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私の好きだった岡村隆史。テラスハウス。そして、変わらないといけない私。前編

今日は私が好きだったものの話。


私は岡村隆史が好きだ。

岡村さんの一生懸命な所が好き。

頭が良くてダンスが出来る所が好き。

ちょっと拗らせている所が好き。

真面目すぎて繊細な所が好き。

もちろん一番は、その面白さとトークが好きだった。

岡村さんが大好きだった、8時だよ全員集合や、動きは志村さんのオマージュだと岡村さん自身で言っているのも私はその時代を知らないけど、ちょっと激しいその笑いも大好きだった。

めちゃイケ世代で、オールナイトニッポンはナイナイ2人の時代からのヘビーリスナーでもある私は、その日も楽しくラジオを聞き終わり、寝床についた。

数日経って、なんだかネットが騒がしいことに気づく。

岡村さんが不適切な発言をしたらしい。


私があの日、生で聞いていたラジオだ。

ただ記事を読むまで、何の発言の事かわからなかった。

そのぐらい侵されていたのかもしれない。


記事を読んで、あの発言のことか、と理解。

リスナーはどう思っているんだろうとtwitterで検索をすると 岡村さんは悪くない 的なハッシュタグが出回り、弁護するリスナーが沢山いた。

私もそこまで岡村さんは悪いこと言ったかな。いつもの拗らせた岡村さんの発言じゃん、とその時は軽く思っていた。

それでも岡村さんを降板させるべく署名運動や、NHKの番組も降板しろ!などの苦情もあったようで、色んな事が大きく動いていることを感じて、怖くなった。

私の大好きな岡村さんという存在を消さないで…と。


そんな中、翌週のラジオは謝罪から始まった。

岡村さんは「えー…」とか「うー…」が多く何度も何度も同じことを言った。本当に悲しかった。

番組が始まり20分、何度も同じことを喋り、謝罪をした。

こんな2時間が続くのか…もうやめて…と思った時、相方の矢部さんが登場して、ホッとしたのも束の間。

矢部さんは岡村さんの説教をはじめた。

「俺たち上手くいってないやん?」

と。

私、聞き間違えたのかな、と思う程に衝撃だった。

そこから、

「テレビ、ラジオを作っているスタッフ達も岡村さんに何も言えなくなった。リスナーも全部含めてそうした」

という言葉を聞いて涙がこぼれた。

岡村さんがそうなってしまったのは私たちにも責任があったなんて思いもしなかった。

でも、矢部さんの紡ぐ言葉に、ただただ、思い当たる節しか無かった。

まるで自分に説教をされているようだった。

ただ、矢部さんが、岡村さんは結婚しろ!とかいう話だけは、話がすり替えられている気がしたし、結婚して、子供がいるから偉いと捉えられてもおかしくないような発言に対しては納得がいっていないけど。

翌日私は旦那に、「私は岡村さんが大好きだったけど、だめなことをしていたみたいだ」

と泣きながら訴えるという謎の時間さえも流れた。


そこからラジオが変わった。

ナイナイのANNが復活したのだ。

その時は岡村さんが大好きなラジオがまた聞ける!という嬉しさ半分、かつてやり切って辞めていった矢部さんが戻ってくる…けど矢部さんは本当にやりたい事なのかなってこと。

私も「やり切ってやめる」ことがある。

本当にやり切ったことだと、私はそこまでの情熱を注ぐことが出来ない。

矢部さんはコンビを解消したいわけでもない、もっと良くしていきたかった、そのきっかけが今回になってしまった。

けど一度そんな事を思ってしまった仕事に向き合えるのかな、と。


そんな事を思いつつ、新しいネタハガキのコーナーを含む通常の放送がスタートした。

私の感想はというと…


面白くなかった。


毎回夜中3時まで眠くなることなく聞いていたラジオだったのに、途中、寝落ちしてしまった。

矢部さんの家族のほっこりトークに反吐が出た。

どこの層に媚をうっているんだろう。

岡村さんを叩いていた人達はラジオも聞いていないだろうに。

つまらないネタハガキのコーナー。

そして歯切れの悪い岡村さんの声、ただ相槌を打ち、つまらない返事をすることも増えた。

まだまだ手探りなんだと思う。

次に自分のどんな発言が標的にあうのかもまだわからないのだろう。

そして湧き上がった、

『私の好きなものってなんだったんだろう』

ってこと。

世間から良くないとされるものが好きだったの?

なんだか急に自分に自信を持てなくなった。


けど、これが、今の時代なのかな。


まだはっきりとした答えはわからないけど。

岡村さんが変わらなきゃいけないのならば、私も変わらないといけないのかもしれない。