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#13 水とめぐる大岡山・千束

こんにちは!
もうすぐ8月ということで暑い日が続いていますが、夕立や台風など、雨が心配な季節でもありますね☂️
皆さんは、空から降った雨がどこに流れていくかご存知ですか?
もしかしたら、自宅の側に降った雨が洗足池に流れ込んでいるかもしれません…!

大岡山・千束地区の未来のためのまちづくりアンケート」の自然環境に関する問いでは、約8割の人が「清水窪湧水や洗足池など、水のある環境を守り育て、後世に残していけるとよい」と回答しており、この地域ならではの豊かな水環境が大切に思われていることが分かりました。
今回は、そんな水にまつわるお話をご紹介します🙌

1. 身近な水辺の記憶

坂が多く入り組んだ地形をしている大岡山・千束の地域では、かつて、いろんな場所から水が湧き出ており、雨とともに4つの流れとなって洗足池に流れ込んでいました。

当時の洗足風致協会会長 岸田勇氏 筆
(電車の路線や水色は、分かりやすいよう後から書き加えたものです)

こちらは、大正8年(1919年)頃の大岡山・千束地区の絵図。
4方向から相当量の水が洗足池に流れ込んでいたことが分かりますね❗️
今は暗渠となっている場所も、この頃は当たり前のように水の流れが目に見えていました。

水辺での思い出

そんな水の流れが埋められる前のことを、#03ぶりに、当時小学生だった、現在大岡山・千束地区まちづくり協議会の会長を務める田ノ倉さんに伺いました。

子どもの頃は、水路に入ってザリガニをとっていました。
この頃の洗足池はヘビが出たり、幽霊屋敷があると言われたりの怖い所。子どもだけで近寄ってはいけない場所でした。護岸がなく危険だったのでしょう。親と一緒のときは、お花見、ボート、お祭りの屋台、かい堀り、クチボソ捕りと楽しかったです。

洗足池に、怖い場所というイメージが結びついていたのは、憩いの場となっている現在の姿からは考えられませんね😳

また、#11でご紹介した東工大のひょうたん池も、当時は絶好の遊び場だったようで、とても楽しそうにお話してくださいました。

かつてのひょうたん池はジャングルの中。ターザンみたいに木にからみついたツタをたぐって、おたまじゃくし捕り。と言っても私にはできませんからお兄ちゃんたちが、網ですくったのを受け取る係りです。親指ほどの大きなオタマジャクシで、欲しくて後ろを付いてまわりました。
この辺で育った私たちが最初に水泳を覚えたのは、東工大にあった深く掘られた防火水槽で(*おそらく当時の実験用の水槽)。怖かったけど、少しずつ泳ぎを覚えたものです。

これだけ親しまれていたひょうたん池もフェンスで囲まれ近寄れなくなり、4つの水の流れも、戦後の残骸処理による埋め立てや、1964年の東京オリンピックに向けた環状7号線や駒沢オリンピック会場周辺の開発の影響で水脈を失い、水辺に触れることのできる場所は少なくなってしまいました。
大岡山・千束地区も、まちの姿が大きく変わったのですね。

2. 水のある暮らしの名残

水にまつわる地名

まちの姿が大きく変わる前、宅地として開発される以前のこと、豊かな水のあるこの地域は農地に適していたのだろうと思いませんか?
実は、そうもいかなかったようです。
急峻な谷を流れる水は土を削り、湧水は冷たすぎて、田畑に適した土地ではなかったとか😵
その一方、田畑に利用できなかった水は洗足池で温められ、下流の地域では豊かな実りとなり、この地域は貴重な水の供給源となっていました🌾
そうして、「千束の稲の納税を免除」されていたことから、この地域には「千束」という名称がついたそうです。
この地域の馴染み深い「千束」という地名に、こんな由来があったんですね💡

地形と地元自治会

また、この地域では、古くから続く自治会が今もなお、私たちの地域生活を支えてくれています。
そんな自治会ですが、自治会同士の境と町丁目の境が一緒でないことを不思議に思ったことはありませんか?
実は、この自治会の境界のいくつかは、この地域が整備される以前、水の流れや地形に沿って分けられたそうなんです✍️

自治会と行政界(地理院地図より作成)

地元の声を届け続ける洗足風致協会

また、水の流れが集まる洗足池。
昭和5年(1930年)に風致地区に指定された後、昭和7年には保全のために地元有志により「洗足風致協会」が設立されました。
当時、風致地区として指定された地区では、各地で同じように風致協会が設立されましたが、現在まで活動を継続しているのはこの洗足風致協会のみ!
かつての想いを引き継ぎ、自然や文化の豊かな洗足池を今なお守ってくれている心強い存在です😌

身近な場所に残る面影

そして、この地域には、井戸が残っている場所がたくさんあるそう!
皆さんの周りにも、井戸が残っているかもしれません。
ぜひ、住宅地や公園、学校などで探してみてくださいね⭐️

3. まちをめぐる水の話

現在、水の流れ自体を見ることのできる場所は減ってしまいましたが、確かに洗足池へ水は流れ込んでいます‼️

武蔵野台地の端に位置するこの地域。
台地上に流れた水が地下へと染み込み、崖から湧き水として出ています。
現存する代表的な湧水が、清水窪弁財天にある清水窪湧水であり、東京名湧水57選のひとつに指定されています。

地形図と清水窪湧水(地理院地図より作成)

清水窪湧水で湧き出た水は、再び地下を通り、洗足池に流れ込んでいます(大岡山駅付近では線路下を通っているんだとか👀)。
そして、洗足池から洗足流れを通り、呑川へと合流し、東京湾へ。

清水窪湧水からのこの流れは、「桜のプロムナード」と名付けられ、水の流れに沿って散策を楽しむことができます。

桜のプロムナード
(出典:おおた区報WEB版 令和2年3月21日号

洗足池の水源

大田区では、ほとんどの下水道が合流式であり、道路や敷地内に降った雨水は家庭から出た下水と同じように下水管へ流れ、処理されます。
宅地の開発と路面の舗装、庭地の減少に伴い、それまではゆっくりと浸透していた雨は、すごい勢いで側溝から合流式の下水道へと流れるようになりました。
近年では豪雨が増えており、規定量を超えた際には下水が呑川などの河川に流入し、臭いが気になることも…😢

一方、洗足池に流れ込んでいるのは、雨水と湧水だけ!💧
平成16年(2004年)ごろに洗足池の集水域では、洗足池の水の流れを守るために、地元の風致協会と大田区が協力して、道路に降る雨が透水性舗装と浸透桝を通して集水路に集まり洗足池の水源となるよう、工事が行われました。
流れ沿いの住宅には雨水浸透桝が設置され、雨水はゆっくりと大地に浸透し、残りの水は導水管から洗足池へと流れ込んでいるのです。
このようにして、今も綺麗な洗足池の水が保たれているのですね✨

台地へ浸透する水の減少によって、清水窪湧水の水量も減少し、洗足池に流れ込む水の量も減少します。
実際に、1986年度には1日に778トンあった洗足池への流入は、2019年度の調査では346トンと大幅に減少していることが分かりました(出典:名勝洗足池公園保存活用計画)。
洗足池の水が枯渇するほどではありませんが、浸透枡や雨水管の設置など雨水の利用を見直すことが、洗足池の綺麗な水源を確保し豪雨時の河川の汚濁や氾濫の可能性を減らすこと、地下水を涵養しこの地域より下流の地域での湧水を守ることなどにもつながると考えられます!👏

雨水の流れのイメージ図

雨を楽しむ暮らしに

私たちの身近なことから水環境のためにできることはないのでしょうか?
実は、大岡山駅前広場に面した場所にある海鮮料理店「つかさ」では、2015年頃から雨水を貯めていらっしゃるそうです。
屋根に降り注いだ雨は、雨樋を通って3つの雨水タンクへ。
そしてタンクに貯まった雨水は、駅前のコミュニティガーデンの水やり等に使用されています🌱

大雨の日には30分ほどで全てのタンクが一杯になるそうです☔️
7月21日の駅前花壇のお手入れの際にも使用されていました🌼

つかさのように「自宅でできることないかな、だけど費用も心配…」という方、大田区では、雨水貯留槽の設置雨水浸透ますの設置への助成制度があります!
このような仕組みも上手く活用しながら、日常生活の中で水循環への意識を育んでいきたいですね。

地域に降った雨を、地域のために使う。
少しの意識の変化が、地域の水環境はもちろん、少し離れた地域に住む誰かの環境を、そして大切な風景を守ることにつながっているかもしれません☺️

4. おわりに

皆さんいかがでしたか?
我々の目に見えないところで、大きな水の流れが昔から今も続いているんですね。
そして水の流れから、今まで知らなかったまちの姿に出会うことができました。

豊かな生態系が育まれたり、遊び場になったり、疲れた心を癒してくれたり、身近な水辺のある風景をこれからも守っていきたいです!
ぜひマンホールの上を歩いた時や雨が降った時は、水の流れを想像したり、水の気持ちになってまちを見たりしてみてくださいね🙋‍♀️

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