見出し画像

南の島、夏

松下洸平さんの楽曲「体温」を聴いて、イメージした物語です。体温の歌詞も一部使ってあります。
この話と、後編「東京、冬」と2部構成です

今日も朝になるまで仕事をした。
ボロボロで余力がない状態でベランダに出て狭い空を見上げた。
夜明けはまだで紺色の空。
あの時の空の色もこんなだっただろうか。思い出そうとする。駄目だ、頭が働かない。僅か1ヶ月前のことなのにずっと前の事のよう。幻だったんじゃないかとさえ思う。忘れたくないのに。ひんやりとした朝の風が吹いて、秋の匂いがした。俺は部屋に入って3時間だけ眠った。


旅を思い出しそうで履くことを避けていたあのデニムに久しぶりに脚を通すと、折り目からパラパラと白い砂が少し落ちた。フローリングに散らばったあの時の思い出を集めて、手に取り、少し眺めて指で撫でて俺は流しに捨てた。 

何もかもに疲れて夏の終わりに行った南の離島。1週間の滞在だった。
旅をしたからといって、その後の生活に劇的な変化があるはずもなく、俺はまた、溜まったメールを開けて毎日追われるように仕事をしている。    でも胸の中には忘れたくない大切な記憶が色濃く残っている。
あのひとは元気にしているのだろうか。

ゲストハウス「ロック」。迷いながらなんとかたどり着いた。
ブーゲンビリアのピンクで覆われた石造りの入り口を入ると、大きな平屋があった。南風に揺れる麻の暖簾をくぐって中を覗く。          「あのぉ~」
厨房らしいところから赤いノースリーブのワンピースを着た女の人が出て来て、ぺこりと頭を下げた。俺も会釈を返す。
「あ、泊りの?祥子さ~ん!!お客さん来たよ~!!」
奥の方から小麦色の肌の女の人が出て来た。この人が祥子さんというらしい。
「早かったのね~中井さんよね?あら、男前っ」
そう言いながら、若い方の女の人と笑い合う。俺も苦笑いをした。
「この子も一応宿泊客なんだけどね」     
「あ、そうなんですか?」          
「そうなんですよ〜」
そう笑いながら彼女は奥の方に姿を消した。 

「疲れたでしょ?迷った?」        
「はい、少し。」
「隠れ家だから。ふふ。中井さんの部屋、ここね。うち、4部屋しかないのよ。2番目のここね。あ、ちなみに鍵とか無いからね。大事なもんは金庫に入れてね。今ね~お父さん、娘とちょっとおつかい行ってていないけど、主人と私と娘、4歳のね、3人でこのゲストハウスやってます。」
「そうなんですね、お世話になります。宜しくお願いします。」
「あ、私よく喋りますんで、宜しくお願いします~。」
陽気で話していると自然と笑顔になれるような人で安心した。 

部屋の中は一人には十分すぎるほど広い。窓からは海が見える。透き通った薄い水色の青。部屋に居ても耳を澄ませば波の音が聞こえる。木製のシングルベッドとデスクと椅子がある。フローリングに敷かれたキリムの絨毯。どこか無国籍な雰囲気だ。ドアと窓を開け放つと、スゥーっと風が通って8月と思えないほどに心地がいい。トイレとお風呂は共同。廊下には水道が3つあるタイルの洗面台が見える。荷物を下ろして、海に見惚れていると
「トントン、中井さん、今日の夕飯は18時からね。ここは泊まっている人みんなでご飯を食べるの。それでもいい?もしちょっと……てことなら、部屋に運ぶことも出来るわよ?」
「全然大丈夫です!」
「よかった、どうせならみんなでワイワイ食べた方が美味しいし、楽しいからね。じゃ18時に。さっき入ってきた土間の横がご飯食べるところだから。ごゆっくり。あ、お風呂は好きな時に使っても大丈夫だけど、使用中の札が掛かってる時は、誰か入ってるから。」
「はい。わかりました。」          
とてもシンプルな宿だ。ドアも窓も開けたまま、ベッドに横になった。
男の人と小さな女の子が帰ってきた声がする。少し眠ってしまった。目を覚ますとあと5分で夕飯の時間だった。

少し緊張しながら居間に行く。他の宿泊客ももう揃っている様子だった。
俺。二人の子供を連れた家族。男女のカップル。来た時に会った女の人。
彼女は今もまた厨房の中に居て、料理の支度を手伝っているようだった。
祥子さんが好きなとこに座って座ってと言う。  頭にタオルを巻いた髭の良く似合う男の人が「夕飯はじめまーす」と言いながら、机に大皿を置く。
この人がここのオーナーだろう。
ちょこまかしていた小さな女の子は俺の隣に座った。
「はじめまして、ここで一緒に食べるの?」と俺が聞くと
「うん!いい?」と上目遣いで答える。
めちゃくちゃ可愛い。
「ムギはイケメンが好きだもんねぇ。」と祥子さんが茶化す。この子はムギちゃんというのか。
お造りや沖縄の家庭料理がどんどんと運ばれてくる。
食卓が整うとオーナーがひと言。      
「ロックへようこそ。どうぞ召し上がってくださいっ!」       
「いただきまーす!」
人とこんなに賑やかに夕飯を食べたのはいつぶりだろう。どの料理も美味しくていちいち感動した。ムギちゃんが隣に居てくれるおかげで、どう立ち振る舞えばいいか考えなくて済む。あとは少し酔っ払えば、上々だ。

赤いワンピースの彼女がムギちゃんと俺のそばに料理を持ってきた。
「これ、美味しいよ?祥子さんの得意料理」
この時初めて彼女を間近で見た。黒髪のショートカットが良く似合う鼻筋が通ったエキゾチックな顔立ちだった。薄顔の俺とは対照的。
今度はオーナーが俺たちの近くへ来て話かける。オーナーはタケさんと呼ばれている。
「ここは、週に4組しか泊まれねーんだ。そう決めてる。色んなとこから来る4組がまぁ、仲良くなってもならなくてもいいけど、とりあえず一緒に飯食って、楽しい1週間を過ごす!それで自分んちに戻って、ふとした時に、ここを思い出してくれればいいな〜なんつって思うんだよ。アンちゃん名前なんだった?」
「俺っすか?朔太郎です。」
「じゃ、さくちゃんな。こっちの美人さんはね、ミーコって言うんだよ。な?」
「私がミーコです。よろしく」
「ミーコ…本当にミーコって言うの?」
「3年ぐらい前にここに迷い猫が来てな。真っ白なかわいい猫で。そいつが居なくなった矢先に泊まりに来たのがこの人だったの。だからミーコなの。な?それから毎年夏になると泊まりに来てくれてんだ。カミさんとも仲良くて」
「へぇ、そうなんだ。じゃミーコって呼びます、俺も。」
「さくちゃんは東京の人?」
「そう。ミーコは?」
「東京よ」
ミーコって名前からして、それ以上は聞けない何かがこの人にはある気がした。
その後、酔っ払ったタケさんが三線を弾きながら沖縄の歌を歌って、たぶん俺も踊った。記憶が曖昧になるほど一日目の夜の泡盛は強かった。

家族連れとカップルはきっちりと観光の予定を立てていて、マリンスポーツのツアーに間に合うよう早起きをして出掛けて行った。
俺は二日酔いで、まったく朝起きることが出来ず、昼近くまで寝て、お風呂に入って、ヨロヨロと居間に行った。
ミーコがムギちゃんとお絵描きをしていた。
「おはようございます」
「おそよう、だね。二日酔い酷いの?」
「風呂入ったらだいぶスッキリしたよ、お水勝手に飲んでいいかな?」
「いいよ。今、タケさんと祥子さんは買い出し。」
「なんか自由だね。俺もなんもやることないし、二人とお絵描きしよかな」
「さくちゃん、絵上手かな?」
「結構ね、絵は上手なんですよ」
昨日会ったばかりのよく知らない人と小さなよその子と絵を描く不思議な時間が楽しい。
暫くするとタケさんと祥子さんが帰ってきた。俺とミーコにお昼ご飯はどうするか尋ねた。ミーコは外で何か食べてくるわ、と答えた。
俺もミーコについて行くことにした。
ペタペタと二人のビーチサンダルの音がする。強い日差しが照り付けて、空の色、花の色、砂の色、すべてが鮮明に見える。真夏日の温度。汗をかいても不快だとは思わなかった。
ミーコが連れて行ってくれるところはどこも絶品だった。
お腹がいっぱいになったら宿に戻ってひさしの深い居間の日陰で昼寝をする。自分の部屋にいることがほとんどなかった。ミーコも好きな時にお風呂に行って、居間で寝転ぶ。石鹸の匂いがふんわりと鼻をくすぐる。
祥子さんが夕飯の支度をする音がして、家族連れやカップルが疲れたぁ〜と言って戻ってくる。俺たちは「おかえりなさーい」と声をかける。
長い昼間があっという間に終わって、日が暮れる。また美味しい夕食をみんなで食べて、今日は何を見てどんなことがあったなんて話をする。
今日は泡盛はやめて、ビールにしておこう。潰れたら夜が勿体ない。
ミーコと夜の海を見に行くことにしよう。
その日はちょうど満月で月明りで木の葉の影がはっきりと出来ていた。
ミーコの顔も見えた。
丸い月が夜の海に映って揺れる。
昼の澄んだ水色の海は夜になるとこういう色になるんだ…
その色は二人言葉を失うほどに美しかった。
零れ落ちてくるような満天の星空も、白い月明りではっきりと浮かぶ彼女の横顔のラインも綺麗だった。


狭い部屋のベランダから月を見るたびに蘇る夏の記憶。
冬が近づくにつれて、不思議と思い出す頻度が増えていっている。
人で溢れた駅のホーム。ガチャガチャした街の横断歩道を行き交う人の中に彼女はいないのだろうか。
いても俺は見つけられないかもしれない。
いつの間にか12月になった曇った冬の空を見上げては、またあの夏の日を思う。


暑い日に彼女が知る美味しいソーキそばを食べるため、二人でバスに乗って出掛けた。
バスに揺られながら見たどこまでも続く海と田舎道。
食べたものは勿論美味しくて、その味も、小さな食堂で働くおばちゃんも優しかった。
帰りのバスの時間をミーコが見間違えて、バスを逃して、歩いて帰ることにした。時間ならいくらでもある。財布だけを持った俺たちは、くだらない話をしながらビーチサンダルで歩いた。 2時間ほど歩いて
「ちょっとこれは帰れないかもね」
「死ぬかもね」
「ロックに電話しようか」
「電話番号は?」
「わかんない」
「スマホも部屋に置いてきたもん」
「私スマホ東京だもん」
「あの先のお店で電話借りるしかなくない?」
マルヨ商店と書かれた色褪せた看板のお店に入る。
「すみませーん!!」
年老いたおばあちゃんが出てきた。
「あのぉ、隣町のロックっていう民宿に電話したいんですけど、電話番号分かります?」
おばあちゃんは分からないという。絶体絶命のピンチだと思った。
二人でどうしようと顔を見合わせていると、奥からお嫁さんらしき女の人が出て来てくれて、無事電話をすることが出来た。
二人で何度もマルヨ商店の人にお礼を言った。
タケさんが迎えに来るまでお店の中で待たせてもらって、麦茶まで出してもらった。喉を鳴らして一気に飲み干す二人を見てお店の人が大笑いをした。

タケさんが軽トラで迎えに来てくれて、顔を見た瞬間、安心感で泣くかと思った。二人でタケさんにたくさん謝ると、
「アホか、こういうのも俺の仕事」と優しい笑顔で笑ってくれた。
俺とミーコは軽トラの荷台に乗せられてロックへと帰った。
荷台で寝転ぶと空だけが広がっていて、夕焼けに染まった赤が揺れながら流れていく。

次の日の昼間は一人で海に行った。今日も暑い。太陽に照らされたゴツゴツした岩の温度が熱くて座れなかった。
「たそがれてるの?」ミーコの声がした。
「ほんと綺麗だなと思って。帰らないといけない日が近づいてきてるから、目に焼き付けておかないと。」
「そういうことは禁句です。寂しくなるでしょ。てか、泳げばいいのに。暑いでしょ。」
「なんも持ってきてないもん」
そんな俺の言葉も聞かずしてミーコはビーチサンダルを脱ぎ捨てて、助走をつけるため下がっていた。
タタタッと駆けて岩の先でジャンプして服のまま、海に飛び込んだ。細長い手足が少年のようにも見えた。
水しぶきを上げてミーコが顔を出す。
「さくちゃんも!!」
俺も同じように服のまま飛び込んだ。自分の重みで水色の中に沈む。
思いのほか海の水は冷たくて焼けた肌を一気に冷やす感覚はこの上なく気持ちが良かった。
俺もミーコも何を気にするでもなく、海に潜って、泳いで、顔を出して笑う。
ここにいると時間を忘れてしまう。
まるで俺たちは、昔からずっとここで育った子供のようだなと思った。
仕事も恋も人のしがらみも何も知らない子供のようだと。
泳ぎ疲れて岩に登るとミーコが真っ白なTシャツを着ていたことに俺は気づいて、ドキリとした。
自分の黒のTシャツを慌てて脱いで、絞ってミーコに渡した。
「これ、着て。」
自分の体を見て「あ、ごめん、ありがと」
そういって上から俺のTシャツを着て、宿に戻った。


その時は突然やってきた。夜、みんなで夕飯を食べている最中に電話が鳴った。祥子さんが
「ミーコちゃん、電話」
そういってミーコは厨房のカウンターにある電話の受話器に耳を当てた。
みんなは夕飯の宴を続けたけど、俺は彼女がどんな顔をしているのか気になって仕方がなかった。小さな声で話しているように見える。時折笑って、柔らかい表情をしていた。
俺はお風呂から上がって、ミーコの部屋の扉をノックしたかった。
でも、出来なかった。ミーコの部屋の扉の前で立ち止まったまま何もできず、自分の部屋のベッドで寝た。

微かに俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。もう朝か。
薄目を開けると枕元にミーコがしゃがんで、俺を呼んでいた。
「んん、、なに?びっくりした。。」
眠い目を擦りながらミーコを見る。
ミーコは声を潜めて話す。
「さくちゃん、おはよう。急だけど、今日の朝いちばんの飛行機で私、帰ることにした。ちょっと朝焼けを見に行かない?」
「今から?」
「もう少ししたら表の海から日が昇るから。一緒に。」
「分かった。」
俺はデニムを履いて、ネイビーのパーカーを羽織ってミーコの後を追いかけた。外に出るとまだ、夜明け前で辺りは暗い。暗い中砂浜まで二人で出て、海をじっと見ていた。
紺の色がだんだんと変わり始める。オレンジ色が少しずつ広がる。
目の前に広がる神秘的で美しい光景に目を凝らす。
言葉なんてなにもなくて、ただ日が昇るのを二人で見た。

「…しんどいことがあったら、今日の事を思い出そうと思う」
俺がそう言うと
「…私もそうする」

「……いつかまたどこかで……」
うん、うん、とミーコはゆっくりと頷いた。
「ありがとう。……ありがとね」
「ありがとう。また……」

いつになくたどたどしい。最後に交わした会話。
握手もできず、海を離れる彼女の後ろ姿を少しだけ見た。
いつかまたどこかで、って俺は言ったけど、もう会える気がしなかった。
俺はしばらくこの場所から動けなかった。

しばらく開いてなかったスマホをリュックから取り出して、画面を見ると、数件ラインが入っていた。特に中身もなく能天気なもので、メッセージを開かずに、またリュックの中に戻した。楽しむのに夢中でほとんど何の写真も撮ってなくて、このスマホの中に何もないことが、後々救いになるかもしれない。
ミーコがいなくなって、ポカンと体に穴が開いたようだけど、自分もこの島での残りの時間を目一杯過ごさなければと、タケさんや祥子さん、ムギちゃんたちとたくさん話した。
俺が帰る時ムギちゃんは砂浜で拾った貝殻とシーグラスを釣り糸で括り付けて作った小さなモビールをプレゼントしてくれた。
「大切にするね、ありがとう」
巻き毛の小さなムギちゃんは小さな歯を見せて笑ったと思ったら、祥子さんの足に顔を擦り付けて、寂しいと泣いてくれた。
ここの人とさよならするのは本当に寂しくて泣いてしまいそうだった。でも泣くとタケさんに怒られるから、必死で堪えた。
お土産を買って帰りたいと思えるような人が誰も居ない自分を思い知って、少し悲しくなる。
今日の夜にはもうあの色褪せたいつもの街に自分がいることが想像できない。
でもここに来た人は皆そうやって自分の生活にまた戻っていくのだろう。


こんなにも思い出してしまうのは、あの時貰ったムギちゃんのモビールをカーテンレールに吊るしているせいなのかもしれない。
もう少し寒くなったら、外そう。そう思った。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?