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多度大社の上げ馬神事に関しての私見

僕が間もなく引っ越す先には多度大社がある。

「あっ」と思い出す方もいると思うが、GWの頃に上げ馬神事が毎年開催され、今年は登坂に失敗して脚を骨折し安楽死させたことでかつて無い大きな批判の的となったところだ。

子どもの頃に両親に連れて行ってもらったが、今はいないどちらもよい印象を受けることはなかったようで、しかし公職にあった時には「折角の機会でもあるし…」と、早朝の神事の最初から参加させてもらったこともある。
一応特別席に通され、議員になってお知り合いとなった地元の名士の方々と飲み食いしたりした。

僕はクマの殺処分には厳しい意見を投稿してきているが、上げ馬については目立つ方のネット世論とは異なる視点から見ており、止めろと単純に言うことはできない。

というのも、この三重県最北部の歴史的にも古い地方には今も「馬の文化」が濃厚に残されており、それは毎年開催されるもう一つのお楽しみである草競馬が、多度といなべ(員弁)の二箇所で開催される程の他には無い独特の雰囲気があるから。
(いなべにも上げ馬神事があります。今年より先は終わると決まりましたが…。)

今時馬を一頭でも持つということは、とても大変で特別なもので、馬小屋を整備して毎日清潔に保ち、たっぷりと飼葉を与えて余念なく世話をしなければならない。

農作業で使っていた頃ならともかく、競馬を引退したか、そもそもデビューできなかったかはわからないが、何かの縁で引き取ったあの子達を大切にケアしているのがこの土地の古い土地柄で、その文化の中心にあるのが上げ馬だということは少し深く地元と関わってみればわかる。

殺処分されたあの子だって、馬好きの飼い主さんに引き取ってもらえなければ、神事で骨折して安楽死させられる前にとっくに馬肉になっていたはずで、つまり現代の日本人からほぼ消えたこの地方の「馬の文化」が運の良い何頭かの命を永らえさせてきたという見方をしても大きく間違うことはない。

おそらく昔は木曽馬のような農耕馬だったと思われるが、今はサラブレッドとなっており、早く走るためだけに品種改良されてきた種で神経の過敏な馬だから、サラブレッドに昔ながらの上げ馬をやらせるのは無理があるとするならそれはそれでわかるし、酒も入る神事で乱暴な印象を与える光景もあったから両親は一度観てその後は避けてきたのだろうとも想像はする。

クマと関連して、ベアドッグどころかモンキードッグの活用すらロクに検討されない今の日本には「働く犬の文化」がほぼ消えたことの大きさの影響を自分のFBのフィードに投稿したが、三重県最北の山の人たちには少しずつ変わってきたものの「馬の文化」を守ってきたという面があり、その軸に上げ馬神事があるとなると簡単にアレはダメだと僕には言えないということなのだが、わかっていただけるだろうか。

子どもの頃から年に一度のNHKの懐メロ番組を、歌謡曲の好きな親と共に観てきたが、幾つか記憶に残る中の一つに三橋美智也の『達者でナ』という曲がある。

「藁にまみれてヨ〜、育てた栗毛〜」と始まる歌は昭和35年のヒット曲で、同時期には映画『モスラ』で記憶に残る(それだけじゃないけど)ザ・ピーナッツがヒットを連発し、大阪では『てなもんや三度笠』という傑作の大人気テレビ番組が生まれて藤田まこと等を全国的な有名人にした。

農耕から工業へと、ムラから都会へと変わりゆく時代に生まれた、農耕に欠かせなかった「馬の文化」を歌った曲は、当時は強いリアリティがあったから『達者でナ』はヒット曲となった。

今でも時折り僕はこの曲を聴いている。
独自の民族学を残した宮本常一の「土佐源氏」という逸話を思い返しながら。

動物と共に暮らす文化として、多度の上げ馬神事を見直すことは必要かと改めて思う。

小さな虫すら怖がる子どもたちが親となって久しい日本だから、そこを忘れてはいけないという意味で。

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上げ馬を感情的に批判する匿名の方々は、土佐の闘犬に関しては黙っていて、僕は不思議でならない。
仕事で訪れた際に、休日に見に行ったが正視できるものではなかった。

土佐の人はとても好感の持てる方ばかりで、仕事は順調、気持ちよくお付き合いいただいたが、犬と心を通わせたことのある方なら、片耳が千切れそうになってもなお闘わせ続けられる犬たちを見たら心に傷が残るレベルのことをやっていた。

20年近く前のことで、今は変わっているのかもしれない。
そうであることを強く期待している。

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