クリーン・デイズ

(以下は、2015年に1年間通った、大阪文学学校の課題で執筆した文章です) 

クリーン・デイズ

                   金曜 小原クラス 大越 裕

 白い防護服に身を包んだ社長と平井さんは、アパートの一階にある現場の部屋のドアの前に並んで立つと、手を合わせて頭を垂れた。慌てて沢田陽介も合掌する。梅雨が明けたばかりの東京の午後の気温は三十度を超えている。防護服の中に着た背中に「本多清掃」と書かれたティーシャツはすでに汗でびっしょりだ。数秒の黙祷のあと、社長は「さあ、やろか」と言って、大家から借りたカギを経年劣化で塗装があちこち剥げたドアのノブに差し込み、扉を開けた。

 途端に中から、ぶーんという羽音を立てて無数の黒いハエが飛び出てきた。陽介は「わっ」と思わず声を上げた。ハエたちは頭まですっぽり覆った陽介の防護服にぴしぴしと当たって逃げていく。腕に止まった一匹の黒々と太ったハエが、何を養分として羽化したのかが頭をよぎり、汗まみれの肌が粟立った。

「ビビったんか」

 社長のゴーグルの奥の目が笑っている。正直言えば、今すぐにでも帰りたい。3年前、大学の夏休みに工事現場できつい肉体労働のアルバイトをしたときも、二日目には仕事場に行くのが嫌になったが、今感じているような嫌な気持ちは覚えなかった。しかし、ここでやめれば、二万円の日給がふいになる。胃からこみ上げてくるものを必死でつばを飲み込みこらえて、陽介は「いえ、大丈夫です」と、マスク越しにくぐもった声で返事をした。

 安全靴を履いたまま、社長を先頭に三人で部屋に上がり込む。以前、床に捨てられていた注射針を踏んで肝炎になった同業者がいるそうで、靴は脱がなくてもいいと言われている。カーテンが閉められた部屋は昼間でも暗い。窓の外はすぐとなりの都営住宅の壁だ。電気が止められているため、外に停めたトラックの荷台に積んである発電機とケーブルで繋いだ投光機を部屋に持ち込み、内部を照らす。

 入ってすぐの二畳ほどの狭い台所は、膝の高さまでゴミ袋やカビの生えたコンビニ弁当の空き容器、焼酎のペットボトルなどに覆われて、床がまったく見えない。ゴミのすき間を、カサカサと音を立てて這いまわるゴキブリの黒い影が見え隠れする。と同時に、鼻腔の奥に魚が腐ったときの臭いを濃縮したような強烈な異臭が飛び込んできた。先ほどの強がりとは裏腹に、その臭いを嗅いだだけで胃から酸っぱいものが込み上がってくる。慌ててアパートの外の植え込みの陰に駆け込む。防護服のフードとマスクを急いで脱ぎ、胃の中のものを洗いざらい嘔吐した。陽介の目に涙がにじんだ。

 首に巻いたタオルで口を拭い、深呼吸を何度かしてから部屋の前に戻ると、平井さんが陰気にくつくつと笑いながら「昼飯がもったいないなあ。終わったらホルモン焼きでも食べにいく?」と趣味の悪い冗談を言った。行きの車の中で休みの日はビジュアル系ロックバンドのベースをやっていると聞いたが、きっとそのバンドも悪趣味に違いない。社長は陽介の肩をバンと一発叩いて、「とっとと終わらそうや。長い時間かかると近所迷惑やからな」と、この場の空気に似つかわしくない元気な声で言った。

 二人は手際よく、手に持った六〇リットル入りのゴミ袋に、次々にゴミを投入していく。陽介も真似して手近なゴミを袋に入れていく。満杯になった袋はいったん部屋の外に出す。ゴミの地層の最下部から現れた牛乳パックの日付を見ると、一年以上前のものだった。あらかたのゴミがなくなり、安っぽい柄のビニールで覆われた床があらわになると、社長は手に大型掃除機のノズルを持ち、玄関先から吸い取り始めた。よく見ると白いウジが身をくねらせながら何十匹も灰色のコンクリートのたたきの上で蠢いている。平井さんは強力殺虫剤のスプレーを、動きまわるゴキブリとウジとハエにこれでもかとかけてまわる。異臭はさらに強まり、胃がえづく。吐くものが残っていないのが救いだ。

 二畳に満たない台所だけで五袋分にもなったゴミをトラックに積み終えて部屋に戻ると、社長と平井さんが奥の部屋に入り、右を向いて再び合掌している。恐る恐るその合掌が捧げられた先を覗くと、台所と同様にゴミで埋め尽くされた六畳の部屋の窓際に、ぽっかりと一畳分ほどの空間が空いており、粗末なちゃぶ台と、その脇に布団が敷かれているのが見える。

 布団の黄ばんだシーツに目を凝らすと、人の寝姿がそのまま黒い影のような滲みとなり、さらにその滲み自体がライトに照らされて、ぞわぞわと動いていることに気づいた。人型にウジの大群が湧いていた。

 陽介は「……あれ、俺たちが片づけるんですよね」と社長に尋ねた。平井さんが隣りで吹き出した。

「あたりまえやろ」

 社長が呆れたように言って、ほら、布団を持って、と陽介に命じた。恐る恐る部屋に足を踏み入れる。枕元の湿って茶色に変色した畳が安全靴の形に沈む。社長が布団に残る人影の足元のほうを持ち、陽介が頭側の布団の角を持ち上げる。頭部があったと思しき場所には、頭から剥がれた皮膚の残骸と白い毛髪がこびりついており、そこから丸々と肥えたウジが、何匹も陽介のゴム手袋に這い登ってきた。

「まだこれでもマシなほうだよ。死んだのは七〇代の爺さんだから、体に脂肪分が少ないでしょ。前に大学生のニートのデブが首つった部屋を片づけたときなんて、脂肪と体液が染み付いたフローリングを全部ひっぺがしたからね」

 青白い顔でぼそぼそ喋る平井さんの言葉が、十メートルも先で話されているように遠のき、陽介の脳裏から現実感が急激に失われてくる。何で俺は、よりによって、こんなバイトをしようなんて思ったんだろう。これは悪夢だ。ここは地獄だ。

 

 ほとんど精神が解離した状態で作業を続け、ふと気づくと、清掃は終わっていた。作業開始から四時間が経っていた。布団から滲みでた遺体の汁で腐った畳も運びだしたため、部屋の床は板がむき出しになっている。部屋には強力イオン殺菌機が設置され、これから数日かけて部屋の内部を殺菌する。殺菌完了までは使い捨ての防護服なしでは遺族といえども入れない。結核などの感染症に罹患する危険があるからだ。

「終わった? ご苦労さん。それにしてもひでえ臭いだな」

 いつの間にか入り口の外にアパートの大家らしき六十代後半の男性が立っていた。防護服を脱いだ社長と話している。顔見知りの様子だ。一昨日の採用面接のときに、大阪出身の社長が三十歳のときに東京にやってきて「本多清掃」を立ち上げてから、二十年になると聞いた。それから東京の東側、墨田区や江東区のあたりを営業エリアにしているうちに、この大家から、掃除の仕事を何度か請け負ったことがあるのだろう。

「孤独死する老人の多くは、死ぬ前にみんな生活が荒れるんですよ。まずゴミ出しが毎週の決まった曜日、朝の決まった時間にできなくなる。体と心が弱るからでしょう。自炊なんて当然無理です。それでも飯は食わんと生きてけないから、スーパーで安い弁当を一日一食か二食、買ってきて食べる。弁当ガラはどんどん貯まる。あっという間にゴミ部屋の完成ですわ」

 こういう現場を何百も見てきただろう社長の言葉は、陽介の耳にも説得力をもって響いた。テレビでよくゴミ屋敷の住人をさも異常者のように取り上げているが、今の世の中、一人暮らしで心身が弱れば、誰でもそうなる可能性があるのだと社長はいう。

 大家と社長の立ち話をわきで聞いているうちに、アパートで孤独死した老人の人生が浮かび上がってきた。警備員や道路工事など、日雇いの仕事をして生きてきた老人が、流れ流れてこの墨田区の古い二階建ての風呂無し木造アパートに住むようになったのが、三年前のことだ。最近では働いている様子もなく、スーパーへの買い出しと生活保護の金を受け取るときぐらいしか外に出なかったようで、近所との交流もまったくなかったという。

 老人は、毎月三万円の家賃を月末の支払日には振り込んでいた。それで、大家もとくに気にかけることもなかった。しかし昨日になって一階の住人から、「奥の部屋から、ひどい悪臭がする。虫も湧いているようだ」と大家のもとに連絡があった。あわてて駆けつけると、予想通り、老人が中で死んでいることがわかった。

 検証を行った警察の鑑識によれば、恐らく突然の心不全だろうとのことだった。ろくなものを食べていない独居老人には珍しくないことらしい。遺体はその足で警察が回収していったが、死後十日が経ち、屍臭がこもるゴミで埋まった部屋は、そのまま残された。それで、その後始末が、社長の経営する特殊清掃会社「本多清掃」に依頼されたというわけだ。

「それにしたって本当なら家族が立ち会って、掃除を手伝うぐれえ、当たりめえだよな」

 代々東京に住んでいるのだろう。落語に出てくる江戸の町人のような、勢いのある東京弁で大家は怒りをぶちまけた。警察が戸籍を調べたところ、老人は三十年ほど前に離婚していることが判明した。別れた妻は数年前に病死していたが、一人息子がおり、横浜で家族とともに住んでいることもわかった。すぐに大家は、警察から聞いたその住所に電話した。ところが、その電話で息子から、肉親とは到底思えぬ態度をとられたという。

「お父さんの件で電話しました、と言ったら、しばらく黙りこくってね。『法的には親子かもしれませんが、もう長いこと会ってません。実際には他人ですので』と言いやがんだよ。最期の様子を告げても、『警察から聞きました。あの人らしいですね』だと。頭にきて、あんたそれでも人間か、と言ったら電話を切りやがった。今思い返しても腹が立ってくるわ、ちくしょうめ」

「そりゃそうでしょう。でも正直な話、今回みたいな現場の場合、家族が立ち会ってくれるケースはそう多くないです。たいてい、こんなふうになるずいぶん前に、家族の縁が切れてる」、そう言って社長は大家をなだめた。

「翌日、息子の嫁から電話があって、清掃代は出しますって話にはなったけど……、まあ救いはそれぐらいだね」

「去年の両国のアパートのときは、大家さんのご負担でしたからね」

「そうだよ。あんとき死んだ婆さんは、身寄りがなかったから。いい加減こういうことが続くと、正直、老人には部屋を貸したくなくなるよ」

 それはそうだろうな、と陽介も思う。どれだけ脱臭剤や芳香剤を振りまいても、部屋から屍臭が完全に抜けるまでには数ヶ月かかるらしい。それに最近では、こうした孤独死や自殺、殺人事件などがその場で起こったいわゆる「事故物件」と呼ばれる不動産が、どこかの誰かの手でデータベース化されて、誰でもウェブで見ることができるようになっている。不審死が出た物件にわざわざ住もうという人間は少ない。アパートの経営にも、大きな損害が出ることは間違いない。

 しかし陽介は、社長と話す大家が着ている、仕立ての良さそうな麻のジャケットを見て、先ほど老人の部屋で壁に吊るされていた、薄汚れ着古されたジャンパーのことを思い出していた。

 この大家が死ぬ場所は、きっと家族に見守られた清潔な病院のベッドの上か、二十四時間誰かが付き添ってくれる介護施設に違いない。それに比べて、誰にも見とられず、死後十日経って、ウジ虫にたかられ腐臭を放つまで、その死を気づかれない生涯とは、いったい何なのだろう。陽介は数軒のアパートの不動産収入で暮らす大家よりも、その人生の後半をほとんど一人で生き、孤独に死んでいった老人に対して、いつの間にか名状しがたいシンパシーを抱いている自分に気づいた。

 仕事を終えて錦糸町の雑居ビルにある事務所に戻り、それぞれシャワーを浴びて汗と臭いを落とすと、平井さんの言葉通り、三人で焼き肉を食べに行くことになった。陽介はまったく食欲がなかったが、バイトの初日に社長からの誘いを断るほどの度胸もなく、誘われるがままに、会社近くの大衆的な焼き肉屋ののれんをくぐった。

 社長は運ばれてきた生ビールを一息で半分ほど飲み干すと、「くーっ、毎日汗水たらして働くのは、この一杯のためやな」と言った。そしてキムチを口に運びながら、「初仕事の感想はどや?」と陽介に尋ねた。

「……ええ、なんというか、びっくりしました」

 それぐらいしか、言うことが思い浮かばなかった。

「すぐに慣れる。俺もいちばん最初の仕事のときには、君みたいに吐いた。人間はなんにでも慣れるもんや」

 社長はロースやハラミをどかどかと網に載せながら、急に話題を変えた。

「沢田くん、人より金を稼ぐには、どうすればいいか知っとるか?」

「いえ、まったく」

「俺が思うに、方法は四つだけや。一つは、医者とか弁護士みたいに、特殊な技術や知識、資格を身につけること。これはなかなか、なるための勉強がたいへんやけど、いったんその仕事に就けば、安心して死ぬまで稼げる。霞が関の官僚とかも似た感じやな。二つ目が、金持ち父さんって本に書いてあるけど、不動産とか株とか、放っておいても勝手に金を稼いでくれる資産を持つこと。だいたい世の中の、不労所得で暮らしてる連中はこれや」

 陽介は頷きながら、きっと今日の大家もそうなのだろうな、と思った。

「三つ目が、いい学校卒業して、給料がぎょうさんもらえる、大きな会社に入って出世する道。世のお母さんらが、子どもに勉強しろって口うるさく言うんは、結局この道がいちばん手堅いからや。別に、才能もたいしていらんし、言われたことをきっちりやれば、そうむつかしいわけでもない。ただし、入った会社がいきなり潰れたり、リストラされたりって話も最近はよく聞くけどな。まあ安定志向の人間向けや」

「なるほど……。でも、どれも今から目指すのは、厳しい道ですね」と陽介が言った。

「まあ待て。最後の四つ目の道があるがな」

 本多社長はビールをぐいと飲んで、白い泡を手の甲でぬぐってニヤリと笑った。

「なんですか?」

「簡単や。俺らみたいに、人の嫌がる、でも世の中には絶対に必要な仕事をすれば、みんな喜んで金を払ってくれる。実際、葬儀屋とか、廃品回収業とか、いつの時代も不景気と関係なく儲かっとるから、社長の車はみんな高級外車や。俺は従業員から搾取せんから国産の中古やけどな」

 そう言って社長は、大声で笑った。

「……」

「まったく未経験の人間に、いきなりぽんと日給二万払うバイトが、ほかにあったか?」

 問われてみれば、たしかにそんな仕事はなかった。

「俺はこの仕事はじめて、もうすぐで二十二年になる。それまでもいろんな仕事をやってきて、なかには正直、人を騙すような商売をしてたこともあった。そういう仕事は、夢見が悪い。それに比べて掃除はええで。汚いのんがきれいになって、そのうえ人にも感謝される。それで金も稼げるんやからな。君が今からどこかの会社に就職しても、給料はええとこ手取り十八万ぐらいやろう。それがうちなら、がんばり次第でその三倍は稼げる。これはチャンスやで」

 横で黙ってばくばく焼き肉を食べていた平井さんが、ぼそっと「社長、僕、そんなにもらってませんよ」と言った。

「お前はバンド活動が忙しいとか言って、月の半分ぐらいしか働いてないやろ。他の会社ならとっくにクビや。感謝せえ」

 東京に住み始めて20年以上になるにもかかわらず、きつい関西弁がまったく抜けない50代の社長は、体も声も大きく、どことなくヤクザ風の雰囲気がある。それで陽介も面接で初めて会ったときは、「うわ……、やばい会社に来ちゃったかも」と思った。しかし話してみると、言葉はぶっきらぼうで口は悪いが、正直な人柄と、ある種の温かみを感じた。その温かみは、陽介がこれまでに働いてきた会社では、感じることがなかった種類のものだった。

 先月で二十五歳になった陽介が、本多清掃でアルバイトをすることになったのは、一言でいえば食う金にも困ったからだ。一浪して入学した、都内にあるそこそこの偏差値の私立大学の文学部を卒業してから、二年が経っていた。その間に働いた会社は四社になる。最初に就職したのは、社員数が三十名ほどの編集プロダクションで、社長以外のほぼ全員が、連日終電近くまで働き、翌日は九時に出社していた。

 激務に耐えられず半年でそこを退社してから、同じような広告やホームページの制作をする会社三つで働いたが、いずれも三カ月も続かなかった。入社してすぐは、一生懸命働こう、ここで自分の居場所を作ろうと思うのだが、そういった会社はいずれも社員の定着率が悪く、社歴一年ほどの人間ばかりで、仕事についても研修や指導はほとんどなく、見よう見まねで作業を覚えることが求められた。

 そんな会社で名前も聞いたことがないサラ金のホームページや、パチンコ店のチラシなどを作る日々を過ごすうち、陽介は自分の存在がどんどん希薄になっていくような気がした。青臭く言えば、自分の人生には、何かもっと大切なことや、本気になれるはずのことがあるような気がするのだが、何をしたらいいのか、どうすればそれに近づけるのか、さっぱりわからなかった。そんな迷いを抱いている人間は、自然に周囲から浮く。いつの間にか「こいつは辞めるな」という雰囲気ができあがり、その空気に逆らうことなく、陽介も会社を辞めた。

 とはいえ食っていくためには仕事を探す必要がある。だがアルバイトの求人サイトや、ハローワークで紹介される仕事のほとんどは、時給に換算すると千円以下だった。前職を辞めてから二カ月が経っていた。北茨城に住む親からの仕送りも途絶え、貯金もほとんど底をつき、月末の家賃の振り込みをどうしようか頭を悩ませながら、近所を歩いていたとき、たまたま見つけたのが、本多清掃の求人の張り紙だった。

「アルバイト募集 日給二万円〜。要普通免許」の条件を見て、すぐにコンビニで履歴書を買ってきた。仕事内容のところに「特殊清掃」とあるのを見て、少し気になったが、それより給与の高さに目を奪われた。電話をすると、その日のうちに面接に来てほしいと言われ、あっさり採用が決まったのが一昨日のことだ。面接で社長から、孤独死が出た部屋の掃除をすることが珍しくないことの説明を受け、「仕事は正直きついよ」と言われて覚悟してはいたが、今日やってみて、そのきつさは、想像のはるかに上を行った。

「しかしまあ、沢田くんがいてくれて、今日は助かったわ」

 ビールのジョッキを三杯空け、焼酎を飲み始めた社長は、だいぶ酒が回った顔で、陽介にそう言った。

「いや、そんな、足手まといにならないように、必死でした」

 それは偽らざる心境だ。

「面接のとき言ったけど、先月までいたベテランが抜けて、正直、特殊清掃の仕事はしばらく受注を控えようと思ってた。沢田くんが続けてくれるなら、うちも助かる。慣れてきたら日給も少しずつ上げるから、できれば続けてくれんか」

 笑顔で陽介を見る社長の目には、有無を言わせぬ力がこもっている。

 陽介はその迫力に負けて、「……あ、はい」と思わず返事をした。しまった、と思ったが遅かった。

「よっしゃ! これで来月の仕事も安心して受注できるわ。沢田くん、覚えることは沢山あるからな。平井もよう教えたれよ。それじゃあ沢田の仲間入りを祝って、乾杯や」

 陽介はそのとき、事務所に脱臭剤を入れて保管してある、段ボール箱のことを思い出していた。老人の部屋には、ゴミに埋もれかかったカラーボックスがあった。その中に、カバーの剥がれた文庫本や古い週刊誌に混ざって、一冊のアルバムが挟まっていた。中を開くと、どこかの大きな公園と思われる場所で撮影した、若い父親と母親、そして二歳ぐらいの男の子の写真が三人で収まる写真があった。ブルーシートに座る三人の前には、おにぎりや水筒が並んでいる。父親は眩しそうに目を細め、微笑む母の肩に手を回している。その膝の上には、やんちゃそうな顔をクシャクシャにして笑う男の子が座っていた。

 陽介がアルバムを「これ、どうしますか」と社長に手渡すと、社長はそれをじっと見て、「家族に渡すから捨てんといて」と言って、陽介に保管を命じた。ダンボール一箱に収まった、腕時計やテレビなどのわずかな遺品とともに、後日、そのアルバムは横浜の息子のもとに届けられる手筈となっている。

 あの遺品は、誰が届けるのだろう。まさか宅配便で送るわけにもいくまい。息子は果たして受け取ってくれるのだろうか。今も鼻腔の奥に残る気がする、あの部屋の臭いを洗い流すかのように、陽介はジョッキのビールを勢い良く呷った。

                  (原稿用紙換算 25枚)

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