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ソジャーナ・トゥルース 23落穂拾い

 ハロウィーンでは、飾りつけをしている家にトリックオアトリートをしていいことになっています。今年はコロナで「不特定多数の子にお菓子を配るなんてとんでもない」とデコレーションをしている家が少なく、寂しいハロウィーンとなりました。一年後の世界はどうなっているでしょうか。

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 奴隷時代に起きたことで、イザベラがさまざまな理由から活字にはしたくないと思っている辛い思い出がいくつかある。

 理由の一つはまず、彼女を苦しめた人たちが自分に都合のいいように話を変えていて、まだ存命中である無実の関係者が、イザベラの回想によって傷つくかもしれないということだ。第二に、公共の目にさらすべきではない内容が含まれているということもある。最後の重要な理由は、イザベラが奴隷の時分に経験した、彼女が「神さまの真実」と呼ぶことを洗いざらい話しても、とくに奴隷制に馴染みのない人にはあまりにも理不尽な上、不条理で不自然に聞こえ(人が常に自然なふるまいをするとは限らないのだが)、結果として信じてもらえない可能性があるということだ。
「うそつき呼ばわりされるに決まってますよ! わたしの言うことは一から十まで本当だけど、うそではないと分かってもらうために、よそ様と言い争いになるのも嫌ですしね」

 単に忘れてしまって適当なタイミングで書けなかったこともあるので、そのいくつかをここで述べておこう。

 イザベラの父のバウムフリーにはマウマウベットと結婚する前、二人の妻がいた。そのうちの一人ーーもしかすると両方かもしれないーーは、情け容赦ない人買いの鉄の爪で夫から引き離された。

 また、イザベラの夫のトーマスは、妻が売り飛ばされたあと逃げ出してニューヨークで一、二年過ごしたが、見つかって奴隷の牢獄に連れ戻されてしまった。さらに、主人のデュモントがニューヨーク氏が奴隷を解放する一年前にイザベラ夫妻を自由にすると約束した時、「独立したあと家族で住めるように丸太小屋もつけてやる」と話していた。しかしその千夜一夜の夢は叶わず、果たされない約束と実現しなかった希望の山に捨てられた。

 イザベラの記憶に焼き付いているものに、父から聞かされた小さな奴隷の話がある。ある時その子は、ひどく泣いて主人の家族をいら立たせた。そこで家族の一人がその子をつかんで壁に思い切り叩きつけたため、脳みそが辺りに飛び散ったという。

 また、あるインディアンの男が(当時イザベラの住まいの近くにはインディアンがたくさんいた)、奴隷の母親が嘆きながら、殺された血まみれの子どもの遺体を洗っているところに通りがかった。子どもが死んだ理由を聞くと、男はインディアン特有のどう猛さで「おれがそこにいたら、その人殺しの頭にトマホークをくらわしていたのに!」と憤ったという。

 ハスブルックという残酷な男は、結核で弱っている女の奴隷を所有していて、彼女が病み衰えているのにも関わらず綿紡ぎの仕事をさせていた。じきに女には子どもが生まれたが、その子は歩くこともしゃべることもできず、五歳になってもほかの子のように泣くことさえせず、ただ哀れなうめき声を上げるだけだった。頭の弱いその子の不憫な様子に、主人は憐憫の情をもよおすどころか、ごくつぶしを抱えたといって怒り狂い、気の毒な子をフットボールのように蹴るのだった。

 イザベラにその話をした老奴隷によると、ある時血も涙もないハスブルックは、子どもが椅子の下で丸くなって棒で機嫌よく遊んでいるところを、いじめて楽しもうと引きずりだした。そして思い切り蹴り上げたので、その子は部屋の反対側に吹っ飛び、ドアの先の階段を転がり落ちていった。老奴隷は、その場で死んだほうがその子のためだと思ったが、「体はどうしてモカシンのように丈夫なものだから」なかなかそうはならなかった。ついに子どもが息絶えたときには、まわりの奴隷はほっと胸をなで下ろしたものだった。

 その子をずっと苦しめていた主人は、奴隷とは正反対の理由で喜んだ。しかし、因果は意外に早くめぐってきた。ハスブルックが病のため、心身消失状態になったのだ。イザベラにことの顛末を伝えた老奴隷は、病床の主人をここぞとばかりに痛めつけた。

 彼女は力が強かったので、主人の介護を任されていた。主人の後ろに立ってベッドに座らせるときが、復讐のチャンスだった。病人の弱った体を鋼の手で万力のようにつかみ、奥さまの目を盗んで思い切り締め上げ、ゆさぶって持ち上げると、できるだけ乱暴にドスンと落とした。主人の息が荒くなると、奥さまが「旦那様にケガをさせないでちょうだい、ソーン!」と注意した。するとソーンは「もちろんですよ、奥さま」と猫をかぶって答えた。しかし奥様の注意が逸れるとまた締め上げ、持ち上げ、ドスンと落とす折檻をくり返した。

 彼女には罪の意識はまったくなく、ただ主人の病気が治ることを恐れていた。イザベラは主人が亡くなったあと、化けて出るのではないかと心配した。「大丈夫だよ」ソーンは答えた。
「あんな人でなし、悪魔が地獄から出しやしないから」

 多くの奴隷所有者が、自分の奴隷をいかに愛しているかを誇っている。そんな彼らが奴隷がどのような愛情を自分たちに抱いているかを知ったら、血も凍るほど震えあがるに違いない! カルホーン夫人の毒殺未遂や、同じような何百というケースを見るまでもない。だれもがそれを「驚くべき事件」と呼ぶのは、加害者の奴隷が自分たちを縛る鎖に感謝していると考えられているからだ。

 こうした逸話で思い出すのは、1846年のクリスマスの朝、ケンタッキーで筆者が奴隷を持っている友人と奴隷制について話した時のことだ。私たちは、人類が今の状態よりはるかに進歩しないかぎり、自分たちの仲間である黒人にふるわれている権力は、ずっと無責任に濫用され続けるだろうと主張した。

 一方の友人は、残酷な奴隷制などというものはほとんどが想像の産物であって、その時私たちのいたD郡で奴隷をひどく扱う者など一人もいないと信じていた。私たちは、もしそれが本当なら、ケンタッキーの人たちはニューイングランドの住人よりもよっぽど優れていると驚いた。ニューイングランドでは、郡はおろか町に対してさえそんなことは口が裂けても言えなかったからだ。そんな明らかに不正な点に関してさえ、私たちは自分の行動の釈明ができなかった。

 ところが翌日の夕方、友人は自分の間違いを潔く認めて、私たちに賛同した。というのも前日の朝、おそらく私たちが奴隷制の是非について議論していたちょうどその時、ある事件が起きたというのである。

 ある美しい女性が、D郡の友人宅からほんの数マイルのところに住んでいた。その人は社会的地位が高く、夫に大切にされていて、赤ん坊の娘が一人いた。彼女はその日、タビーという名の奴隷女の頭を殴りつけた。それだけでは飽き足らず、ベッドの台にくくりつけて打ちのめしたところ、タビーは頭が潰れて死んでしまった。タビーが死んだことを知らされると、若妻は言い放った。
「ああ、清々した。あの子には心配させられ通しだったから」

 しかし、誰もM夫人に殺意があったとは思わなかった。やっかい払いをするために殴りつけたわけではなかろう。タビーは血の巡りが悪くて、南部ではあまり愚かなため「ちょっとお仕置きしただけで死んでしまう」タイプの奴隷と思われていたのだ。

 M家の前では、タビーの殺害に怒った奴隷たちが集まって1、2時間ささやかな抗議をした。しかし、夫人は殺人者として扱われただろうか? 否! 屋敷はオハイオの美しい川べりにあったから、彼女はその夜、船に乗って遠方の友人宅に逃げ、そこで数か月滞在した。帰宅すると夫との生活に戻り、以後だれからも「嫌がらせを受けたり怖い目にあう」ことはなかった。
 しごくもっともな理由で怒る人びとが彼女に罰を与えていたら、私の胸は「非常な喜びにあふれ」ただろう(訳注:マタイによる福音書2:10、東方の三博士が生まれたばかりのキリストの場所を知らせる星を見て喜ぶ場面の引用)。

 しかし現実には、殺人を犯した一人の白人の命は、三百万人もの無辜の奴隷のそれよりも重いのである。その女の受けた罰ともいえない罰と、この世のだれと比べても平等のはずの奴隷がこうむった重い罰を比べるとき、私のはらわたは煮えくり返り、おぞましさに胸が悪くなる。 

 M夫人の夫は事件当時留守で、数週間後に愛しい妻のために豪華な土産を山ほど抱えて帰宅した。ところが幸せだった家庭はもぬけの殻で、殺されたタビーは庭に埋められ、かけがえのない妻にしてわが子の母親である夫人は恐ろしい殺人者となっていたのだ!

 イザベラが初めてニューヨーク市に来たとき、グリアという女性と知り合いになり、裕福な商人でメソジスト派のジェームズ・ラトゥレットなる人物の家族に紹介された。ラトゥレット氏は晩年になってキリスト教の慣習にあきたらなくなり、亡くなるまでの数年前の間、自宅で独自の会合を開いていた。イザベラはラトゥレット家で働いた。ラトゥレット家の人びとは彼女がよそで働くようになってからも快く自宅に住まわせ続け、家族の一員として暖かく迎えた。
 
 当時、ニューヨーク市の慈善家たちは「道徳改革」(訳注:1930年ごろからアメリカで起きた、性的な堕落を改めようとする社会運動)に目覚めつつあった。ラトゥレット夫人やミス・グリアを初めとする大勢の女性が、ふしだらな生活を送る姉妹を救うことに深い関心を示した。これ以上堕ちようがないというくらい惨めな境遇の女性にも、救いの手が差しのべられた。

 慈善家の夫人たちは、イザベラやほかの仲間を女たちを救う危険な事業に引き入れた。イザベラたちは全力を尽くして救済の務めにあたり、それと同時に宣教の成果も大いに上げた。イザベラは夫人たちのあとをついて腐敗と苦難の巣窟におもむき、時には奥さま方が足を踏み入れないような悪所にまで乗り込んでいった。そうした荒んだ場所のいくつかでは、お祈りの集会まで開くことに成功した。

 しかし集まりに来た人びとは、すぐに大声を上げて騒ぎ出し、叫んだりわめいたりするようになった。興奮したあげくフラフラになり、騒ぎすぎてはばったり倒れたりした。イザベラはそんな人たちに同情を寄せることはできなかった。

 ある夜集会に参加した時、コートのすそを恍惚となった人が踏んずけたので、イザベラは床に倒れて転がった。周りの参加者はその様子を見てイザベラが精神的なトランス状態になったと思い込み、彼女の魂のために喜んで祝福し、飛び上がって叫び声を上げ、足を踏み鳴らして手を叩いた。しかし興奮のあまり祝福の対象は視界に入らなくなったので、イザベラは倒れたままもみくちゃにされ、青アザだらけになった。以来字彼女は、神がそんな恐ろしい礼拝と関係があるとは思えず、救済目的の集会に出るのはやめてしまった。

23落穂拾い 了 つづく


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