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ダウンタウンの漫才って何だったんだろね… その1

前からずっと思ってきたことなんだけど、 #ダウンタウン の特に大阪でやっていた漫才について、昨年来残る引っ越し作業を続けながらいろいろ考えていた

基本彼らの漫才は、80年代の不条理ギャグを上方の漫才に持ち込んだ意味で画期的だったと思うが、この手は東京のスノッブな文化に他ならず、横山のヤッさんに叱られたのも当然と思う

ただ東京のスノッブな笑いと尼崎の高卒のヤンキーとの、水と油くらい異なる結び付きには、とても不思議な感覚がありバカ受けしたのも当然とも感じる

背景のカルチャーを知らないとちっとも面白くない不条理ギャグに彼らが影響を受けたのが僕にはずっと不思議だった

10代の僕はその手を『ガロ』で連載していた蛭子能収さんや根本敬の漫画で吸収したが、三重県の田舎では周囲に理解してくれる人は皆無だった…

#小山田圭吾 が長じてアホみたいなイジメ自慢をしたのがバレて、TOKYO2020の音楽担当から外されたのは記憶に新しいけど、 #電気グルーヴ 辺りも相当影響を受けてた筈だよね

なんでもアリだった80年代のカルチャーの一端ではあったが、その背景全般を知らずしては理解できない、そういう「知的」なギャグは普通尼崎の高卒のヤンキーには届かないもので、しかし #ダウンタウン は完全にモノにしていた

それを彼らがどのように吸収したの?というのがずっと個人的な謎だった訳で

でようやくにして気づいたのが #スネークマンショー で、あの人たちがやったことはそれまでのお笑いの否定であり、不条理だったり残酷だったりする点においては、『ガロ』の漫画と地続きだった

それはパンクやポストパンクの権威主義を疑えというアティテュードに寄るところの大きいものだったが、大ヒットしたからそういう意識を持って聴いていたのは少なかったはず

僕は とにかく #YMO 嫌いで当然 #スネークマンショー も嫌いだったが、田舎の同世代にはどちらも大いに受けてたよ😝

#松本人志 と #浜田雅功 がいきなり『ガロ』の世界を受け入れる素地があったとは考えにくいが、 #スネークマンショー 経由ということならわからないでもない

そのエッセンスを完全にモノにして、漫才に仕立て上げたのはやはり優れた才能があったとしてもよいと思うが、その背景にあったアティテュードまでは到達できなかったんだろうね…
( #小山田圭吾 然り…)

レギュラー番組で共演していた #内村光良 は元々映画方面に強い関心のあった人だから、彼ならば多分その辺のことは理解していたと思う

しかし、 #ウンナン のお師匠さんは浅草漫才の重鎮だった #内海圭子好江 だったこともあると思うが、わかりやすいがヌルい無難なお笑いに着地したように感じた…

でも、これを観るとそれは決してそんなに悪いものじゃなかったってことはわかるよね(続

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