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女ま館日誌20220926 蔵書整理 LaLa 別フレ 少フレ

先月末、定例になりつつあるアラ還トリオの蔵書整理を行いました。その成果のひとつがトップ画像の『LaLa』。Yさんの尽力によりフラグメンテーションが解消しました。2階や1階の奥に潜んでいた『LaLa』が1階真ん中の本棚にまとまりました〜。


向かって左側に創刊号からの『LaLa』がずらり!(うれしい)


Sさんは『別冊少女フレンド』(別フレ)、大井は『週刊少女フレンド」(少フレ)のフラグメンテーションの解消に臨みました。別フレは、1965年創刊、1985年1月号から、タイトルの“少女”が外れて『別冊フレンド』となり、現在に続いています。


1970年代前半の別フレは、亜土ちゃんイラストが表紙。背表紙も亜土ちゃん。なんというか、この背表紙は見ているだけで、わくわくします(1972年、わたしは小5だった)。2階北側の本棚です。

毎月13日は「別マ」(別冊マーガレット)、「別フレ」、「別コミ」(別冊少女コミック)の発売日で、心が踊ったものです。オールド少女まんがファンにとって、13日は特別な日です!

1970年代前半の別フレ(例えば、単行本未収録の大島弓子作品「遠い日のイブ」あり)
1975年からの別フレ。大和和紀先生が描かれた看板キャラクター、ケムケムくんが背表紙勢揃い。


少フレは、2階の水色本棚に創刊号から平積みされています。

1963年〜1978年までの『週刊少女フレンド』たち。ほぼ揃っています。


1979年からはちょっと離れた本棚に。


1980年からは、また、ちょっと違った本棚に。

1963年創刊の『週刊少女フレンド』は、『少女クラブ』の後継雑誌という位置付けでした。
1974年から月2回発行になり、
1989年から“週刊”が外れて「少女フレンド」となり、
1991年から『月刊少女フレンド」、
1996年10月号で終刊。
1923年創刊の『少女倶楽部』から続く長寿の少女雑誌の終焉と、新聞紙上でちょっと話題になりました。

「月刊少女フレンド」最終時代と終刊号

さて、ここで、自分でもわけがわからなくなってますので、整理してみます。

最初、『週刊少女フレンド』が世に出て、次に月刊の『別冊少女フレンド」が世に出た。

だけど1974年から『週刊少女フレンド』は月2回刊となった。隔週ということで、週刊、という名が長くタイトルに居座ったと思われる。少女まんがの世界で最初に週刊誌を出して、最初に撤退したわけ。

日本がバブルへ突入していく1985年、『別冊少女フレンド』から「少女」が外れて「『別冊フレンド』になってしまった。「少女」という言葉が、あまりいい意味を持たなくなってきたように記憶してます。うーん、もはや、よく覚えていない。

平成のはじめ、
1990年当時は、「少女フレンド」(月2回刊)、「別冊フレンド」(月刊)があった。
1991年当時は、「月刊少女フレンド」「別冊フレンド」と月刊誌が2つになった。
1996年末、「別冊フレンド」だけになった。

少フレ終刊に関して、すでに30代半ばになっていた私は、なんか、ほんとうに「少女」的ななにものかが、消滅したのだ、という気持ちがしたと記憶してます。

講談社が発行する「少フレ」「別フレ」は、個人的には、自分では買わなかったし、馴染みはないのですが、クラスの半分以上はフレンドを読んでいたと記憶してます。少女まんがの王道中の王道です。

あ、それで、少女まんが館では、少フレも別フレも、ほぼ揃っています。ララはたぶんぜんぶ揃っています(2000年発行まで)。

アラ還トリオ、1階と2階を行ったり来たり、蔵書を持ってあっちこっち、体力使いました。翌日、YさんとSさんから「筋肉痛が……」と。そう、なんと蔵書整理は、アラ還にとって、ちょうどいい運動(いや、少しハードか)でもありました!

ともあれ、これで、見つけにくかった雑誌がだいぶ見やすくなりましたよぉ。

Yさん、Sさん、ほんとにほんとにどうもありがとう。

重複分は71冊、昭島分室用に箱詰めして5個となりました。

昭島分室用に箱詰め5個分、LaLa 別フレ 少フレたち

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