適度なわがままな人になる


感覚がいわゆる”普通”な人とお付き合いしたり、久しぶりに高校時代の友達と会ったりして、自分がいかに変わったか実感してる。良くも悪くも、すごーく変わった。

昔の私はいつも演じてる自分を感覚があって、それがすごく嫌だった。コンプレックスだった。他人に求められる人物像にならなくちゃ…って、そればっかり考えてた。気がする。

だから、わがままな人になりたかった。ずっと憧れてた。私を仲間はずれにしたような人たちに、クラスの中心の女の子たちに、ずーっと憧れてた。


そんな私に大学受験失敗っていう新しいイベントが発生した。ここの部分は何度も書いてることだからもう書かないけど、とりあえず自我が芽生えて、無意識に縛り付けてたいろんなしがらみを自覚できるようになった。そしたら変われた。そこまで苦労することなく、演じることを辞められた。

演じる感覚が完全になくなったのが今年の4月。この半年間、演じない自分で生活してみて、一番変わったことはわがままになったこと。ほんとにわがままになっちゃった。相手が傷つくかもな、とか、不快に思うかもな、とか、全く考えなくなっちゃった。表情も省エネになっちゃった。服装もメイクも、なんだかテキトーになっちゃった。素でいようと思えば思うほど、礼儀がなくなっちゃった。配慮を忘れちゃった。

そうなりたかったんだけど、なってみて、違うな〜って。

今私がなりたいのは、わがままな人じゃなくて、適度にわがままな人。

まずね、配慮をなくしちゃだめだよ、私。親しき中にも礼儀ありだよ。あと、笑顔を忘れちゃ私のいいところ無くなっちゃうよ。笑わない人に憧れてたけど、違うよね、笑顔めっちゃ大事だし、笑ってる方が可愛いよ。

中学生くらいの自分に戻れたらいいな。中学生のころは自分のこと演じてるって思ってたけど、今の私ならうまくできる気がする。演じることと、演じじないことの境界線を、自分で決められる気がする。

書いてて思ったけど、適度なわがままって、基本的には謙虚だけど、気を許した相手ORかわいいって思われたい男の人の前でだけ、ちょっと甘えるってことなんだろうな。そこの加減はこれから学んでいくことにしよう。

だめだ、わけわかんなくなってきた(笑)


大学生になってから関わる人のレベルが明らかに下がったせいでいろんなことがテキトーになってっちゃった。自分の中の「普通」が下がったと思う。よくない。楽だけど、楽な方に甘えたくない。楽な方に逃げてるとまず周りの関わってる人がどんどん逃げてる人になってく。不思議だよね。周りの人間って自分を映す鏡だよね、ほんと。



とりあえず感覚を戻そう。戻す努力をしよう。定期的に高校時代の友達と会おう。好きな人から好きって言われるようになろう。前向き!がんばる!

あと!大事なことはいつも冷静でいることと親切でいること!だぞ!私!









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