見出し画像

20240105

 2024年を福井県は鯖江で迎えた。その訳は色々あって、今年の3月に北陸新幹線が金沢から敦賀まで開業してしまうと、その間の在来線が「ハピラインふくい」という会社に北陸線の運営が移管してしまって「青春18きっぷ」でこの辺りまで来る事が出来なくなってしまいそうなので、このシーズンの「青春18きっぷ」でその辺りをウロウロするノープランな予定の一環だった。
 宿の最上階のレストランで、バイキングスタイルの朝食を摂っている時に、年を跨ぐタイミングで降っていた雨は止んで、そこからの眺め、辺りは少々霧が出ている様な雰囲気でもあった。
 さて、今日も2024年の1月1日の駅のスタンプを押してもらおうと、鯖江の街を駅まで歩いた。
 これが鯖江の元旦かと。郵便配達のバイクがそこいらの大きな家のポストに放り込んでいるのは年賀状だろう、そういえば年賀状を投函はおろか、書いてもいなかった事を思い出して、少々焦る。
 鯖江駅に到着すると、ちらほらとお客さんの姿も。「青春18きっぷ」の4日分目のところに、1月1日の鯖江駅のスタンプを押してもらって、程なくやって来た敦賀行きの各停に乗り込んだ。
 1月1日であっても、朝の通勤時間帯。これから働きにという様相の背広を着用した人や、ヘジャブを纏った女性も居て、1月1日でもこんな風景が繰り広げられている事を電車に乗って、その側から眺める元旦。
 朝の眩しい光の中、電車は敦賀駅まで。1月1日でも淡々と走った。

 北陸線、南今庄駅から下り勾配の北陸トンネルを抜けると敦賀駅。
 このまま自宅の方向に戻るより他、寄る所もする事も思い付かず、新快速電車に乗った。
 乗った新快速電車は大阪駅止まりで、家に帰るのは少し時間が早いと思って、少し先を目指す事にした。
 なので、山科駅で次の姫路行きの新快速電車に乗って、姫路駅まで揺られて、また乗換えて播州赤穂行き。途中の相生駅でまた各駅停車に乗換えて、岡山駅まで向かった。暇の成せる技をお正月から駆使して、鯖江から岡山まで。

 帰りは新幹線に乗ろうかと、お屠蘇気分もついでに味わおうと、ビール等を買って新幹線に乗り込んだ。
 そういえば、運営出来ているのか、よく判らないSNSにもお年賀の挨拶をしておこうと、諸々のクライアントにその旨を投稿しておいた。
 新幹線が走る事数分、何やら先で停電とのアナウンスが入って、新神戸駅で発車を見合わせるとの事。
 ほぼ同時に、広い車内で自分の携帯電話のアラートが鳴って、この状況で携帯電話が鳴るのは一人だけとは。周りの視線も感じながら、何が起こっているのだろうかと携帯電話を見てみると、日本海側で津波警報が発令されていて、これはさっきまで居た鯖江の記憶が携帯電話に残っていて、それで警報を受信したのだろうと思った。

 山陽新幹線から先の東海道本線で停電があって、日本海側で警報が発令されて、その事態の大きさが上手く呑み込めず、頭の中の整理もままならなかったけれど、少し冷静に考えてみると、それほど大きな揺れがどこかを襲ったのだと理解が出来た。
 それから新神戸駅にて、待たされている間に、携帯電話で情報を得ようとすると、北陸地方で大きな地震が発生した事しか入って来ない。
 日本海側の地震で、東海道新幹線が停電を起こす位だから、余程大きな地震だったのだろうなと思うと「青春18きっぷ」を使った後に、新幹線で揺られている自分は果たして何をしているのだろうか、と言う気持ちと、大阪北部地震の時の記憶が蘇って来て、少し怖くなったりもする。

 新神戸駅で20分か30分程停められて、正常に運行できる様になったからと、終点の新大阪駅に向かって走り出した。やがて終点の新大阪駅に到着して、どれ位遅れたのだろうかと。
 新大阪駅で新幹線の改札を出て、在来線の構内へ向かうと、行き先案内板には特急サンダーバード号の運転を見合わせるとの表示が出ていて、揺れが大きかった事を改めて感じた。
 そうして、帰宅。自宅の辺りでも、かなり揺れたとの事で、新幹線の中では、揺れたのか揺れなかったのかは判らなかった。

 なかなか情報が入って来ない。

 ケーブルテレビでニュースを24時間放送しているチャネルでも、余り更新はされず、果たしてどんな状況なのだろうかと、インターネットの情報を少し探してみたりもするけれど、この情報は本当で、この情報は嘘だろうと、疑心暗鬼になりながら、辺りから情報を得て、取捨選択。
 というよりも、後から後から目に飛び込んでくる写真や動画。自宅も年齢を重ねているので、目に入る家の造りが、どうも他人事とは思えず、自宅の耐震も気になったりして、また大阪北部地震の様な揺れが、何かに呼び起こされてと考えると不安も増すばかりのお正月を過ごした。

 2日経って、3日経って、被災の状況もだんだん明らかになって来るも、きっとそれだけでは無さそうだと。まだまだ人が立ち入れずに孤立してしまっている場所や、停電、断水、インターネット。インフラが遮断されてしまっている場所があったりするのだろう。画面に映っている被災の状況はほんの一握りだと。
 そんな風に、頭のど真ん中に能登半島の地震がある様なお正月を過ごした。
 明けて5日目。北陸地方や能登半島の事が、やはり頭から離れないまま。

 諸般の諸々を終えて、帰宅。今日は京都は磔磔にて、ソウル‧フラワー‧ユニオンの中川さんのライブ「新春謡歌初め音曲会2024〈京都篇〉」に伺う運びとなっていて、ライブがあると言えば土曜日と言う気持ちで過ごしていると、いつもの土曜日と何か雰囲気が違うぞと思っていたら、学校から帰ってくるお子様の声が辺りに響いて、今日は金曜日だったという事が改めて判った。

 開場時刻も18:00となっていて、平日だからか、いつもより少し遅い時刻。
 時間に余裕があって、あれやこれやと自宅での用事を幾つか済ませる事にした。
 昼食を済ませて、年末に買った小さな掃除機の段ボール箱を開封して、セットアップ。という程、大袈裟なものではないけれど、箱から取り出すと、ひと昔前なら発泡スチロールに包まれていたものが、厚紙で成形された硬い紙がその代わりになっていて、これも時代だなと思う。
 廃品回収に出すべきなのか、それとも燃えるごみに出せば良いのか。色々考えた挙句、纏まり切らない気がしたので、細かく切って燃えるごみとした。
 箱から取り出した掃除機を使うには、充電をせねばならず、充電器をコンセントに繋いで、掃除機をセットした。使用開始までにはもう少し時間が掛かる。
 そうしている間に眠くなってしまって、横になっているといつの間にか昼寝になっていて、そうして時間が過ぎた。
 気付けば17:00を迎えていて、今日も急ぎ足で京都まで向かわねばならないのかと、そんな気持ちになって、慌てて自宅を出発。
 自転車で駅前の駐輪場まで急いで。自転車を駐めて駅まで急いで。駅に到着すると程なくして電車がやって来て乗って、特急電車の乗換えの駅まで。

車庫に入る電車。

 よく考えなくても今日は金曜日。平日、夕暮れ時のラッシュ時のダイヤで、少し違和感があったのは、京都に向かうのに準特急に乗ってという事だった。 何度か書いていると思うのだけれど、準急電車に連絡するのが桂駅ではなくて、長岡天神駅。特急電車だと、桂駅に停車すると次は烏丸駅なのだけれど、桂川を越えて西京極駅を通過すると、西院駅、大宮駅と止まって烏丸駅に到着して、終点の京都河原町駅まで向かう。

 土曜日、日曜日のダイヤと比べて、停車駅がふたつ増えて、開場の時間に間に合うだろうかと。だいたいライブに向かう前にはそんな気持ちになっていて、こんな時にいつも余裕を持ってライブに行きたいと思う気持ちはどこへやら。
 気が付けば、少し気持ちが煮え切らないのは、やはり1月1日の事が頭の中に。
 烏丸に到着したのは、17:50頃。電車の前寄りに乗っていて良かった。東改札口から出て、河原町駅まで続く地下道を暫く歩いて、15番出口から地上に上がって、磔磔までの道を急いだ。あと10分もあれば到着するだろうと。

 そうして到着したのは開場の2分前。間に合って良かったと思う。

2024年1月5日、18:00、2分前の磔磔の看板。

 2024年の最初に拝見するライブ。ソウルフラワー中川さんの「新春謡歌初め音曲会2024〈京都篇〉」。自分の番号が呼ばれて中に入って、このご時世の緊張していた気持ちが少し解れる。
 いつもの様に、ビールを頼んで、いつもの様にピザも頼んで、金曜日の夕暮れ時の開演時間をまったり待った。

まったり。

 会場が暗くなって、出囃子はポーグス、サビの部分が印象強い「a pair of blown eyes」で中川さんが登場。
 この瞬間があって良かったと何度も思いながら、2024年が明けた旨でライブのスタート。年が明けて以降、あまり御目出度たい気持ちにもなれなかった気持ちに応えて貰った気も。
 「バルカンルートの星屑」で2024年のライブ拝見生活がスタート出来たのは嬉しい。寝顔に浮かぶ未来が明るい未来であります様にと思う。矢継ぎ早の2曲目は「戦火のかなた」。中川さんの弾くギターのコードの移り変わりと、歌のメロディーに心が奪われた。北陸の様子がはっきりとしない中で、ステージから能登半島の話を聞けるのは心強かった。さて、自分には何が出来るだろうかと考える。
 それからMCで35年前の丁度今日辺りに作られたという、まさかのニューエスト‧モデル「シーズン」から「ソウルサバイバーの逆襲」が立て続けに演奏されて興奮の坩堝。「ソウルさバーバーの逆襲」は最後のエンディングまであって、曲はもとより、それも格好良かった。素晴らしいと思う。
 からMCでレコーディングされた当時の話があって、それでその頃を思い出していた。
 それから、この曲を聴くとどんよりとした雲の光景が頭に浮かんで「燃やされた詩集」が響く季節の中に居るのだと思った。
 そして新曲「千の丘の足跡」歌詞を聴き込みながら、やはり美しいメロディーを堪能。
 出囃子で流れたポーグス「A Pair Of Brown Eyes」のカバーが演奏される。MCの内容が羨ましいと思ったけれど、その場に居たらきっと居た堪れなくなるだろうなとも思った。からポーグスのシェーンさんの話が凄いなと。曲の成り立ちの解説もして貰って、日本語に訳された詩もグッと来るものがあった。

 それで一部が終わって、二部に備える間、お酒や煙草を嗜んだ。

新年の磔磔。

 「松葉杖の男」のリミックスが流れている時に中川さんがステージに。やはり名曲だと思う。
 第二部。ザ‧クラッシュの「バンクロバー」のカバーで幕が開ける。ジョーさんが亡くなって、そんなに経つのかと中川さんのMCで改めて思う。時間が経つのが早い。イントロのメロディーラインも一緒に歌う時は複雑な心境を込めて歌って、少し気が晴れた。
 アレンジされた3番目の最後に「歌は続く」締められた歌詞が心に突き刺さって、「パレスチナ」に続いて、自分に出来る事は何かと考える。から「栄光は少年を知らない」と続いて、その情景を頭に思い浮かべる。
 お正月のMCを経て、デビット‧ボウイもカバーしたという、キンクスのカバー「ウォータールー‧サンセット」ウォータールーという場所がどんな場所か知らないけれど、夕暮れ時に佇んでいる気分になって、デビッド‧ボウイの「チェンジズ」に続いて、この曲を聴くと、フォーク歌手になった頃の中川さんを拝見した頃を思い出して、いつも懐かしい気分になる。と、書いて、年齢を重ねて加速する、時間の経つ早さを思い知らされる。
 からの年末に入ったリクエストらしい「杉の木の宇宙」エンディングの音数の多いスキャットが歌えると気持ちが良かった。そして「うたは自由をめざす」で踊り出したくなったので、着席で踊った。「磔磔から、うたは自由をめざす」で二部が幕を閉じた。

 さっきと同じ様に過ごしながら、三部を待つ。

 会場に「アクア‧ヴィテ」のリミックスが流れている時に中川さんが登場。
 MCにて、ちらっと4月にリリースされる発売から35周年になるアナログ盤のアナウンスがあって。「足を棒にして歩いてる」という言葉が印象的な「生きる」から「満月の夕」。阪神淡路大震災、発生して間も無い頃から、時間的にこちらの事を考える。色々考えても答えは曖昧なままではあるけれど。
 からモノノケ‧サミットが初めて神戸の被災地で演奏した「カチューシャの唄」。そして「いのちの落書きで壁を包囲しよう」何度聴いても思い浮かべる顔があって、彼女は今頃何をしているのだろうかと思い出して考える、きっと元気でやっているだろうと思う。そんな唄。

 そして本編の幕が下りた。

 そしてアンコールを求めると、すぐに応えて貰た。

 磔磔の50周年(おめでとうございます)を祝うMCからアンコールが。
 「石畳の下には砂浜がある」で街の光景を思い浮かべたり、ソウルシャリスト‧エスケイプの名盤「ロスト‧ホームランド」から「夜に感謝を」で揺さぶられるのは心。帰り道はジャンパーに両手を突っ込んで歩こうと思いながら、矢継ぎ早に「アリラン」から「平和に生きる権利」そして「ピープル‧ゲット‧レディ」で大団円。

 年始から色々な事があって、その最中に今夜があって良かった。そんな気持ちになれた夜でした。

 良い新年の夜をありがとうございました。

 今年もよろしくお願いします。

良い新年をありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?