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東京、冬。

もうクリスマスの季節になった。

ある日の午後、見慣れない市外局番から電話がかかってきて、警戒しながら出ると聞き覚えのある声がした。
「中井朔太郎さんの番号であってますか。石垣島のロックの祥子です。」
「あ、祥子さん?お久しぶりです。ごめんなさい、俺不愛想な感じで出ちゃって(笑)」
「こっちこそ突然にごめんね。元気そうな声ね。あのね、中井君の忘れ物があってね、送ったのよ。4日ぐらい前にメール便で発送したんだけど、届いてる?」
「忘れ物ですか?ちょっとポスト見てくるんで、待ってて貰っていいですか?」
「うん」
「あ~来てました来てた!!何、忘れてきちゃったのかな、俺、何も気づかなかった。」
「本とペンケースよ」
スマホをスピーカーにしてハサミで封筒を切って中身を見てみる。見覚えがあった。彼女のものだ。
「祥子さん、これ、あの人のですよ。ミーコさんの」
「え!!うそ… さくらちゃんのなの?」
「えっと……さくらちゃん…。あの人、さくらちゃんって言うんですか?」
「そうよ、北島桜って名前。知らなかったの?」
「はい。」
「お父さんが言い張るもんだから、てっきり中井君のだと思っちゃって。ごめんなさいね。やっちゃったな~。……悪いんだけどさ、中井君から渡してもらえないかしら?」
「へ?……でも住所も何も知らないです。」
「連絡先も?!仲良かったのに(笑) じゃ、一旦こっちで桜ちゃんに連絡とってみるわ。ごめんね。また連絡します。」
「あ、はい。分かりました。」 

ドキドキした。動揺している。動かないと思っていたものが動き出した。
彼女の本当の名前を知った瞬間に、優しくて温かいピアノのメロディ が頭の中で流れて、始まる音がした。
もう一度、送られてきた彼女の本を取り出してパラパラとめくってみた。あるページからハラリと落ちた栞。正確には栞の代わりにしている、折り紙の手裏剣だった。子供が作るようなあれだ。水色とピンクの折り紙を組み合わせた手裏剣を拾って元のページに戻した。大事な物のような気がした。人の持ち物を見てしまった罪悪感が残ったのでペンケースのチャックは開けなかった。
そして送られてきた封筒に戻して俺は封筒の中の香りを嗅いだ。あの島の空気の匂いがするんじゃないかと可笑しなことを思ったからだ。何となくロックの優しい石鹸の匂いがする気がして、それが逃げないようにもう一度封をした。

夕方に再び祥子さんから電話があった。
「桜ちゃんと連絡ついて、渡して欲しいって言ってた。連絡先も中井君に教えても大丈夫だって言ってもらえたから、今から電話番号言うよ。」
「あ、あ、ちょっと待ってくださいよ、、はい。
大丈夫です。教えて下さい。」
「080-〜〜です。本当にこちらの手違いで申し訳ないんだけど、よろしくお願いします。桜ちゃんに会ったら宜しく言っておいてね。ありがとう。じゃ、失礼します。」
「はい、分かりました。祥子さんたちもお元気で。失礼します。」
自分で書いた数字をじっと見つめた。
今日はちょっと気持ち的に連絡できそうもない。整えて電話をしよう。

一日のうちの何時頃に電話するのがいいだろう、彼女の生活を想像してみても良く分からなかった。早く電話をしなければいけない。息を吸い込んでから番号を打ち込んだ。 
「もしもし。」
ミーコの声だった。
あれから何度思い出そうとしても思い出せなかったあの声だ。
こんな声で、こんな話し方だった。
彼女の住む街の駅前の喫茶店で今度の火曜日に会う約束をした。喫茶店は彼女からの提案で決まった。15時。

初めて入る喫茶店。彼女がいかにも行きそうなレトロなお店だった。まだ彼女は来ていなかった。今日は特別に寒い日でお店の暖房と充満しているコーヒーの香りに肩の力が少しだけ緩んだ。
一度注文を聞きに来てくれたが、もう一人が来てからにします、と断った。
カランとドアベルの音で入口を見ると、真っ白なダッフルコートを着た彼女が居た。あの夏の夜明けに別れたあの人がそこに居る。
俺を見つけると、彼女は初めて会った時と同じように、ペコリと頭を下げた。俺もつられて、会釈した。
「雪が降ってきた。凄く寒いね今日」
彼女のコートは雪で少し濡れていた。
彼女はミルクティー、俺はホットを頼んだ。

「こんなことってあるんだね。もう会うことはないと思ってたよ」
「そうだよね。さくちゃん、シュッとしてて、なんか別の人みたい。」
「あなたこそ、名前、北島桜さんていうんだね、別人じゃん」
「ふふふ。北島桜です。はじめまして。」
「出会い直しみたい。お互いのこと、何もよく知らないよね」
「なんか夏のあの島は、何も知らなくても、別になんだっていい気がしたじゃない?」
「ただ楽しかったよね」
「うん。…で、さくちゃん、お仕事は何を?」
「俺はね、建築士なんだ。家を作る仕事をしてる」
「へぇ!!だからか、島を歩いてる時キョロキョロ、家ばかり見てた!」
「そうそう。そちらは?お仕事は何を?」
「ライターを細々と。食べ物やお店のことを書いたり。でもそれだけじゃ食べていけなくて、パートもしてるよ」
「だからか!どおりで美味しいお店に詳しかったわけだ!」
別の人のように感じたけど、あの夏の記憶と結びついて行く。

「これ、忘れ物。この封筒の中の匂い嗅いでみ?」そう言って彼女に送られてきた封筒を渡した。
彼女は受け取ると封を開けて、鼻をつける。
「あぁ……ロックの石鹸の匂いがする」
分かってもらえて嬉しかった。
彼女は本を取り出してパラパラと捲ると、手裏剣の栞を細い指に挟んで、話しはじめた。
「隠すつもりはないから言うけど、私、子供がいるの。7歳の男の子。大輝って名前でね。これは大輝が作った手裏剣第一号。」
俺はあまり驚かなかった。
「大事な人がいるだろうな、とは思ってた。7歳の男の子だったか。」
「うん。」
「…ご結婚は?」
「ご結婚は…していましたが、今は大輝と二人」
「あぁ。」
この自分の「あぁ。」に感情が出過ぎてしまって、自分で笑った。
「こないだは、色々重なって一人で石垣島に行ったんだけど、いつもは毎年大輝と二人でロックにお世話になってるんだ。一人の石垣島は実は初めてだったの。」
「なるほど。」
二人とももう飲み物がなくなりそうだった。
「学童のお迎えの時間、もうすぐ。今日はわざわざありがとう。…名残おしいな。ふふふ」
「……うん、また会えないかな?会いたいんだけど」
「いいの?」
「今度は大輝くんも一緒に。このプリンご馳走様するよ。」
「喜ぶと思う。」

二人で店を出ると、雪が本降りになっていた。
止まることなく降ってくる。
「こないだ会った時はあんな暑かったのにね、凄い雪だね」
二人で笑った。
彼女は鞄の中から折り畳み傘を出して、俺を入れてくれた。
俺は傘の柄を持つ彼女の手に、自分の手を重ねて包んだ。桜が俺を見た。
「あったかい手だね」
冬のこの都会の片隅で俺は彼女の体温を初めて感じた。

終わり。


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