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13年 (KISS1/2)

配信された松下洸平さんのシングル「KISS」を聴いて浮かんできたものです。(KISS1/2)と(KISS2/2)で前後編でひとつのお話です。


「かなちゃん、今日はもうお客さんも来ないと思うし、あがっても大丈夫よ。あとは私がやっておくから。」                    私はパーマ用のロッドを片付けていたアシスタントのかなちゃんに声をかけた。          
「順子さん〜、いいんですかぁ〜?とりあえずこれ終わらせちゃいます!」            
23歳のかなちゃん。最近新しい彼氏が出来たんだって。かなちゃんはしっかりといつもの片付けを終わらせて帰って行った。                   
私は毎月第3金曜は少しだけお店を早く閉める。そう決めているわけではないけど出来るだけそうしたいと思う理由があるのだ。          
店の灯りを全部消した。出入り口はガラスドアなので白いレースカーテンをひいて、外からドアの鍵をかけた。外に出た瞬間に梅雨特有のもわっとした湿気を感じた。エアコンは付けたままにしておいた。 
順子は店の裏にある実家に母と2人で住んでいる。 「ただいま〜」                
「おかえり。順子、夕飯もう用意してあるけど、すぐ食べる?」                 「今日なに?」               
「八宝菜。」                 
「あぁ、じゃあ、ちょっとだけつまもうかな。お母さん、今日あたし、後で出掛けるからさ、ガッツリはいいや。」                 「あ、そうなの?」              
母の作った八宝菜の餡だけをお皿に少しのせて、一緒に食べて、10分程度で済ませ手を合わせた。29歳の娘と母の二人暮らし。こういうことは普段からよくあるので、母は細かい事を詮索することはなく、普段通りゆっくりとテレビを見ながら食べている。それは気に留めていない振りをする母なりの気遣いかもしれない。                私は自分の食べたお皿を洗ってから、シャワーを浴びる。化粧も落とす。髪を乾かしてから、着替える。白のジップアップのパーカーに薄い色のオーバーサイズのブルージーンズを履いて黒のベルトで締めた。さっき仕事をしていた時はロングワンピースだった。そっちの方がよっぽど気合いの入ったよそ行きなのに、私はこの気の抜けたような服にわざわざ着替える。化粧を落としたばかりなのに、また化粧をする。あくまでも軽く。すっぴんではないけど、すっぴんにも見えるような化粧をする。そしてシャワーを浴びた事を誤魔化す為にいつもの香水をつける。
時計は20時を回ったところだった。今電車に乗ったぐらいかな。まだ連絡はないだろう。ケータイが鳴るのを何もせず、じっと待つのは何だか嫌なので、私は自分の部屋でお客さんへのDMのハガキを書く事にした。大事な仕事だと思って半年に1度ハガキを出している。手書きで一枚一枚、短いメッセージを書いていく。12枚目のハガキを書こうとしたところでケータイが揺れてメッセージが入った。    
(お疲れさま。もうすぐ駅に着きます。よろしくです。)                    (お疲れさま。了解。いまから行きます。)  
何故敬語なのか分からない。味気無さを装ったような絵文字を一つも使わないメッセージのやりとり。  
「お母さん、ちょっと出掛けるからね。遅くなるかもだけど、チェーンはしないでね。」      
「はい〜。気をつけなさいよ。」        
金曜ロードショーを見る為早めにお風呂から上がった母が化粧水を塗りながら言った。  
    

うちから駅は車で10分ほど。ロータリーのところで待っていた。私の車を見つけると、手を挙げて振る男。
車を停めると「ごめん、ちょっと遅くなったわ」と言って、いつものように後部座席のドアを開けてカバンを置く。それから助手席に乗り込んだ。
「お疲れさま。今日食べるもの、もう決めた?順子が今日食べたいのラーメンだろ。」   
「ハズレだね。今日、私が食べたいものはね…冷やし中華なので。」               
「ほぼ正解な。冷やし中華は冷やしラーメンなんだから。冷やし中華の美味しい店ってあんの?先月も中華料理じゃなかった?バーミヤンだけど(笑)」
「中華料理好きだもん。祥ちゃんも好きじゃん。今日お客さんから聞いたけど、○○の近くに美味しいお店あるんだって。」            「じゃ、そこ行こ。」             
私はさっきハガキを書いている最中に、お店の場所をちゃんと調べたのだ。    
助手席の祥太郎(私は祥ちゃんと呼ぶ)は、アチー!と言いながら、エアコンの吹き出し口を自分に向けて、ネクタイを緩めて、ワイシャツを脱いで白のTシャツになる。そこまで体は大きくはないけど、大人の男が狭い車内でこういうことをすると、バタバタとしてうっとおしい。帰宅ラッシュで混みあった電車の熱気が車内に放たれると同時に、少し疲れたいつもの彼の匂いが香る。          「ちょっと〜狭いからバタバタしないで。」   
「ごめん、ごめん」祥太郎はそう言いながら、脱いだシャツとネクタイをチャチャっとまとめて、後ろのカバンの上に置いた。            「ふぅー、疲れた〜。一週間疲れた〜。」    
そう言ってズボンのポケットから目薬を出して上を向いてさす。                 祥ちゃんは微かな声で「わっ…」と言った。    
また失敗したんだ…。私は運転しながら、手の届くところにあるティッシュを1枚取って、祥太郎にひらりと渡した。                 「目薬、いつになったらうまくさせるの?」   
私がいじわるに聞く。なんでこの人はこういうことが出来ないんだろうと可愛く思った。      
昔の宇多田ヒカルのベストアルバムを小さな音で流しながら、車を走らせる。           
橋に差し掛かる直前に少しだけボリュームを上げた。橋の道路の両端には長い首長竜のような形の銀色のライトが等間隔に並んでいて、道は緩やかにカーブしている。その奥にはライトアップした観覧車。私は夜のこの道が大好きなのだ。ここを走る時はオーディオのボリュームをいつも上げたくなる。
「ここってスゲーよな。近未来みたい。」
「小学生みたいだよ、その発言(笑)」    
「なんでこんな田舎に観覧車があるんだよ。」
「ね。誰が乗るんだろうね。でもあれ誰か乗ってない?」                  「あ、ほんとだ、乗ってるわ。危ないから運転に集中しなさい」                 気分が上がると私も祥ちゃんも聞き込んだ曲を口づさむ。私が歌うとこの人はハモってきたりする。 お互い学生だった頃はみんなでよくカラオケに行っていた。祥ちゃんは歌がだいぶ上手くて、歌声を披露するとちょっとざわつくほどの歌唱力を持っていた。私は上手くも下手でもないけど、祥ちゃんと曲の好みが似ていて、だいたい私が歌うとご機嫌そうに重ねてくるのだった。いつかのカラオケでも二人共鳴するような時があって、アンちゃんはそんな私達を少し悲しいような目で見ていたのを思い出した。それに気づいてから、私はわざと好きでもない曲を選曲したりした。
そんな少し前の出来事を思い出しながら、ハンドルを握って観覧車の下を通り抜けた。お互いに歌声を褒め合ったりして、気持ち悪いね、と言って私たちは笑った。


13年前に私たちは通学バスで初めて出会った。
祥ちゃんはアンちゃんの恋人だった。      
私はいつもバスの後ろから2番目の席に座って、私が乗ったバス停の2つ先の駅前のバス停から二人は乗ってきた。
アンちゃんと私は同じクラスで、明らかに私よりも大人っぽい雰囲気の女の子だった。よく笑ってよく話して、とても感じが良くて、私たちはすぐに友達になった。彼女の口から彼氏がいると聞く前に、毎日二人でバスに乗るのを見かけた時から、あぁ、あの人がアンちゃんの彼氏なんだなと自然と分かっていた。とても親密そうに二人はお互いの顔を見て話をしていたから。           
男子と話をすることさえもままならなかった16歳の私。そんな私のことを祥ちゃんは最初は「前田さん」と苗字で呼んでいたっけ。アンちゃんの影響でいつの間にか「順子」と呼ぶようになったのは高校1年生の夏だったかもしれない。私も祥ちゃんと呼ぶようになった。他の男子に比べると垢ぬけているように私には見えた。それは恋人がいるからだったのか分からない。そんな私の抱く印象なんてお構いなしに、祥ちゃんは垣根なく私の中に入ってくる人だった。

2年生になると、私と祥ちゃんが同じクラス、アンちゃんは違うクラスになった。          
その時距離がグンと縮まったのだと思う。    
この人と自分は感覚が似ている。面白いと思うポイントも何かに違和感を抱くポイントも似ていて、その度に目を合わせて笑いを堪えたりした。   
授業中に机の下で隠れてケータイを触り、短いメールを送り合って、思わず笑ってしまったり。そんな事を毎日していたせいで私の高2の頃の成績はみるみるうちに下がっていった。傍から見ても私と祥ちゃんが仲がいいことは明らかだっただろう。でもアンちゃんがやきもちを焼くかもしれない、とはあまり思わなかった。それは私とどんなに仲良くしていても祥ちゃんとアンちゃんは揺るぎない恋人同士だったから。祥ちゃんは私の中で特別だったけれど、それは男女の特別ではなかったと思っている。
私達はよく三人で帰った。バスに揺られながら話をして、大笑いをして、バイバーイと手を振り二人はバスを降りていく。  
残った私は笑い顔を戻して、静かに窓から人混みに消えていく二人の後ろ姿を見ていた。      
祥ちゃんがアンちゃんの手を握る瞬間を見た時、胸のあたりがギュっとする感覚を覚えた。窓に映った自分の顔がやけに子供っぽく見えた。

3年生になって、それなりにこの先のことを考えて、私達はそれぞれ別の道を選択した。       
私は中学の頃から将来は美容師になりたいと強く思っていたから美容専門学校に。         
アンちゃんはどうしても行きたい大学があり、東京の大学に。
祥ちゃんは地元の国立大学に進学した。     
進学をしてからもアンちゃんが帰省した時にはみんなで集まって遊んだし、旅行にも何度か行った。 
でも20歳になってすぐだったか、祥ちゃんとアンちゃんが突然破局した。それ以来みんなで集まることがなくなった。
それでも私は祥ちゃんと定期的に会うことをやめなかった。                   あの机の下で隠れて打ったメールのやりとりがずっと続いているように、私達は用もないのにメッセージを打って、なんでもない事を延々と話した。
電話でアンちゃんから二人の破局の原因を聞いたけど、今はもう詳細を忘れてしまった。お互いの生活が見えなくなって、喧嘩が増えて、別に好きな人ができたとか、そんな感じだった。   
アンちゃんは24歳で同じ会社の同期の人と結婚して今も東京で暮らしている。
アンちゃんが久しぶりに帰って来た時、私と祥ちゃんはおめでとうと顔を見て言った。それが3人で会った最後だったかな。
長かった恋が終わって、かつての恋人を祝福する祥ちゃんの気持ちがどうだったか、本人から聞いてないからよくわからない。            私も祥ちゃんもお互いに恋人がいた時もあった。 
会う回数は減ったけど、連絡が途絶えたことはなかった。
私たちはずっとお互いの恋愛についてあまり深く踏み込もうとしなかった。合コンのようなものに行った時の話をネタにしたりはあったけど。今どんな人と親密にしているのか、土日の休みの日は誰と過ごしているか、どんな夜を過ごしているか、とか。核心を突く話題にあえて触れないように、少なくとも私はしてきた。
そこに踏み込んでしまうと、合コンで出会うような、もしくは会社の同僚の女の人たちのような、その他と同じになってしまう気がした。自分だけはそういうのが無くても繋がっていられるんだという特別さをずっと持っていたいのかもしれない。


今10代だった頃の祥ちゃんの顔を思い出そうとしてもうまく思い出せなかった。今隣にいるのは29歳のその人で、変わらないのはただ二人でいる時間がとても楽しく面白いということ。


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