「答えなどない、あるのは答えを出そうとする責任だけだ。 大袈裟太郎 5か月目の香港取材に向けて」
6月12日、1発目の催涙弾が撃たれたちょうどあの日から香港の取材を続けている。
10月以降、自分は言葉を失ったように感じる。
それはあまりにもめまぐるしい変化に、情報処理やアウトプットが追いつかないからかもしれない。
10メートル横にいた記者が被弾し失明したり、
地下鉄に飛び乗り、東に行った奴らは全員血だるまになり、西に行った奴らは全員助かったり、高度な判断の連続の果てで、iPhone11proを盗まれ、
軽めのPTSDを抱えながら、日本に戻った。
気づけば中国からも日本からも殺害予告が来ている。
(愛国者が人を愛さないのはなぜだ?)
帰国後、投げかけられる言葉は、
「香港はこのまま行っても勝ち目がないと有識者が言っていた」
「やり方が古いんじゃない?これからどうなるの?」
「実は中国の●●派と✖️✖️派の権力闘争なんだよ」
「連合赤軍化してすべて終わりだよ」
現場を見てもいない、おじさん達からの謎の決めつけにさらされる日々だ。
そしてこれらの上からのご意見が皆、ウチナーンチュではなく、ヤマトの比較的リベラルなおじさんたちから投げかけられた言葉だというのも重要な気がする。
あなた方は、社説ですか?コメンテーターですか?
あきらめるか、あきらめないか、
それよりももっと以前の、謎の審判的なスタンス。
日本のおじさんたちが皆、神様的なポジションを取りたがるのはなぜだろう?
頭が良さそうに見えるからかな?
なんかホリエモンぽく感じる。
日本のおじさんたちは慢性ホリエモン病なのかもしれない。
そして日本のおじさんたちはどいつもこいつも逃げ足が速い。
あなた方が受け売りでする頭ごなしな決めつけが、すべての可能性を萎縮させていると気づきませんか?
では、あなた方が受け売りの材料にしている有識者や情報源たちに、
昨年の今頃、香港がこんな状況になっていると予想したものがありましたか??
ひとつもないでしょう。
現状、答えを知るものなどひとりもいません。
最前線のデモ隊の勇武派も、和理非も、警官隊も、香港行政府も、中国政府ですら、
正解は誰も知りません。
ただ、自分の、もしくは自分たちの目的を達成するために、
日々蠢いているだけです。
そこにあるのは圧倒的な、人間としての責任。
(警察や軍部、政府が責任の所在を曖昧にするのはよくあることだが、、、)
責任を持った個人たちが、命を最大限に使いながらもがく今の香港を見ている私にとって、
日本のおじさんたちの無責任コメンテーターぶりは、アスファルトのセミの死骸よりも価値がなかった。
しかし、そんな無価値なもので互いの可能性を縛りながら、脱出のドアを蹴破ることもできないのが今の日本だとつくづく感じている。
私は日本人に問いたい。
「正解」や「答え」を求めすぎていませんか?
そしてそれはあなた自身が「責任」を持って出したものですか?
私は香港で、ある中国人留学生と仲良くなった。
彼は中国人でありながら、香港のデモを支持する難しい立場を吐露してくれた。
それはヤマトンチュでありながら沖縄の自己決定権を支持する自分の立場とも共鳴した。
彼は香港に来て4ヶ月で、自分が中国で受けた教育がいかに、柔軟性のないものだったか気づいた。と語ってくれた。
中国ではいつも「正解」を教えられるばかりだったが、香港でそれを多角的に見る批評的な思考、クリティカルシンキングを知った、と言う。
これはもしかすると、日本の今の教育も似ているのではないか。
細かく話すに連れ、日本と中国の教育の類似点がいくつも見つかり、
彼もそれに同意してくれた。
「正解」や「答え」があるというのは、本当だろうか?
沖縄と香港を経た私には、「選択」と「行動」そのプロセスしかないように感じられている。
香港の最前線、生配信をしていると、40代のお父さんと中学生ぐらいの少年たちが、食い入るように僕のiPhoneを覗き込んできた。
日本にはこういうのがあるのか!生放送か!!
目を輝かせてお父さんも少年たちも興奮していた。
彼らは大陸から観光で香港を訪れたそうで、デモの現場の意味を理解しているのかしていないのかはわからないが、とてもきらきらした眼で、警察とデモ隊が対峙する間を小走りで駆け回っていた。
私たちは中国から来たから、こんなの初めて見た!!
外の世界に初めて触れた、というようなすごくワクワクするような肯定的な雰囲気だった。
そのお父さんはわざわざ私にレモンティーを買ってきてくれた。
その家族が大陸に帰って、どんな気持ちになるだろうか?
彼らにとってすごく衝撃的な体験だったはずだ。井の中の蛙が大海を知ったのだ。
いつかあの少年たちが香港へ留学するきっかけになるかもしれないし、中国でライブ配信の企業を立ち上げるかもしれない。笑
それは単なる夢想かもしれないけれど、
机上の空論やってる学者さんたちにはこんな市井の人々の存在は見えもしないし、
その可能性にも気づきはしないだろう。
朝、駅前の喫煙所でシンシンという女性に出会った。
お互い下手な英語でよくわからなかったけど、どうやら大陸からの短期許可のビザで、男相手の嫌な仕事をしているという。
大陸ではネイリストをしているそうだ。
とにかく今の仕事が嫌だし、デモも危ないし早く中国に帰りたいと彼女はいつも言った。
数日後、僕がiphone11proを盗まれたことを知ると、彼女はわざわざ港まで駆けつけてくれた。一緒にフェリーに乗り、九龍から香港島へ渡り、
フェリーから降りると彼女は、
明日やっと帰れる!しあわせ!
香港にはもう来たくないけど、沖縄にはいつか行ってみたい!
と言って僕にハグしてきた。
シンシンにはパスポートもないし、大陸に戻ればSNSももう届かないこともわかっていた。
だけど、再見!と言って僕らは笑顔で別れた。
彼女の心のなかに、沖縄がずっと残っていれば、
いつかまたどこかで出会うかもしれない。
そんな繊細な可能性だけが、僕らをかろうじて未来へつないでいた。
人と人が出会い、価値観が交わる。
何かが生まれる。変化する。
そこには人種も国籍も関係がない。
その可能性や悲喜こもごもを自分は大事にしたいし、見つめていたい。
「答え」など、たやすく出るものではないけれど、そこに在る合理的とは言えない何かの存在を自分は、これからも信じていたい。
首里城が炎上した朝。
まだ出火原因も特定されないなか、
ヤマトから押し寄せた「再建!再建!とにかく再建!」という言葉に私は恐怖を感じた。
「善意」という一見、絶対的な「正解」に見えるものの中に、
多様性や個の埋没、批評性の欠落など、全体主義的な息苦しさを感じたのだ。
「正解」「答え」「正論」に集団が絡め取られていく中で、
奪われていく「責任」や「プロセス」について、
もう一度、心ある人々は眼を向けてほしい。
例えば、2017年衆院選での立憲民主党立ち上げに吹いた風。
「風が吹いた」という「正解」だけ見るのではなく、
なぜ「風が吹いた」のか?
その「プロセス」を理解している人はどのくらいるだろうか?
昨今のれいわ新選組フィーバーにしても、誰が「責任」を持ち、
どのような「プロセス」であそこまでの盛り上がりになったのか?
「答え」ではなく、その「過程」を理解し共有すること、
そこに新時代の打開策、アイディアが隠されているはずだ。
もちろん、現安倍政権がなぜここまで長期政権になったのかもそう。
誰が「責任」を背負い、もしくは放棄しているかの解明。
「答え」ではなく「プロセス」の研究が今、急務だと考えている。
話を香港に戻すと、
もちろん現状は、より過酷さを増している。
今月頭のキャリーラム、習近平会談以降、弾圧は加速している。
公に死者が出てしまったし、実弾の発射にも香港警察はためらいがない。
港で浮かぶ水死体の疑惑も、拘置所でのレイプの疑惑もより濃くなっている、、、
これを書いている今もまた死者のニュースが聞こえてきた、、、
さらには、デモ隊側の暴力性についても肯定できない部分もある。
現状「答え」や「正解」は曖昧なもので、
この先に何が待つのかは、誰にもわからない。
だから私たちに今、できることは、「消費」でも「ジャッジ」でもない。
香港はこの5ヶ月「行動」しながら「思考」し、
トライアンドエラーを繰り返してきた。
彼ら彼女らが積み上げてきたこの一連の「行動」や「方法論」、
「答え」ではなく具体的な「プロセス」から、
僕らが何を学び、明日に活かすか。己の土地に生かすか。
それこそが今、僕らにとっても彼らにとっても、
もっとも希望のある「選択」ではないかと考えている。
実際に今、香港のbe water都市型闘争の方法論は、インドネシア、カタルーニャ、チリ、世界中に伝播し、SNSを使った新たな潮流を生み出している。
持たざる者たちが何かを変えたいのなら、
未来を選びたいのなら、
沖縄や、日本にこの「方法論」を活かさない手はないと思う。
彼ら彼女らの「勇気」や「行動」を自分のなかに活かすこと。
理解し、共有すること。そしてその行動に「責任」を持つこと。
それだけが今、僕が言える「答え」のようなものだ。
それは政治の現場だけではない。
生活の場でも同じことだ。
偏地開花、
彼らが死の代償まで払い咲かせた花は今、世界中に種を蒔き、
あらゆる場所でまた花を咲かせることだろう。
それは、虐げられるすべての者たちのために咲く花なのだ。
その種を伝書鳩のように運ぶのが、最前線で彼らの息吹に触れた僕の「責任」であり、
受け止めることが、この時代に生きる私たちの「責任」なのだと思う。
もちろん、香港が再び安定と民主的な自治を取り戻すことを最大限に尊重し、願い祈りながら、、、
しかし誰もが具体的に「行動」せよ、とは言わない。様々な立場があるからだ。
ただ、そう遠くもないアジアの街角で、
あなたと変わらない普通の眼差しの誰かが、今夜も催涙弾を避け走り回っている。
沖縄、辺野古では座り込みやカヌーを漕ぐ人たちもいる。
それを心の片隅で感じながら生きるだけで、あなたの世界はもうすでに更新されているはずだ。
そう、今は「答え」などなく、
あるのは「答え」を出そうとする「責任」だけなのだ。
そんなことを考えながら、また香港へ飛ぶ。
死への胸騒ぎは止まないが、それもまたこの時代に生きる責任で在ると自分は思う。胸に勇気と鉄板を入れて、また最前線へと向かうしかない。
「我々は血を吐きながら、繰り返し繰り返し、その朝を越えて飛ぶ鳥だ」
宮崎駿がナウシカの最後に込めた言葉の意味が今、少しだけわかったような気がします。混沌を極める東アジア、皆さんもどうか生きのびて、健康で、また会いましょう。
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大袈裟太郎
香港 プロテスターたちの表現力
[大袈裟太郎 interview in Hong Kong vol.1]
通信1609
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