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母の携帯電話

母の死後の手続きで右往左往しています。

残り1ヶ月分の年金を貰うために、大量の書類を準備して、年金事務所を予約して行かなきゃならないとか

戸籍が田舎のままだったので、戸籍謄本は郵送で取らなきゃならないとか

受取人をしてしていない生命保険は法定相続人全員の署名捺印がいるとか

生前、無いと言っていた株が見つかって、どこの証券会社か分からず、名寄せするのに手続きが必要とか

遺言状の執行のため行政書士と打ち合わせたりとか・・・その他諸々・・・

もう、多種多様な書類、100枚位は用意したんじゃないかっていうくらい、紙の束に埋もれています。

そして、手続きを一つ一つ終えるたび、母が生きてきた痕跡を消しているような気がして、やるせない気持ちに包まれています。


そんな中、母の携帯電話を解約しようと、本体を持って携帯電話ショップに行きました。

人が死ぬと、携帯電話の解約は簡単です。

死亡通知のコピー見せて、署名するだけです。

加入するときは、あんなに面倒なのに、なんか、拍子抜けするくらい死後の解約は簡単でした。

そんな手続きの中、待っている間に、母の携帯の中身を見ていました。

母は、メールも打てないし、カメラも使いこなせないくらいの機械音痴で、電話機能だけしか使っていないと思ってました。

ふと、カメラフォルダーを見てみると、何枚か写真が入っていて、カメラなんて使えないんじゃなかったのかなと思いながら写真を見てみると、私の結婚式のときの写真でした。

私と嫁さん、二人並んで車に乗るときを写した写真。

友人や親戚でごった返している中、慣れない携帯電話のカメラを起動して、わざわざ撮影したんだと思うと、涙が溢れてきました。

持っていたかったんだろうな・・・息子夫婦の写真・・・

書類上は生きている痕跡は消えていくかもしれない。

だけど、母が生きていたとき、間違いなく携帯電話のカメラは母の手で動かされ、それは母の喜びで撮影されていた。

この痕跡は、母の愛情として、私の心から消えることはない。


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