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20240203

 諸般の諸々を終えて帰宅、帰宅して体力の温存をしている間に出掛ける時間となって、慌てて自宅を出て、駐輪場まで自転車を漕いで、駅に到着すると目の前に電車が来ていて、慌ててホームに向かうと電車の扉が閉じかけていて、鉄道愛好家としてはあるまじき行為「駆け込み乗車」をしてしまった。一応、一番後ろの運転室から顔を出していた車掌さんにはお礼のつもりで手を振ったりはしたけれど。
 と、そんな事しか書けそうにないので、近況など。
 以前からぼんやりと、自宅のパソコンのスピーカーを交換したいと思っていた。
 いや、正確に言うと交換したいと思っていたスピーカーはレコードプレイヤーを繋いでいるスピーカーを交換したいと、ずっと考えていて、年を越して何とか実現出来た。
 今パソコンに繋いでいるスピーカーをレコードプレイヤーに繋いで、パソコンのスピーカーは新調。
 本当は楽器屋さんを巡って、実機を見て選んで決定したかったのだけれど、スピーカーを展示している楽器屋さんを見つけるのが難しい。
 インターネットで調べてみると、すぐに通販のサイトに導かれるし、何かのついでに足を運んでみても、モニタースピーカは置いてないとか、色々。
 仕方なしに通販のサイトで良さげなスピーカーを選んで注文をする。
 お店で見ても、インターネットで実機を見ても、いざ自分の家に置くとなると、どれ位のスペースが必要になるのだろうか、というのが、お店に置いてある姿や、インターネットで書かれた寸法を見ても、お店と自宅の空間の違いで、想像が困難で、何れの方法を選んでも、家に物が届いてからその実像が見えて来る。
 パソコンのスピーカー。今までは唯々、何も考えずに、ただ左右に振って置いていただけであったのだけれど、スピーカースタンドなるものを用いる事にして、その設置に備えて、材木をホームセンターで買って丁度良い長さに切ってもらったり、右往左往している間に時間が経った。

白いスピーカー。

 それで、忘れもしない1月21日。ソウル・フラワー・ユニオンの中川さんが、ゲストにキーボードの奥野さんを迎えてという日。本当は拝見に下北沢は440に伺おうと思っていたのだけれど、チケットを予約しようと思った瞬間に前売りは売り切れてしまったとの情報が伝えられて、当日券は立見でも拝見出来るとの事だったけれど、当日券も売り切れてしまったら、入る事さえ出来ないのでは無いか、という事と、スピーカーの設置もしたかったので、下北沢行きは断念して配信で伺う事にした。
 スピーカーの設置にどれ位の時間が掛かるか全く見当が付かなかったので、スピーカースタンドの設置から始める事にして、ホームセンターで切ってもらった木材を今ある木材に重ねて、その両端にスピーカースタンドを組んで置いた。
 その上に従来からあるスピーカーを置いてみると、それだけで音が変わった気がして、今まで何をやっていたのだろうか、という気になる。
 スピーカースタンドだけで、こんなに音が変わるとは。スピーカーを新調する必要は無かったかなと思うも、実際に交換したかったスピーカーはレコードプレイヤーの繋がったスピーカーで、これはこれで良かったのだと思った。
 そんな事をコツコツと続けて、1月21日にパソコンに繋げたスピーカーの柿落としをしようと、インターネットに繋げて、配信の時間を待った。
 あれやこれやと用事も入ったりして、開演からは拝見出来なかったけれど、二部あたりから拝見する事が出来て、家のスピーカーの柿落としも無事完了。
 スピーカーでも柿落としと言うのか甚だ疑問ではあるけれど、そう言う事にしておく。

 そうして、新しく設置したスピーカー。ヤマハのモニタースピーカー。実に音源に対して忠実に鳴らして貰えている様で、音源を聴いていると実に楽しいし、面白い。
 それからエイジングと思い、色々な音を流して、流しただけであるのに、調整を済ませた気になる。
 スピーカーが場所を占める様になったけれど、自分の人生でスピーカーに対して、こんなに考えが変わるとは思ってもみなかった。
 もう少し若い頃に気がついていれば人生は変わっていたかも知れないし、変わって無かったかも知れない。
 何とか設置も済ませて、通常の運行に入って、自宅で音楽を楽しむ事がこんなに楽しいとは、今までの音楽を楽しむ時間も楽しかったのだけれど、より一層楽しくなった。
 それで、部屋のレイアウトが少し変わってしまって、そこから波及する部屋のレイアウト変更にも時間が取られる様になってしまって、なかなか纏まらず。時間だけが過ぎて行って、適当な所で中断したままになって、部屋の中が歪になっている。今、憧れるのは収納上手。

 そんな日々を過ごして、2月3日。2月頭の土曜日。大阪梅田はムジカ‧ジャポニカにてソウル‧フラワー‧ユニオンの中川さんのソロライブ、音曲渡世ひとり旅2024、大阪‧冬篇に伺う運びとなっていた。

 諸般の諸々を終えて帰宅、帰宅して体力の温存をしている間に出掛ける時間となって、慌てて自宅を出て、駐輪場まで自転車を漕いで、駅に到着すると目の前に電車が来ていて、慌ててホームに向かうと電車の扉が閉じかけていて、鉄道愛好家としてはあるまじき行為「駆け込み乗車」をしてしまった。
 一応、一番後ろの運転室から顔を出していた車掌さんにはお礼のつもりで手を振ったりはしたけれど。と、冒頭の部分をもう一度振り返る。そうして特急電車より他に選択の余地は残されておらず、何の面白味も無い方法で梅田駅を目指す。
 電車に乗った瞬間に、普段、電車に乗っていて、駆け込み乗車があった場合によくアナウンスされる「無理な駆け込み乗車は止めてください」との旨を今日聞くと耳が痛くなるだろうと思ったけれど、挨拶が乗り際の挨拶が功を奏したのか、駆け込み乗車を控えるアナウンスは無かった。

駆け込み乗車をしてしまった普通電車。

 そうして乗換えの駅。特急電車に乗る以外の選択肢が時間の都合で、他には在らず。特急電車に乗り換えて、ただただ揺れに任せた。
 淡路駅の高架化工事も進んでいる様子。何やら摂津市駅の高架化の話もちらりと耳に入ってきて、どんどん景色が変わって行くなと。摂津市駅が高架化すると、そこからどんな光景が見えるのだろうか。
 等々と考えている間に、電車は神宝線と京都線の3線が並んで走って、京都線は一段高い。そんな淀川を渡って梅田。左岸の工事は何だろうと思いながら、日々の変化に少し疑問を感じて考えていると、電車は梅田駅に辷り込んだ。
 前の方に乗っていたので、3階の改札口から梅田の街に飛び出て、駆け込み乗車をしていなければ、今頃、阪急東通り商店街を急ぎ足、というよりも駆け足で走り抜かねばならない所だったかと、コロナ禍のいつだったかの日を思い出す。
 しかし、駆け込み乗車をしないで済む様に少し早く家を出発しておけば良かったのだとその次に気が付いた。

阪急ファイブの屋上にある観覧車の写真では、梅田の賑やかさは伝わらない。

 それで梅田駅からは少し時間に余裕があって良かった。賑やかな梅田の街は土曜日。余りの賑やかさが苦手で、人気の無い裏通りを歩いて目指すはムジカ‧ジャポニカ。今日はソウル‧フラワー‧ユニオンの中川敬さんのライブ「音曲渡世ひとり旅‧2024大阪‧冬篇」を拝見に、少し急いだ。

この階段を上がる。

 ムジカ‧ジャポニカの前に到着すると、既に人が並んでいて、適当な所で佇む事にする。やがて開場の時間がやって来て入場。ステージが見易い様な場所に腰を掛けてビールを嗜みながら開演の時を待った。

開演時間を待つ間。

 開演時間の18:00がやってきて、出囃子はTHE POGUESの「A PAIR OF BROWN EYES」。以前に中川さんのライブで聴いた曲の歌詞の内容がムジカ‧ジャポニカに響く様に心に響いて、少し切ない様な気持ちになった。
 そして、一曲目が「バルカンルートの星屑」ギターの響き具合はどうだろうか、と思いながら拝聴。アルコールで少し暖まった体を揺らして歌う。歌う唄の歌詞を間違えてもマスク越しなので、少ししか照れずに済むなと思いながら、情景を頭に思い浮かべながら、あなたとまたあの場所へ戻る事を夢想しながら。
 立て続けに「おんぼろの夜明け」。寒い冬の夜明けの光景を思い浮かべながら、ぐっと来る様な、少し切なくなる様な気持ちになりながら、最後のメジャーコードで鳴らされる「夜明けの唄がある」の一節で希望と明るい気持ちになれる、唄の優しさ。
 それでMCにて「うたのありか」の四国3デイズと九州4デイズの谷間である事が告げられて、どちらの日程の一日も伺えない事に歯痒さを覚えながら。
 から「ロロサエ‧モナムール」から「ひがり」久方振りに拝聴する様な気もしながら、歌詞をよく聞き込んで、その背景を想像したりしていると、次の「移動遊園地の夜」で世界に広がった。何度も書いているけれど、何度も言いたいのは、高雄の瑞豊夜市の小さなメリーゴーランドが目に浮かんで仕方が無い。それに乗ったお子様のこれ以上に無い笑顔も。良い意味での溜め息が何度も溢れる。
 そして新曲「川から海まで」。パレスチナで発生している惨劇が、どうにかならないものかと。胸が締め付けられる様な思いで拝聴する。中川さんのアコギの演奏がバンドでの演奏になった時が楽しみでもあるなと。
 それから冒頭の出囃子でもかかったポーグスの「The Pair Of Brown Eyes」中川さんの描く訳詞が、これまた絶妙で、自分がその状況の中に居る様な気持ちで拝聴。酔った時にこんな気持ちになると、凄く寂しくなるだろうなと、開演前に何杯か飲んだアルコールも醒めかけて思った。
 アイルランドンでのパブでの話に羨ましさを覚えていると、第一部の最後の曲、新曲「千の丘の足音」。
 100年ほど前、関東大震災が起こった後の事を思い浮かべながら拝聴、Aメロとサビの抑揚が堪らなくて、グッと来るものがあって、早くバンドアレンジで聴きたいと思った。

 第一部が終わって、アルコールが少し醒めた様にも思えたので、補充。してから中川さんの断捨離コーナーをディグる。幾つか当たりを付けて、終演後に残っていれば買って帰ろうかと。

幕間、外に煙草を嗜みに行った時にパシャリ。

 第二部、名曲「松葉杖の男」のダンスミックスが掛かる中、中川さん登場。

 29年目の1月17日に神戸に行った話から「生きる」から、これまた久しぶりに拝聴する様な気がする「真空の路地で人が詩になる」人が集まる抗議やデモの現場が頭に過ぎる。上手く言えないけれど、曲の並び方で、その印象も変わると思いながら、(良い意味で)唸る様な展開に今日も中川さんのライブの味わい深い夜を堪能中。などなど思いながら。
 MCで死海のモノノケ‧サミットでヨルダンのパレスチナ難民キャンプに行った時、ヨルダンの死海に行った時の話は勉強になった。
 そんなMCから、どの曲が演奏されるのかと思ったら「満月の夕」だった。曲の前に繰り広げられた世界で拝聴する「満月の夕」は、またいつもと少し違った表情を見せてくれた様な気がした。から「アリラン」と続いて、MCではソウル‧フラワー震災基金から被災地の様子が少し垣間見えたりする。
 から北陸にエールを。という事で富山民謡「こきりこ節」から北原白秋「砂山」そして石川さゆりさんの曲「能登半島」。
 この曲を拝聴した時に、何故だか北陸新幹線が金沢まで開通する前に走っていた、急行列車「能登」の姿が頭に思い浮かんで、どうしてだろうとよくよく考えてみると、同じく、石川さゆりさんが歌う「津軽海峡‧冬景色」で「上野発の夜行列車乗った時から」と続く光景が混ざってしまって、そんな光景が頭の中に浮かんでしまったのだと思った。
 因みに急行「能登」は上野発の北陸に向かう夜行列車だった。

 北陸にエールを。

 MCで石川さゆりさんの話から、35年前の頃のレコード屋さんでの話。から、バンドの話でそのバンドは大体このバンドでは無いだろうかと思ったり、勝手に見当をつけた。
 から、第二部の最後にまさかの曲が披露されたのは「ソウル‧サバイバーの逆襲」だった。ニューエスト‧モデルでの演奏を思い出してみると、どうやってアコースティック‧ギターで演奏するのだろと思ってしまうけれど、案外というか、元々あったかの様なアレンジで、これが意外に自然な感じだったのには驚いた。
 アウトロの部分まで、丁寧に演奏されて、それと同時にソウル‧フラワー‧ユニオンが磔磔で演奏した時のアウトロのジャムセッションの様な部分も思い出してしまった。
 それで第二部が終了して、断捨離コーナーに当たりを付けに行く事再び。このレコードは楽しそうだ、とか色々吟味。
 アルコールの補充も済ませて第三部に備える。

幕間にパシャリ。

 第三部は「栄光は少年を知らない」から始まる。同じ地球の上で起こっている、戦争や紛争、虐殺を頭に思い浮かべる。やるせない気分になる。
 そしてキンクスのカヴァー「ウォータールー‧サンセット」で気持ちを日常の夕暮れ時に持って来て、やはり世界は繋がっているという事を考えた。
 から「石畳の下には砂浜がある」で品川駅前を思い出して、ここ数年、よく晴れた夕暮れ時に必ず頭の中に流れる「命の落書きで壁を包囲しよう」で、曲を聴くと、やはり夕暮れ時の気持ちとなって、本編が大団円。
 
 からのアンコール、今日のライブが終わってしまうのが少し寂しくもあるけれど、またの機会は近いうちにやって来る筈と思うと、また楽しみも増える。「平和に生きる権利」がムジカ‧ジャポニカに響いて、やはり心にも響いた。そして立て続けに「戦火のかなた」美しいコード進行に今日も心が打たれた。途中のハミングのメロディーラインも歌えて、歌う事の気持ち良さや楽しさを。この時間があって良かったと思っていたら、次に「うたは自由をめざす」で更に熱量が上がって、シンガロング。楽しい時間を何度も噛み締め直す。遂には、座りながらも体を動かして踊り出したりなんかする。 
 そして「ピープル‧ゲット‧レディー」で大団円。
 歌って、座りながらも踊れて、楽しい夜をありがとうございました。

 また伺います。

終演後に断捨離コーナーで、当たりを付けていたキャンディーズのライブ盤が無かったのは悔しかったですが、同じ様な感性の人が居るのだと思うと、これまた一興で、それも嬉しかったです。また伺います。

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