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さみしい、からの脱皮

今、「愛がなんだ」という映画がとても見たい。
岸井ゆきのちゃんと成田凌くんの短いcmだけで、ほろ苦いラブストーリー像がむくむく膨らんでしまってやられた。
絶対痺れる、しかもじんじんじんじん、痺れる系。
余韻のあまり、きっと夜の散歩しかねないような映画だ。
うう。

なかなか見に行けないので、twitterでつい検索してしまう。
#愛がなんだ

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曖昧な関係の人とは見に行かないほうがいい、
あまりに一途すぎて、
愛ってほんとなんなんだ、
相手に尽くしているつもりで、自分の思いを押し付けているだけ、
幸せになりたいっすね、、、
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ふむ。もやもやしそうな手強い映画。。。
コメントの中でも気になる言葉があった。

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この映画は孤独ではなく、さみしい、という表現を使っている
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ふむ。

孤独/さみしい

この2つについて考え始めてしまう。

わたしはふとさみしくなるときがある。
きまって夜だから、そんなの早く眠ればいいのに、ついその闇に足を踏み込む。
ひたすら沈んだ後に、わずかな希望を見出して眠るんだ。

あのときの気持ちに名をつけるなら、孤独じゃなくてさみしさがしっくりくる。

孤独は飼いならされている感じがする、ひっそりと、でも当たり前に同居しているような存在。
さみしいは、その存在を認められていないような。さみしくあってはいたくないと思うような。。。その気持ちが胸の中にあるのに、受け入れることができなくて苦しんでしまうような。

さみしい、を孤独にアップグレードできる日は来るのだろうか。

ちなみに、「寂しい」は人の気配や物音がないような、客観的に見て物静かな状態に対して「寂しい」と感じる意味合いなんだそう。
対して「淋しい」は涙が止まらないようなもの悲しさ、心細さを指し、主観的な感情にフォーカスした意味合いになるんだそう。

わたしのさみしい、は淋しい、だったんだな。

誰しもが孤独。きちんと受け入れていたい。
さみしいは特別。きたるべき瞬間にとっておきたい。

#エッセイ #コラム

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