海にしかない闇とプールにしかない光について

人にはみんな深海があると思っていた。でも違うんだね。浅くて澄んでるところにしか住めない人もいるのね。それに気づいたのは2年程前のこと。わたしは深い海の表面で足をぷらぷらさせている、どっちつかずの人間だった。今は安全なプールのようなところでたまに足を吊ったりしながら、平泳ぎの練習をしているところ。笛の合図に合わせてまっしぐらに水へ飛びこむのは、滑稽だけど真似をするだけでいいから、簡潔で楽しい。友達もいるっちゃいるしね。よーい、どん、ピーッ。

中学生くらいのころには、暗いものや切ないものばかりを見て自分の感情を揺さぶることが好きだった。波があることをとやかく言う人もいるけれど、わたしは人間の情けないところやみすぼらしいところに興味があったし、きれいだなと思ってしまう傾向にあった。それはやさしさというよりも、悪趣味な好奇心によるところが大きかったと思う。現に友人が高校を辞めようと思っているという話を電話越しに聞いても、いいじゃんってげらげら笑うくらいしかできなかった。それでも持ちかけてくれる相談話はどれもうれしくて、一生懸命に聞いた。とてつもなく大きな波だって望んで浴びた。

ずっと深海でじっとしたまま目をとじているような女の子とばかり友達になった。彼女達は思慮深くて、恋をしなかった。わたしが知らないだけかもしれないけれど、オリジナルの思想を選びとれば選びとるほど、恋はしづらくなるようだった。
恋をしないからといって愛を知らないかといえば、それはNOだと言えるだろう。ただ浅いところにしかない愛というのは絶対にあって、それは深海で眠ってるだけでは目に入れることができない。ダイビングスーツの圧力をわざわざ変えて、浅瀬へ出向くのはかったるい。そもそもその水域、深海の動物は生きてはいけないかもしれない。でもわたしはたまたま、海でもプールでも泳げる動物だったから、こんな世界もあるのかって、目から鱗が落ちた。今までお土産はきれいな形の珊瑚だって決めてたけど、プールにもぐったときに拾ったオレンジジュースを持って、誰かに会いに行ってもいいのかな。

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