ちかく路上で飲酒パーティをしてきている。
規制なんてとんでもない!
路上はどっかからどっかへと移動するためだけのものではない。
そこは人が出会い、たたずみ、遊んだりする公共空間なのだ。
海外に行くと道で平日の昼間から人と交流したりぼーっとたたずんでる人がたくさんいる光景をみることができるし、日本だって僕が子どものときは子どもが道で遊ぶのは当たり前の光景だった。
今この国はうつや自殺がおおい生きにくい社会になっている。
路上での飲酒を規制したりしようとしたりするから、ますます息苦しい社会になってしまうんだ。
路上で酒を飲んだり遊んだりすることはいいことなのだ!もっといろんな街で路上パーティが増えていったほうがいい。そうなれば社会も風通しがよくなって生きやすくなって、閉塞したこの社会がどんどん面白くなっていくと思う。救われる人もたくさんいると思う。楽しむことはいいことだ。
街がもっと気さくな出会いの空間になればいい。ここは日本の社会がよくなっていく重要なポイントだと思う。
路上での飲酒を規制なんかしたらダメだ!苦しむ人がますます増える。
もっとみんなで路上で酒を飲んだり遊んで、自由に楽しく生きていこう!

内田勉さん(テレビディレクター。シェアハウス運営者)

渋谷の「路上飲酒禁止に反対する活動」を見て考えたこと #路上飲酒 https://d-t-v.com/blog/2266

水谷晨さん(作曲家)

私は数年前まで6年間、オランダに留学していました。そこでも多くの欧州諸国と同様、路上での飲酒は禁止され、ビール瓶を片手に道を歩くと警察官に注意される、そういう国です。しかし一方で、オランダ各都市の街路の脇や所々にある広場ではバーやカフェのテラス席が並び、そこでは皆で野外での飲酒、雑談を楽しんでいました。また沢山ある広場では様々な集会が開かれ、言論の自由、そして集会の自由が実質的に守られていました。
一方で日本の首都である東京はどうでしょう。今までの都市計画の歴史の中で新宿駅西口の様に、「広場」は「通路」に変えられ、集会の自由、そしてそれらを通じて実践される民主主義が次々と制限されてきました。そして今度の渋谷区における「路上飲酒禁止」条例案は、このように抑圧的な「広場封鎖」の過程にあるものと認識せざるを得ません。私は拙文をもって、この「路上飲酒禁止」条例案に断固反対すると共に、日本の都市における集会の自由、そして公共空間の真の公共性が保たれる事を願ってやみません。

にぬまさん(Caffe BARかくれがのオーナー)

学生時代、渋谷に住んでました。立飲み屋やクラブが並ぶ道を通って家に帰り、他人が路上で大騒ぎしている時に、私は大抵は参考書に埋もれ鬱屈としていて、酔っ払いが迷惑に感じる事も確かに多かったのだけれど。
模試が終わった後にコンビニで缶チューハイを買い、露店のたこ焼きを友人と分け合って食べたのは、今でも良い思い出です。路上の解放区を規制する事で得られる安全と安心は、自由を差し出し自らに足枷を嵌めるほどに価値のあるものでしょうか?自由と喧騒の街ならではの良さがあるのだと思います。

井野朋也さん(新宿のビア&カフェBERGの店長)

「道はそもそも何のためにあるのでしょう。歌ったり踊ったり食べたり飲んだりデモしたり立ち話するためにあるんじゃないでしょうか。まあ自動車も通っていいですけど。誰かの落としたゴミや煙草の吸殻がある。誰かが掃除の仕事にありつける。それが道じゃないでしょうか。ここはただの通路だ。立ち止まると邪魔だ。ゴミは家に。そんなアナウンスが繰り返されるうちに道は道であるということを忘れてしまいます。道が元々誰もがアクセス可能な生活の場であったことを忘れてはなりません。人を(なるべくバラバラにして管理したい)権力者がいくら眉をひそめても、そこはゆずれません。」




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