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ソジャーナ・トゥルース 25断食

加藤周一の著作だったと思うのですが、「キリストはキリスト教徒ではなかった」という一節を読んで衝撃を受けたことがあります。イエスとその弟子は、既存のユダヤ教を批判した改革派であったのが後世になってキリスト教という別の宗教として独立したようですが、どうも私の限られた知識でははっきりしません。

『ブッダのことば』も、釈迦はバラモンの形式主義を激しく突きながら「執着を捨てよ、修行に励め」と唱えていたものの、新しい宗教を始める宣言ではありませんでした。

わたしはおそらくどのような信仰も持たないままでしょうが、一般教養程度に世界宗教のことを知りたいと考えています。でもこの調子ではなにもよくわからないまま終わってしまいそう。。。断食をしたら頭がはっきりするのでしょうか。

(カバー写真:ロックダウンが始まってから、近所のお嬢さんが自宅前の路上にチョークで書いているメッセージの一つ)

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 イザベラがピアソン氏宅に住んでいた時、氏は毎週金曜日に断食を始める習慣があった。木曜の夜から金曜の夕方六時まで、何も飲食しなかった。断食は二晩と三日と続いた。一切食べ物を口にせず、水一杯飲まない。三日目の夜になると、いつも通り夕食を取った。

 イザベラは氏に、断食をする理由を聞いた。答えは、「断食をすると神についてはっきりとものを考えられるようになるから」だった。話を聞いたイザベラはこう考えた。
「わたしも、はっきりした頭でものがよく考えられるようになりたい。断食でそうなるんなら、私もぜひそうしてみよう。ピアソンさんが二晩と三日食を絶たないといけないなら、もっと頭をはっきりさせないといけないわたしはもっと長い間しなければ。そうだ、三日三晩にしてみよう」

 イザベラはこの決心を文字通り実行し、三日三晩もの間、水一滴口にしなかった。四日目の朝起き上がろうとすると、足に力が入らず床に倒れた。どうにか立ち上がると台所に行った。お腹がぺこぺこだったが、ガツガツ食べては神さまが気を悪くされるかもしれない。我慢してパンと水だけにしたが、パンは大きなのを六つも食べてやっと落ち着いた。

 断食の結果、体は確かに軽くなったものの、頭のほうは前の通りだった。体の軽やかさは長く続いた。あまり軽くて元気になったもので、まるで「カモメのように飛べるような気が」したという。

25断食 了 つづく

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