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オクサマ、お別れ。

木曜ドラマ「いちばんすきな花」に出てくる椿君と椿君の元婚約者の純恋さんを想像して書きました。

昨晩は珍しくワインを飲んで寝たのに、いつもより早く目が覚めてしまった。
静かに体を起こして、隣で寝ている人をじっと見る。
椿君が寝ている。両手を太ももに挟んで背を向けて小さくなって寝ている。しっかりとパジャマの裾をズボンにインしないと寝られないから。と言っていたこの男。大好きなのに寝ている姿を見ると「この男」と心の中で言ってしまう。
今日は日曜だから起きたらゆっくりと朝食を食べて、二人でどこかに出かけるだろう。
この人との間に特に今日やらなければいけない用事は無くて、晴れた街をゆっくり手を繋いで歩いて帰ってきて、食事をして、日が変わる前にこの人は私の部屋を出ていく。
朝起きた瞬間に今日の一日が読めてしまう。一日だけじゃない、1か月先も1年先もこんな感じでいくんだろうって。読めてしまう気がする。
ささやかな幸せは確かにあるし、気分を害することも起きないけれど、それが今の私はもう耐えられないほどに嫌なのだ。

ブンッと短いバイブの音が鳴った。枕元のスマホを見ると海斗からのメッセージだった。
すぐにメッセージを開く。
「おきてる?」
「おきてるよー」
「はや~。俺今から寝るわ、ゲームやってたら朝になっちゃった」
「バカじゃないの?笑」
「起きたらまたラインする」
了解という意味のスタンプを返した。
何が了解なんだろう。今日の一日は決まってるのに。
頭の中で私が言う台詞を想像する。
昼ごはんを食べて少ししたら椿くんに
「ちょっと用事が入ったから出掛けてもいい?」
椿くんは何も聞かず
「そっかそっか分かった。じゃ、帰るね。ごめんごめん。」とそう返すに違いない。
スマホを握りながら、もう午後の予定を勝手に決めていた。
「ごめんなのはこっちなのに」と声に出さずに言ってみる。寝息を立てて、かすかに上下する椿君の肩に布団をかけて、私はベッドを出た。


椿君。高校一年生の頃に同じクラスだった。
クラスで1番体の小さな男子だった。そう、男の子って感じ。
母親が選んで買っただろう明らかに大きい白いワイシャツとサイズの合っていないズボン、ウエストをギュッとベルトで締めて着ていた。
少し猫背なのが余計に小さく見えた。白いワイシャツの袖からは細くて白い腕が伸びていて、いつも誰かにふにゃっと笑っていた。
彼の名前はとても印象的で、目立たないのに目立つ名前。でも彼に似合わなくはない名前。
私がルーズソックスを履いた脚を伸ばしながら、窓辺の前の方の席の椿君を見ると、いつも園芸部が植えた鉢植えを眺めていた。
鉢植えを見ている時だけは笑っていなくて、その横顔が絵に描いたように美しかったことを今でもよく思い出す。
椿君と話したことは高校3年間で一度もなかった。


30歳の節目の歳だからと誰かが開いた高校の同窓会に、今も繋がる女友達となんとなく興味本位で出席した。マンモス校だったので沢山の出席者や先生がいて懐かしい顔にテンションが上がった。
誰だか分からない同級生が多くて驚いた。
ごちゃごちゃした会場の中で、
細身のスーツを着たスラっとした男性が視界を横切った。
とても格好良くてつい目で追ってしまう。
初めて見る人なんだけれど、記憶の奥から細い糸が伸びてきて何かと結びついた。
見覚えのある猫背とふにゃっとした笑顔。…椿君だ。

見違えるようにスラっとした男の人だった。
話したこともないので目で追うことしかできない。
でもあの人に近づきたくてたまらない衝動。
気持ちが高ぶった。
そんな時の私の行動力は驚くほど早く、巧妙で、話したことのある仲の良かった男子を捕まえて、一緒に何食わぬ顔で椿君に話しかけに行った。
「椿君だよね?1年3組だった。私のこと、覚えてる?覚えてないかな…」
「小岩井…純恋さんですよね?…大丈夫です、覚えてます。よく僕のことが分かりましたよね笑」
「なんか笑った顔が見覚えあるなって思って。シュッとしてるからビックリしちゃった。ごめんね、あまり話したこともなかったのに、話しかけちゃって。」
「大丈夫です、ありがとう。」
会話が終わってしまうが、なんとかしてここを乗り切りたい、この人と次に繋げたい…と必死さを表に出さないように男友達が二次会に椿君を誘うのことを祈った。
なんとか小規模な二次会という流れになり、明らかに断れなかった椿君もそこにいた。
一目惚れに近かった。
半ば無理のある流れだったかもしれないが、お酒の力もあって私は椿君と連絡先を交換することに成功した。

いつもはすんなりいくメッセージのやりとりがたどたどしくて、それさえも新鮮に思えた。
連絡を重ねていくたびに彼のことが分かっていく。
今都内の出版社に勤めていること。
実家は花屋を営んでいること。
でも一人で暮らしていること。
弟が一人いること。
今は彼女がいないこと。
高校時代の私を凄くよく覚えていたこと。
その一つ一つが嬉しくて、顔が見たくて何度もご飯に行く約束をした。

「小岩井さん、よかったらお付き合いしてください。」
猫背の椿君が珍しく背筋を伸ばして私にそう言ってくれた。
「あ、あとこれお花なんだけど、どうぞ。」
ホワイトとグリーンをまとめた小さな花束を控えめに差し出した。
「ありがとう。」
男の人に花を貰ったのは初めてで、そんな人と付き合ってこなくて、この人と一緒にいるとこうやって自分も優しく笑えるようになる気がして嬉しかった。
今までにないゆるやかなスピードで一つ一つ進んでいく関係がとても愛おしく、大事にしてくれているように思えた。
お互いの年齢。
この始まりの時からこの人と結婚をするんだろうなという確かな気配が漂っていた気がする。

1年目も2年目も椿君はいつだって優しくて優しくて優しくて、ただ優しいだけだった。

「久しぶりに映画行こっか。椿君は何観たい?」
「うぅーん、、純恋が観たいのでいいよ。」
「夏だしホラーでも大丈夫?」
「え、大丈夫っ行こっ」
明らかに一瞬眉間に皺が寄ったのにそれに気づかないふりをして、結局それを観に行った。
映画館を出た後、椿君はどこか落ち着かない様子で、握った手が珍しく汗ばんでいた。
家に戻るとすぐに水を一気飲みして、ソファに腰かけてふぅ~と大きな息を吐きながら天井を見上げた。
「どうしたの?変だよ?」
「ちょっと疲れた」
「嫌だった?あの映画。」
「いや、そうでもないけどちょっと」
「いやいや、そうでもないことないじゃん、嫌いだったんだね、ああいうの」
「ごめん」
「いや、謝るとかじゃなくて大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。きっとああいうの何回も観たら慣れるよね。純恋ああいうの好きなんだもん仕方ないよ」
「仕方ないって何?慣れるって何?別に嫌なら嫌って言えばいいじゃん。行く前に言うんだよ、普通は。いっつもそう。私が好きなもの全部好きになろうとしてない?そういうことじゃないんだよ。それは優しいこととは違うよ?」
「普通はそうなんだよね、ごめん」
「私こそ無理させた、ごめん」
なんだかいつも自分ばかりが多く喋っている。
お母さんみたいなことを言ってしまう。
こんな時が何度もあるのに私たちは結婚に向けての準備を進めていった。
いつも霧がかかってしまって見えにくい。
白く見えづらい中、何かを探すように私たちは普通の恋人と同じことをするけれど、一向に霧は晴れない。
椿君のすることは「恋人との接し方」とスマホで一生懸命に検索して調べたことのように思えてならなかった。


いつも私のタイミングを見計らったように海斗から連絡がくる。
私がトントントンと返事が返せる丁度いい時間に。返すのに頭も気も使わない、意味はないけど見返すと思わず顔が緩むような短文のメッセージがたまにくる。
海斗、純恋と当たり前に呼び合っているけど、椿君の前では「森永君」と言うようにしている。
「すみれー、今度マリちゃんも呼ぶから一緒にご飯いこー」
なんとなく距離をとっていたけど、マリちゃんも一緒ならいいか、と久しぶりに海斗と会うことになった。
海斗とマリちゃんと私は大学の時にバイト先が同じで知り合った。CDショップ。
三人とも音楽が好きでお互いが好きなバンドを教え合ったり、ライブに行ったり、フェスに行ったり、カラオケに行ったり。
いつもガヤガヤと賑やかなところで遊んでいた。
その日も三人が集まるのに距離が丁度いいって理由だけでそこまで美味しくもないファミレスで会った。
この人達といると回りが騒がしくても気にならない。それぐらい話が尽きないし自分たちもうるさくなる。
椿君といると自分たちが凄く静かなような気がして、外の音が気になってしまう。
「ここ、ちょっとうるさいね、別のお店にすればよかったかな」私はそんなことをよく言う。

「私、結婚決まった、家も買うかんじ」
「まじで?!おめでとうー!!旦那さんすごー!!」
「まだ旦那さんではないけどね(笑)」
「ずっと付き合ってる人だよね?結婚式は?やんの?」
「まぁこじんまりと。家族だけでやるつもりだから、友達は呼べないかも」
「えぇ~寂しいなぁ。でもいいや、あんま結婚式って好きじゃないし。でも心からおめでとうとは思ってるよ。ハルキさんだっけ?会わせてよ~」
「ま、それはいいじゃん、なかなか会えなくなるかもしれないからさ、今日はとにかく楽しも!!飲も!!」
その夜は、申し訳ないほどに楽しかった。
なかなか会えなくなると自分で言っておきながら、この日を境に、海斗とまりちゃんと会う回数が増えた。
予定が合わない時は女二人の時もあれば、海斗と二人の時もあった。
楽しい気持ちが後ろめたさを上回る。
この後ろめたさは、家で一人本を読んでいる椿君を思ってでもあるし、本当の自分を思い知ることでもあった。

洗濯をする時、自分の服の匂いを嗅ぐと煙草の匂いがうつっていることに気づいて、また申し訳ない気持ちになった。別に何も悪いことはしていない大丈夫。
不思議なことにここ最近、椿君のワイシャツからも煙草の匂いがかすかにするのだ。
お互いがこの匂いに気づいているのか、それとも気づかないふりをして何も言わないのか、はっきりさせないまま柔軟剤を少し多めに入れて洗濯機を回した。

ある夜、簡単に私は海斗と一線を越えた。これまでしてきた恋愛と同じ速度で。
私は友達の前で一度も恋人の愚痴を言わなかったのに

「すみれ、結婚して大丈夫?」
突然、ベランダで煙草を吸っていた海斗が振り向いて言った。
「急に何言うのよ、もう戻れないでしょ」
「おまえ苦しそうだよ?たぶん旦那さんも」
「…知ってる…。
海斗みたいな人好きになったらこんなことにはならなかったのにな。
どうして椿君を好きになったんだろう」
「好きになったんだから仕方ないよ、そればっかりは。でもさ、苦しいの一生続くのしんどくない?
お前のやってること、全然羨ましくないし、なにそれ?ってかんじだけど」
海斗の言う事は正論すぎて、うん…と頷くしかなかった。
海斗と話していると薄くかかった霧がみるみるうちに晴れていくのがわかった。
何かがあると思って必死で探していた霧の向こうには、何もなかった。

花も捨てられない椿君が私を捨てることはできない。
私から好きになって声をかけたんだから、私で終わらそうと思った。

「すみれー。いまどこー?引っ越し屋さんもう来たよー」
次々と入る椿君からのメッセージを無視する。
私は何回この人のことを無視してきただろうな。自分から好きになっといて、うまくいってると思い込みたかった。この人が旦那さんになるのがいいって思い込みたくて、この人の優しさの向こうにある姿を無視し続けたなぁと、ひとり自分の部屋でチョコのアイスを食べながら考えた。
でも、私が穏やかで単調な生活に飽きていることを椿君は知っていたのに、それも無視され続けてきた気もする。
ちゃんと話さなくちゃいけなかったなぁ。
壊すのが怖くて話せなかった。ごめんね。


結婚式を挙げる予定だった日。
夜に自転車を走らせて、私が住むはずだったあの赤い屋根の家の前を通った。
リビングに灯りがともっている。
シェードが下ろされた向こうに4人の人影が見えた。
椿君よかったね。ありがとう。

私は静かに自転車を漕いで、後にした。








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