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「最高」

時期も時期とて、図書館には太平洋戦争関係の書籍コーナーができる。
『硫黄島 日本人捕虜の見たアメリカ』を読んでいる。捕虜となった増山義邦氏の三男が、彼の日記を紹介するという造り。
北海道帝国大学出身の土木技術者である増山氏「弟と間違えられて」38歳戸主(たぶん)民間人であるにも関わらず徴兵されて硫黄島へ。玉砕後、捕虜になりカリフォルニアの収容所に入るシーンなのだが、

休み時間に自分は勝手に動き回るわけにはいかない。話し相手になってくれる人がいたりいなかったりすると、ひとりで手持ち無沙汰になる。個室式のトイレに座ってゆっくりと用を足したり、自分だけの時間をのんびりする。座るタイプのトイレは足腰が痺れず、アメリカの生活のなかで最高と思う。

『硫黄島 日本人捕虜の見たアメリカ』

1945年7月、日本降伏直前の話。
1970年代に建てられたであろう世田谷の、従姉の家に泊りにいったとき、1階のトイレは洋式なのに2階のトイレが和式だったのを思い出す。会社を経営していた伯父の家に招かれるお客様は1階に通したろう。パブリックは洋式で、プライベートエリアである2階は和式での使い分けがまだあった。
敗戦直前に急遽洋式トイレの生活になり(そのまた半年前は、硫黄島の塹壕のなかで醤油樽を抱えてのアメーバ赤痢の排泄だ)、それを「最高」と評せられる精神にはエンジニアとしての冷静な目線、生活様式の変化に柔軟に対応できるしなやかな心がある。彼を生きて故国へ帰らしめ、アメリカで実業家となる息子を育てる原動力がそれであったこと、この一文からでも読み取れる。

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