見出し画像

西東京市 江戸東京たてもの園 子宝湯

今週は驚きの連続だった。

木曜日だかには、我が家の家人がサ活にコメントを寄せてきた。「家人」のハンドルネームとは私も舐められたものだ、なんだコイツ。とプロフィール画像を見てみると、私が撮ったリアル家人の画像。三軒ハシゴしたと書いたサ活に「ふーん、三軒行ったんだ、ふーん」とご立腹だ。申し訳ない!あーいとぅいまてぇーん!

金曜日はサウナーミーティングで、深夜二時に帰宅して心象が悪すぎる。しかも、二次会はカラオケ。さらに悪いことに、二次会を提案したのも私ならば、カラオケを選んだのも私であった。あーいとぅいまてぇーん!

昨日の土曜日は流石に大人しくしていたが、27日今日までの「『大銭湯展』には私が行かずして誰が行く!」と鼻息荒く誘うと「じゃ、ご自由に」との事なので、府中からバスで武蔵小金井まで向かい、てくてく25分ウォーキング。

晴れてきたなあ、暑いなあと東京たてもの園の正面で、見覚えのある坊主頭がアイスクリーム片手にチャリで過ぎ去ろうとしている。「おい!」と呼ぶとサウナーのkimoさんはびっくりたまげている。本当はカラオケ代を一部補填してもらいたかったが、今回は半分寝ていたもんね、ということで泳がせることに。次回からは二次会にしろカラオケにしろ、一時間コースではなく、飲み放題だとか無制限コースにしよう。三時間で四人で24000円てアンタ!あーいとぅいまてぇーん!

ということで、ぶらぶらと展示を鑑賞です。

プロローグ〈日本入浴史〉
第1章 江戸東京の入浴事情
第2章 東京型銭湯
第3章 銭湯黄金時代
第4章 平成の銭湯
エピローグ〈銭湯新時代〉

江戸時代にはじまる湯屋が東京に広まり、1968年の2687軒をピークに数を伸ばした銭湯。そしてまた時代が下るとともに2018年には544軒まで減ってしまった歴史的変遷。要は家庭用風呂の普及と反比例しているのだけれど、一日あたりの利用者数はピーク時の530人から2013年の119人と一旦底を打ち、2018年の138人まで増えているというのが不思議。銭湯ブームの恩恵なのか。

足立区から移築され、保存・公開される「子宝湯」には、こじんまりとした縁側と庭があり、昼間に見舞えることがうれしい。浴室壁のタイル画や男湯の富士山のペンキ絵など、お湯のないところで見えるのがとてつもなく珍しいんだよね。お掃除担当だったら、ついつい見上げてサボっちゃうよなあ。

展示では特に、銭湯の一日や、「銭湯検定」テキストで学んだ江戸時代からの銭湯の歴史が面白かった。なかなかいいね。それから「子宝湯」の湯船が楽しい。ぜひ次期も行こうっと。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?