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この頃日記と春の気配

2月末頃にインフルエンザにかかってしまい、それはなかなかにしんどかったのだけど、その後も低空飛行が続いていた。そういえば毎年このくらいの時期はなぜか気分が落ち込むことが多いのを思い出して、あぁそんなもんだったかと納得する。
散歩をする気にも写真を撮る気にもならないしギターを弾いたりあれこれしたりという気にもならず、今思えば相当に無気力だった。

こんなときに思うのは、体調や気分の低調によってそれまで楽しんでいたことに対しての関心が薄れてしまう残念さや寂しさみたいなもの。好きなことをしたいと思えなくなるというのは、喪失感が大きいのにそうなってしまったらもうどうしようもできないことが結構ある。でも、時間が経ってまた関心が戻ることもあるし、それを期待しているうちはまだ好きでいたいのだと思う。

noteもこれまでの頻度からするとだいぶ間が空いてしまった。数週間とか1ヶ月とかのスパンで投稿されてる人からしたら、何を大げさなと思われることでしょうという感じなのだけど、このままフェードアウトかもと頭をよぎったりした。
更新が途絶えてしまえば、そこで出会った人たちとの繋がりは切れて忘れ去られてしまう…なんて考えたら、狭い範囲で生きている身としてはすこし寂しいことだなと感じた。
それに、InstagramもXも合わない自分にとってはオンライン上で不特定多数の人に写真を見てもらえるのはnoteくらいしかないので貴重な場所でもある。

幸いにもまたこうしてたどたどしくも言葉に残そうという気が戻ってきたので、楽しいと思えるうちは楽しんでいこうと思う。


そんなこんなで先日、春の気配を探しに行きました。

写したいものがどんなものであれ、自分にとって写真を撮るというのは世の中と繋がろうとする意欲がなければできないことだとあらためて感じました。こうしてnoteで見てもらうことも含めて、写真はコミュニケーションのひとつの形なのだろうなと思っています。