大豆(おおず)

コラム執筆を通して、社会問題を考察していくページ。しょぼい物書きの考察にしばしお付き合…

大豆(おおず)

コラム執筆を通して、社会問題を考察していくページ。しょぼい物書きの考察にしばしお付き合いください。 お仕事は→note@oth.sakura.ne.jp 『ヲタクにモテは必要ない』(オーズLLC) https://www.amazon.co.jp/dp/B07M7H3F63/

最近の記事

社会から失われつつある「感覚性」について

私は仕事柄、さまざまなニュースに目を通す機会がある。また、活字好きということもあり、読書に限らずネット上にある多くの情報にも触れてきた。人によっては、「ネットの情報は信用できない」と嫌っている場合もあるだろうが、真贋は自らが判断すればよいと思う。 文字に落とし込まれた情報は、ある種の論理性を付加される。人の思考――すなわち、理性というフィルターを通して、「ろ過」された情報だといえるだろう。それは純粋な知性を探求したり、客観的な視点から考察したりするうえで欠かせない過程だ。一

    • 「自己責任論」より「責任論」が大事では?

      2018年は、久しぶりに「自己責任」という言葉をよく耳にした。海外で誘拐された某ジャーナリストが解放された事件を通じて、「わざわざ危険な地域へ足を運んだ本人の責任だ」という声が上がったのだ。これと同じような議論が以前にも巻き起こった時期がある。小泉純一郎政権下だった2004年、9・11アメリカ同時多発テロの影響が色濃く残り、政情が極めて不安定になっていたイラクにおいて日本人が誘拐された時である。 危険地域であると事前に分かっていたにも関わらず、使命感を持って現場へと足を運ん

      • 「脱社畜」という価値観について

        最近、とある界隈で話題になっている「脱社畜」というワードに興味を抱いた。何やら炎上が起こっていたために、盛り上がっていたらしい。私も野次馬根性がある人間なので、あれこれ見て回ったが、そちらの話については特に面白いことはなかったので省くことにする。ただ、「脱社畜」という言葉自体は気になった。「そもそも脱社畜ってどういうことだろう?」と思ったし、それを志向する人々の価値観も興味深く感じたのだ。 脱社畜は「脱・社畜」であり、「社畜から抜け出す」という意味らしい。だが、ここで私は混

        • 「渋谷のハロウィン」を考える

          いつの間にやら日本に「ハロウィン」が定着したようだ。もっとも、日本におけるハロウィンは、本来的な意味を失っているようにも思う。たくさんの人が仮装して出かけていき、どこかに集まってワイワイ賑やかに過ごすのが「日本のハロウィン」になった。ハロウィンに限らず、日本に入ってきたイベントは大抵本場のものとは変化するものだから、「こんなものはハロウィンではない」などと原理主義的な主張をする気はない。 2018年も、例年通りハロウィンは大盛り上がりだったらしい。ニュースなどで毎年取り上げ

        社会から失われつつある「感覚性」について