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20180211

お気に入りのセーターに穴が開いていた。セーターに虫食いの穴をよく開けてしまう。セーターに穴が開いていると、いつものみすぼらしい装いにより磨きがかかってしまう、それでも背中だし、自分からは見えないしと、穴の開いたセーターを着て家を出発した。

何か、年始に酔ってお店に忘れた記憶を過去の遺失物係から、半ば強引に突き返されたような報が飛び込んできて、それが俄かに信じられない午後。

リクオ with HOBO HOUSE BAND、オトナゲナイtour2018に向かう途中も、それで頭がいっぱいになる。高架化する淡路駅を目に焼き付けておかないと、と写真を何枚か撮ろうとしたのだけど、そんな事も忘れてしまった。

開演時間が平日で設定されている時間より早めで、夕陽が沈んでしまう前に天六で降りて、扇町公園を歩く。

翌日が振替休日の公園はまたいつもの公園と雰囲気が違うなぁ、と思いながら公園を横切る。そう遠くないビルが視界にどーんと入ってくると、梅田の外れという感覚になれる天六からGANZ toi,toi,toiにお邪魔するのは今年に入って2回目。今日もやはり当日券で。昨日のウチに前売り券を買っておけば良かったのだろうけど。

そんなこんなで、会場に到着して取り敢えず席を確保。それからドリンクカウンターでビールをパスして今日はハイボールから。客席には前は日本のロックがかかっていたのだけど、今日は洋楽ロックがかかって、知らない曲が多かったのでシャザムっておいた(知っていたのは「ラヴリーデイ」くらいでした)のだけれど、なかなかネットワークに繋げる暇がない事も無いのだけれど、ついつい忘れてしまう。

そうこうしているウチ開演時間がやってきて、少し時間が押して会場が暗くなって、流れ出したSEにチャールズブロンソンから、ブロンソンズの起き抜けのテレビ東京でブロンソンの映画をやっていた、というフレーズを思い出して、こんな事まで思い出さなくても良いのに、と思う。

リクオ with HOBO HOUSE BAND。ドラマーが変わってどんな風に変わるのだろうか?ドラムという楽器はリズム楽器で淡々とリズムに刻んでいるだけと思いきや、ドラマーが変わる事で、リズムがえらく変わってしまう事が多いので、これもひとつの楽しみであった。小宮山純平さんののドラム、ハットの横の揺れ方に心地良さを感じて、スイング感が堪らなかった。ベースの寺岡さんとの相性も良いような気がしてハネ方も変わってくるんだなぁ、と思う。

ここ最近、リクオさんのライブの一曲目といえば「僕らのパレード」というイメージが強かったのだけれど、明日へ行く(だったと思います。)からのスタートで、これだけでもいつもとは違う感が溢れる。

いつもと違うといえば、僕の記憶に間違いが無ければ、いつもはマッチレスのアンプを使って、あまりテレキャスターと言うイメージは無いのだけれど(白の柄入りのストラトキャスターとSG、ブズーキ、アコギというイメージが強いです)高木さんがテレキャスターにローランドのジャズコーラスって、ギターとアンプの組み合わせで音を判断してはいけないのだけれど、きっとピアノとペダルスティールに所謂ウワモノを任せるべく、な感じなのかな?と思っていると、所々でロックでブルーズなフレーズが聴けたり、ジャズコーラスならではのバッキング感等、新鮮な場面に何度も遭遇出来た気がする。

ペダルスティールの宮下さんとの絡みも、高木さんがペダルスティールを演奏するからか、ツボを押さえている様でなかなか美しいものが聴けたと思う。

リクオさんがHobo House Bandのメンバーと演奏する時は、いつもバンドのメンバーに気を配りながら、丁寧にグルーヴを繋いでいく感じがいつも良いなと。そのグルーヴに身を委ねて揺れる感じが心地良い。

今回のツアータイトル「オトナゲナイツアー2018」というのは、きっと終わらない歌、君や僕や彼等の為に、歌われた歌を紡いでいくような気もする。オトナゲナイと言うのはきっとフォーエバーヤングなんだろうと。若者にオトナゲ無いとは言わない。そんな事をぼんやりと考えながら、どこかゴスペルを聴くような感覚になっていた。

あと、ふと、永遠のロックンロールは中川さんのあばよ青春の光に通じるものがあるな、と思った。今も魔法が解けなかったり、過去は過去にすらならなかったり。

(個人的に)考える事も多かった、大人げ無く、悩みながら踊っているような、そんな感じでライブを拝見しました。

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