見出し画像

子どもにも分かる「生きてるっていいね」

「わたしがたのしいとおもうのは、おとうととあそんでいるときです。」

今日は、小1の娘の公開授業。

2時間目は道徳で、「生きてるっていいなと思うときは、どんなとき?」との質問に子どもたちが答えていく。

教科書には、

・おいしいとき
・たのしいとき
・いたいとき
・きもちがいいとき
・ねむいとき

と記してあって、具体的な場面を挙手して回答していくのだ。

冒頭の言葉は娘が発言したもの。 

毎日、弟とケンカして、「◯◯くんなんか、だいきらい!」と捨て台詞を吐いているのに。娘の楽しい場面に弟がいるのが意外だった。

でも、その言葉を聞いたとき、じんわりとした幸せが広がっていった。まるで大地を雨がぬらし、地中に浸透するように。

子どもたちの発言を聞いていると、幸せに感じる場面はそれぞれに異なるようだ。

先生はさらに踏み込んで、話を進める。

「そんな気持ちになるのはなぜ?黒板消しは幸せって思うかな?」

「思わない!」

「なんでかな?」

「だって、生きてない。」

「生きてるって何?」

「心臓が動いてること!」

「そうだね。じゃあ、心臓が動いてるか手を当ててみようか。」

先生の質問が一滴の雫のごとく波紋を広げ、子どもたちの心と頭を揺らしていく。

それに対して、子どもたちは前のめりで自分の意見を話していく。僕/私の意見を聞いて!と言わんばかりに、声高に。

保護者懇談会のときに、「うちのクラスは活発で、子供たちはみんな答えたがります。積極性のあるクラスです。」と言ってたことが目の前に広がっている。

今まさに考える力を深めている子どもたちを見ていたら、感動してしまった。 
こうやって点と点を繋げていくのか。
先生の先導が素晴らしいな、と。

大人の私も先生の話を聞きながら、私の幸せってなんだろうと考える。

・家族が健康であること
・新緑が見られること
・今、生きてること
・ライター仲間と繋がっていること
・自由に発信できること
・衣食住に不自由していないこと
・ライティングのご依頼をいただけること
・新しいチャレンジができること

私の周りには、幸せがたくさん溢れている。こうやって子どもたちの成長に刺激を受けて、自分の思考を深められるのは幸福なことだ。

そして、さらなる幸せが重なった。

学校に行かないとごねていた、5歳の息子が夫と一緒に遅れて来たことだ。

最初は緊張した顔でパパに抱っこされていたけど、私の顔を見て

「ママー!」

と、廊下から教室の中に入ってきた。

どうやら、自発的に小学校に来たいと言い出したらしい。そして、得意の補助輪自転車で来たそうだ。

幼稚園とは違う雰囲気に緊張したのか、息子は私の洋服にしがみついてきた。一方で、眼差しは真剣そのものだった。

この子がいるから、娘も楽しさを享受できているんだな。

2年後に、同じ小学校に通えるのか?

息子の発達に不安を抱えているけど、未来を不安視しても始まらない。頭で分かっていても、考えてしまう。
それでも、小学校がどんな場所か自分の目で見られたことは息子にとっても、大切な1日になっただろう。
なにせ、初めての場所が苦手な子だから。

娘も後ろを振り返ったタイミングに、弟がいることを知って嬉しそうだった。

こんな何でもない場面が幸せなんだ。

幸せはすでに存在しているけれど、ささやかなのでよく目を凝らさないと気づきにくい。

だから、私たちは大きな出来事に遭遇したときに、当たり前の生活がどんなに幸せだったかと気づくのだ。

・父が脳卒中で倒れたとき
・コロナで夫と2年以上離れ離れになったとき
・シンガポールへの移住半年で本帰国が決まったとき

大きな出来事が起こると、当たり前がなんと尊いのかと気づかされる。つまり、一見ネガティブに見える事象には、幸せに気づくギフトがセットになっているのだ。

今日は家族4人にとって、幸せを感じる時間になった。

かすかで、それでいて不安定な幸せ。
もっと感度を上げて、この世界に広がるささやかな幸せを拾い集めたい。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

noteを継続して発信するため、サポートいただけると嬉しいです!いただいたサポートは、自分の気づきや発見をするための活動に使わせていただきます!