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ある夏の日の話 ③打ち上がる花火

駅には17時20分に着いた。まだ鈴木くんはいない。まだ蝉がうるさく鳴いている。昼間の暑さの残りと、まだ沈まない太陽の熱で凄い暑さだ。立っているだけでも背中に汗が伝う。 5分ほどずっと改札を見ていたら、鈴木くんが現れた。その服装に驚いた。鈴木くんは浴衣を着ていない!黒の無地のTシャツにブカっとしたブルーのデニム。コンバース。てっきり二人で浴衣を着て行くものだと思っていたから、え…⁉︎と言う驚きが隠せなかった。                   「なに、なにその顔⁉︎ 俺なんか変?変ってほどの服装でもないよね?」            「なんで浴衣着てないの⁉︎」          「浴衣なんて持ってないもん」        「えぇ!てっきり鈴木くんも浴衣着てくるものだと思ってたんだけど。こんな、私だけ気合い入ってるみたいで恥ずかしいじゃん」       「ごめん、なんか。ごめんね?でも凄く綺麗ですよ、本当。綺麗な人って感じ」        「ありがとうね。まぁ、いいや。行きましょうよ、とりあえず」             「はい。人が凄い多いからね、迷子にならないように。」                  二人でブツブツ言いながら、会場に向かった。 「今日なにしてた?」            「俺は朝起きてー、掃除機かけてー、スーパーに買い物に行った」              「ふふふ、主婦かよ」            「さっちんは?」              「私はこれ着る為に桜んちに行ったの。これ桜が着せてくれたんだよ。」           「あいつ、そんなことも出来るんだね。京太郎は?おっきくなってた?」          京太郎は桜の3歳になる息子。3ヶ月前に二人目の女の子を出産している。          「大きくなってたよ!きょうちゃん、オムツ取れてたの!凄いよね⁉︎   でも、私のこと一丁前にオバサンて呼んだから、そこはちゃんと注意しておいた」                   「ダハハハハ」               会場に着いたら、凄い人混みだった。肩をぶつけずに歩くのが難しいほどに人で混み合っている。その時、ドーーンと一発目の花火が上がった。 おぉ!と道ゆく人からも歓声が上がり、私は鈴木くんと目を合わせた。もう少し視界が開けたところに行こう、と無言の合図だった。花火が見える。ドーーンと打ち上がる。その音は地面から私の足を通って体の奥に入ってくる。久しぶりのこの感覚。その音の後に夜空に大きな円を描いて色とりどりの火が燃える。          「すごいね…花火」              「ね。」                  私たちはあまり話さず、打ち上がる花火を見ていた。                    高揚して好き好きに話す人々の声。      立ち並ぶ屋台から聞こえる威勢のいい店員の声とインバーターの騒音。            アスファルトから立ち登る熱。浴衣。     体を突き上げる花火の音。          五感のすべてで夏を感じて、今日、私は鈴木くんとどうにかなるような気がしてしまった。   隣に立つ鈴木くんの汗で少し濡れた襟足と屋台の光で照らされる首筋。空を見上げる彼の尖った喉仏を気づかれないようにこっそりと見ていた。 「暑いよね、なんか飲み物買おうっか。かき氷にする?」                  「私、かき氷にしようかな」         「俺買ってくるから、ここで待ってて。何味がいい?」                   「いちご。ありがとう。」 

ふと、人と人の隙間から屋台の前で駄々をこねる女の子が見えた。かき氷を買って欲しいと泣いている。そこに駆け寄ってきたお父さん。    その人は紛れもない課長だった。駄々をこねる小さな娘に困ったように声をかける。泣き止まない。すると女の子のお母さんが来た。     あぁ、あれが課長の奥さんか。        ゴールドのループのピアスをつけて、白いパンツ姿の女の人。お母さんが来たら女の子は泣き止んでお母さんに抱っこをされて、その家族は人混みの中に消えた。お父さんの出る幕なし。    この私の中で衝撃的な映像が頭から離れなかった。鈴木くんがいちごのかき氷を買ってきてくれたことも、勿論かき氷の味もよくわからないほど、さっき見たものが衝撃的だった。     自分の体の中の空気がみるみると抜けていくのを感じた。                  私の好きだった人はあの子のお父さんであの女の人の旦那さん。               あぁ、そうなんだ。             そんなことを考えながら溶けたかき氷をストローで吸い上げた。               ドーンドーンと花火の音は止まずに私の体を通ってくる。この大きな振動が私の中の要らないものを押し出してくれたらいいのになと思った。

  

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