実家と話せなくなって3か月。原因は自分を芯から愛せなかったから
明日から実家に帰ります。
「長期休みになったら、宇都宮に行きたい」
それが、子どもの希望だからです。
ところが、私はユウウツで仕方なかった。
ネガティブな感情を抱いたのは、年末年始に帰ったときに遡ります。
母を試すように言った私。
本心では、「違うよ」と言ってほしかった……。
なぜ、こんなことを言ってしまったかは、私の働き方にあります。
私は在宅ワークでライターをしてます。
場所を問いませんので、どこでも仕事ができるのがメリットです。
しかし、締切は待ってくれません。
そう思って、午前中だけ子どもを遊びに連れて行き、午後は家族に託して仕事。子どもたちが寝てから、深夜にも執筆を決行してたんです。
ところが、仕事は終わりません。
それもそのはず。
午前中に目いっぱい遊ぶから、午後はクタクタ。連日の寝不足で執筆が思うように進まなかったのです。
仕方なく、朝から子供たちを託して、私は図書館で執筆。そんな日が続いていると、家族からの視点が厳しくなったように感じたのです。
言われてないけど、そんな気がしてしまった……。
そこで、冒頭の言葉を放ってしまったのです。
完全に勝手な思い込み。穴があったら入りたい。でも、家族だと生の本音をぶつけてしまうのです。
振り返ると、私の母は内職をしたので、ずっと家にいてくれました。
その事実は、とてつもなく大きな安心感を与えました。
しかし、私は子供たちに同じことを実行できていません。仕事に追われて、子どもたちを遊びに連れて行けなかったのが罪悪感だった。
その負い目は、私を不安定にさせました。
誰も思ってない妄想が、どんどん頭を占拠していく。結局は自分の思い込みであり、そう思われたくないとの強い願望から派生したもの。
でも、止められなかったのです。
そして、未消化な想いを、そのまま母にぶつけてしまった。
40歳にもなって、何やってるんだろう。
心は子どものまま。お恥ずかしい。
さらに自分を攻撃して、自分の価値を陥れる無限ループ。
いつしか、実家の家族と話せなくなってしまいました。それが、ここ3か月の話。
話すタイミングはいくらでもありました。
子どもたちはアレクサを実家に繋いで、毎日のように話してましたから。でも、私は沈黙を続けてました。
自分を守るために、頑なに口を閉ざしていました。
風向きが変わったのは、息子の発達についてシェアした直後。
(息子の発達について綴ったnoteは、こちらです。)
息子の発達について1人で抱え込んでいたら、心が不安定になって、メンタルダウン。
仕事もやる気が起きなくて、体が思うように動かない……。
そう思って初めて、義母と実家にヘルプを求めました。
そしたら、少しずつ実家のメンバーと話せるようになりました。
頼ったら助けてくれること、本当は知っていました。というか、以前からずっとそうでした。
書き換えていたのは、自分自身。
母をジャッジしてるようで、自分をジャッジしていました。
でも、本当の想いはすべて逆だったのです。
私の中には真っ暗な闇が存在してたし、ずっと不足感を抱いてました。
でも、それを満たしてあげられるのは自分。
やっと、その事実に気づきました。
誰かに認められるんじゃない。
自分で自分を心底認めて、愛すること。
外の人間にずっと求めていたけど、ようやく答えが見つかりました。
自分のことをしっかり抱きしめて、労ってあげよう。ずっと泣いていた子どものような私。
そんな言葉を抱えながら、明日は実家に帰ります。
第一声は「ただいま」
と、はにかみながら。
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