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20240128

 キセルのツアー「春隣」を金沢にあるライブハウス、もっきりやで拝見したいと思ったのは、寺尾紗穂さんの「北へ向かう」という曲が、お父さんが亡くなられて、お葬式の日に寺尾さんのライブがもっきりやであって、向かう途中の新幹線の中で出来た曲だと言うことと、同名のアルバムに収められた「北へ向かう」にキセルがゲストで演奏をしているという事がぼんやりと頭の中に浮かんで、京都磔磔で拝見するのも良いけれど、ここはひとつ、北陸は金沢のもっきりやで拝見してみようかと思った。
 全国各地、とは言えないけれど、あちらこちらに出向いてはライブを拝見している記憶があるのだけれど、北陸でライブを拝見するのは初めてで、それが金沢のもっきりやとなると、嬉しい気がするし、少し緊張もする。
 金沢21世紀美術館のすぐ傍という印象があって、伺った時にもっきりやの前を素通りして「あぁ、ここがもっきりやさんか」と思った事が過去にある。なので、場所は地図アプリで確認せずにでも、伺えそうな気がしたのも、ひとつの要因かも知れない。

 金沢、というか北陸地方に前日から乗り込んで、あちらこちらをと思っていたのだけれど元日に起こってしまった地震で、伺っても良いものやら。
 行っ何か出来そうな時間のギリギリまで悩んだのだけれど、結局、泊まったりする宿代も考えると、控えておこうと言う脳内会議の結果で、翌朝の早朝に家を出発する事になった。

 当日、28日の朝、そう早くも無い時間に、特急サンダーバード号を自宅から、そう遠く無い駅から乗る。所謂ターミナル駅では無い駅で、そんな駅から特急列車に乗る事が出来るのは便利だけれど、今ひとつ旅情に欠ける様な気もしながら、列車に揺られる。
 あと二ヶ月足らずで敦賀駅から先の北陸線が第三セクターの「ハピラインふくい」に運営が譲渡され、金沢駅まで向かっていた特急列車は敦賀駅で終点を迎えて、北陸新幹線に接続する。サンダーバード号を金沢まで乗るのは最後になるかもしれないなと、そんな思いを抱えて金沢駅にむかう。
 京都駅手前で東海道新幹線と並走して、京都駅。から東山トンネルを抜けて山科駅で東海道本線と別れて湖西線へと。

東海道新幹線と並走。

 曇天の琵琶湖も趣あり。琵琶湖を横目に特急サンダーバード号は快走。北に近づくにつれて、先日降った雪が積もって、辺りが白くなって、近江塩津駅を通過して北陸本線と合流、ややこしい山の中を走り、トンネルを抜けると敦賀駅。

奥琵琶湖。川の雪景色。

 特急サンダーバード号が今の在来線のホームに到着するのも、あと僅かになるのか、等々と考えている間に電車は発車。北陸トンネル手前の交直セクションを通る時に、室内は暗くならず。というか、交直セクションを通った事も意識させなくて、それも少し寂しい気がした。
 敦賀駅から北に向かうと、上り勾配の北陸トンネル。全長13キロ程あるらしく、そこを9分程掛けて。
 北陸トンネルを抜けると、雪景色がまだ続いて、北陸にやって来たという気分になるのだけれど、お正月の事がまだ頭の中にあって、複雑な気持ちと共に列車に揺られて、武生から九頭竜川水系の日野川を渡る前に上下線の間に現れる畑も白い。サンドーム福井を横目に、そういえば2024年を迎えた鯖江駅に到着。まさかあんな事になろうとは元旦には思ってなかった。

日野川を渡る。

 流石に特急列車は早い。福井駅に到着して、芦原温泉駅、加賀温泉駅に停車して、幼い頃に583系の雷鳥に乗って家族で山中温泉に遊びに行った時、この駅で降りた事を不意に思い出して、懐かしい気持ちになった。
 終点の金沢駅手前、小松駅に停車して、アッと言う間という感覚でサンダーバード号は終点。
 ついでに富山にも行きたいという気持ちもあったので、金沢駅の忘れじの喫煙コーナーで素早く煙草を嗜んで、北陸新幹線はつるぎ号に乗換えた。
 暫くして、発車して、遠くに能登半島が見えて思いを馳せた。
 新幹線は辺りの生活を俯瞰する様にも思えて、乗る距離の短さで、乗って旅をしているという気にはなれないけれど、窓からの光景は地域の特色を映し出す様で面白いと思うと、また長野まで行きたくなった。
 乗ったつるぎ号はあっと言う間に富山駅。

 富山辺りでゆっくりと過ごしたい気持ちもあったのだけれど、取り急ぎ富山県民会館の中に構えるDandDepartmentに伺う事に。
 駅から出て、富山地方鉄道市内線に乗っても良かったのだけれど、ここは徒歩。市内線の張り巡られた架線で富山に居るのだと思う。

電線が賑やかなのは、市内線の架線。

 先日降った雪、歩道には残っておらず、愛のひと掻き運動が功を奏したのかは判らないけれど、歩き易くて良かった。
 歩いて程なく富山県民会館。手前の広報の大きななんとかヴィジョンには、用水路に注意を促す様な画面、3パターン程繰返し流されていて、なんとも微笑ましいと思った。
 そして中では何やら模試が行われている雰囲気で、付き添いの親御さんがちらほら。へぇ、と思いながら、そんな光景を横目にDanddepartment。
 富山の店内の様子が良くて一周。並べられた品々から「家に連れて帰って欲しい」と声を掛けられている様な気がしてならず、手が伸びてしまうけれど、財布の事情を考えて貰って、沖縄産のソーダグラスを一つだけ買って、後ろ髪を引かれる思いでお店を出た。
 店を出て、富山県民会館を出て、富山駅方面に戻る。朝から何も食べてない事を空腹が教えてくれて、折角、富山に来たのだからラーメンでも食べようかと、富山でお気に入りのラーメン屋さんは日曜日で定休日だったので、歩いている所から近いラーメン屋さんに入った。
 外から見ると、お客さんが入っている様に見えなかったのだけれど、奥があって、そこにお客さんが、テーブル席とカウンター席を埋めて、外から見えるお店の中は何なのだと思った。
 富山ブラックではなく、富山のラーメン、ねぎを多めにしてもらって、をご飯と共に頂いた。

まるたかやのラーメン。美味しかったです。

 美味しかった。あっさりとしていて、富山のラーメンという気がして、大盛りを頼めば良かったと後悔。
 にんにくと油かすが入れ放題というスタイルで、最初は何も入れずに食べたのだけれど、ラーメンを食べ進める間に、少しずつ増量。油かすを入れすぎると、こってりし過ぎて、富山ラーメンの持つ情緒みたいなものが無くなってしまう気がして、入れ過ぎは良く無いと思う。
 お腹がいっぱいになって駅前。北陸新幹線なんて声も聞こえなかった頃に来た時、駅の待合室に置かれた、北陸の放送局が提供していたテレビが並んでいた光景はどこへ行ったのだろうか、新幹線が開通して、駅前も少し垢抜けたビルが建って、その中に入ってみる事にした。
 チェーンの雑貨店や日曜用品店がテナントで入っていて、どこにでもある光景になってしまったな、等々と思いながら、そこにあった100円ショップでペットボトルオープナーを買った。頼まれていたもので、何故だか思い出したので、思い出した機会に買っておかねばという事で。

 さて、金沢に向かう事にして、新幹線かあいのかぜ富山鉄道に乗るか迷う。少しでも沿線の様子が分かるかも知れないという事で、北陸新幹線が開通する前は北陸本線だった、あいのかぜ富山鉄道で金沢まで向かう事に。
 券売機で切符を買ってホームまで。上がると、無性に猪谷方面に向かいたくなったけれど、そこは我慢の子。またの機会に。
 待つ事十数分。富山駅からの電車は泊駅辺りからやってくる様子で、始発駅では無かった。

富山駅、見上げる新幹線のホーム。

 駅で北陸新幹線のホームを見上げながら、普通電車を待ち侘びていた。
 待ち侘びて、やって来た普通電車は出発まで少し時間がある様子。待ち時間のある普通電車で少し旅をしている様な気分。
 ぼんやりと過ごしていると、いつの間にか電車は発車。駅を出ると神通川を渡る。渡る時に、こんな美しい川で起こった過去を思い出したりする。
 富山の市街地には全く見られなかった雪が、辺りを覆い尽くして、北陸に居るのだなと改めて。思っていると、いつの間にか眠ってしまっていた。

しんしんしん。

 気がつけば富山県と石川県の境を越えて、乗った電車が走るのはIRいしかわ鉄道の線路の上。
 いつの間にか辺りを覆っていた雪は消えていて、窓の外に目をやると能登半島地震の被災の跡が目に入ってきて、2018年、大阪北部地震の後、台風21号が荒らして行った、家の近所の光景を思い出して、震源地から離れた所でもこんな被害があるのかと思う。
 そして七尾へと向かう線が分岐する津幡駅で能登半島に思いを馳せた。

 そして電車は終点の金沢駅に到着。忘れじの喫煙コーナーに行こうと思ったら、人がいっぱいだったので諦めて改札を出る。出ると、もの凄い人の数。地震の影響で人が疎らだとばかり思っていたので、少し衝撃を受けたというのと、テレビやインターネットで報道される被災地との温度差を感じながら。
 せめて少額でも被災地に貢献出来ればと、向かった先は駅構内にある土産物売り場。ここも人がいっぱいでげんなりしつつ。珠洲駅前のバス停のマグネットや輪島塗のお箸を買った。

 それで時間も少しあったので、辺りをうろうろする気にもなれず、書き物でもと思い人気の無い様な喫茶店。先の土産屋さんのご店主に、そういう風な喫茶店は無いかと問うてみると、前はあったけれど、最近は駅から離れないと無いと言われて、いい感じの喫茶店に入るのは諦めた。
 緑色の看板を掲げるカフェには入る気になれず、駅構内をそのまま彷徨い続けると、何やら喫煙も出来るカフェがあって、そこで煙草を嗜みながら書き物など。時間の許す限り。

 そろそろ時間だろうと、席を立って金沢の賑やかな場所(駅前でも十分賑やかでしたけど)に向かうバスに乗る為にバス停に向かった。
 まだ少し時間があったみたいで、若いカップルがベンチに座って待つだけだったお客さんが出発の時間が近づいてくるに連れて、列を成して、バスはお客さんを吸い込む様に乗せて発車した。

バスを降りたところ。

 近江町市場の前を経て香林坊でバスを降りた。チケットの発券がまだだったので、発券が出来るコンビニエンスストアを探してチケットの発券を済ませた。
 そうして街中の国道157号線から、狭い路地に入って、もっきりやを目指す。道路の横に流れる用水路の流れの激しさに、改めてここが雪国であるという事と、お昼前に見た用水路への注意を促す広報の意味が判った。

用水路の流れる水の激しさ。

 そしてもっきりやの前に到着。いつの頃だったか忘れてしまったけれど、金沢21世紀美術館なんかに寄った帰りに、前だけ通った事が何度かあって、それで迷わず到着する事が出来た。
 しかし、もっきりやに伺うのは初めてなので、何故だか少し緊張する。
 お客さんが何人か並んで、自分のチケットの番号はどれ位の位置なのだろうかと思っていると、丁度真ん中辺りだった。

もっきりや。

 整理番号が呼ばれて、お店の中に入る。レジでドリンク代を支払って、お店の様子を見ると、大きな浅川マキさんのポスターが貼られていて、そういえば浅川マキさんは石川県の出身であった事を思い出した。
 大きなバーカウンターがあって、お店の中は暖かかった。普段のテーブルや椅子のレイアウトはどんな風なのだろうか、また何でも無い日に伺いたいと思いながら、ビールを2本程嗜んで開演時間を待った。

 開演時間の18:00を迎えて、まずキセルのお二人が登場して「夕凪」から始まった。北陸の夕暮れ時を過ぎて、外は暗くなっていて、寒かったけれど、お店の中が暖かくなった。心が少し切なくなって、涙が溢れた。初めて北陸で体験するライブがこの季節のキセルで良かったと何度と無く思う。そして2曲目から、IL TRENOやグッドラックヘイワなどで活躍されている野村卓史さんが入って「山をくだる」。キセルと野村さんのコンビネーションが何とも。友晴さんのベースと豪文さんの歌う様なドラム(豪文さんの叩くドラムは歌っている様にも思えます)キーボードの音が混ざって、もっきりや店内に極上時間が過ぎて行く。途中の演歌の様なフレーズに意表を突かれて「柔らかな丘」と続いて、アレンジがオリジナルは何処へという様に意表を突いてくる。

 北陸の夜は更ける。更けるという程の時間帯では無かったけれど、そんな気分になった。

 ツアータイトルの「春隣」は俳句で冬の季語らしい。丁度今の季節だなと、金沢の寒い夜に居てるという事を改めて実感する。
 MCで何度と無く豪文さんが「C-C-Bスタイルで」と言っていたのが異様に面白いと思ったのは、まさかキセルのライブ中にC-C-Bの名前が出てくるなんて思わなかったからだろう。

 ライブは、この曲は何だろうと思って拝聴していると、昔の曲が見事にアレンジされていて、それが素晴らしいと思ったキセルの進化の加減を目の当たりにしている様に続く。
 もはや昔の曲も新曲と言っても過言では無いだろうと何度と無く思った。
 ライブの中盤で「君の犬」から、まさかこれが聴けると思ってなかった「しんしんしん」の流れが嬉しかった。今日の雪の光景を頭の中で巡らせながら拝聴。もう胸が締め付けられる様で、曲にうっとりと溜息より他に出なくなった。

 金沢まで来て良かったと思いながら時間が過ぎた。

 新旧取り混ぜ、というよりも全てが新しいと思えて、姿をどんどん変え方加減がキセルだという印象を持った。
 それから10インチでリリースされた「寝言の時間」から、歌が始まってやっと「ベガ」だと判った、アレンジの斬新さにまた心が持って行かれる。何度も。本編最後の「タワー」まで、新しいキセルを拝見した様な気がしました。
 アンコールは「くちなしの丘」から新曲「春隣」そして「演歌」の歌詞には完全にノックアウト。終演後、まだまだ余韻が響くもっきりやでもう一本位ビールを頂きたい気持ちになったけれど、またの機会に置いておく事に。
 外は寒かったですが、暖かな金沢の夜をありがとうございました。また伺います。

また伺います。






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