領域おじさんと私

44日目(11月20日)

帰りの電車で、やばそうな男性の隣に座ってみた。
小太りで、身長は私と同じぐらいの160㎝程度だったと思う。童顔だったが、出で立ちから年齢は30代後半くらいだと予想した。世間だと“おじさん”と呼ばれる立ち位置にいる人だ。私がこのおじさんをなぜ「やばそう」と感じたのか、それは彼の座席の座り方にあった。
彼は長い座席の中間くらいに座っていて、彼の左隣以外はその座席は埋まっていた。にも関わらず、彼は足を大股に開いて、仏頂面で携帯を凝視していた。その表情からは罪悪感の様なものは感じ取れず、むしろ何かに不満を抱いている様だった(いやなんで?)。ちなみに手に持っていた携帯はiPhoneでもandroidでも無く、折りたたみ式携帯、通称ガラケーだった。
私の後からも人は乗り込んできたが、そのおじさんの隣の空席は依然として埋まらなかった。私は決断をした。おじさんの隣に座る決意を。私がこの決断に至ったのにはいくつか理由があり、その一つが直前に見た光景である。私より先に乗り込んでいた女性が、空いた席があるのを発見し、その後に隣のおじさんに気づいた。彼女はその直前まで席に座りに行く動作をしていたが、おじさんに気がつくと咄嗟に方向転換し、他の車両に移ったのだった。決して同情をした訳では無いが、そういう光景を見てしまうとなぜだか座らずには居られなかった。人が避けることを進んでやりたくなることって、時々あると思う。私の中の天邪鬼に、今回は耳を傾けてみたのだ。
私が席に着いた3秒後、おじさんは肩を揺らしながら姿勢を整える動きをした。しかしその動きの激しいこと激しいこと。おじさんの太ももと二の腕が私に計4回タッチした。私はその時点で察した。「このおじさん、隣に座られるのが嫌だったのだなあ」と。
おそらく、パーソナルスペースが人より広くなおかつそれを侵されるのに強い嫌悪感を覚える性質なのだろう。私はその“肩揺らし”をおじさんの私に対する威嚇行動だと認識した。

「ここは私の領域だ、早く出て行け」
妖精の森に迷い込んだ旅人の様に、私は強く警告されたのだ。『さもなくば』ということだろう。私は制服の裾を正した。

もうお気づきだろうか?ここまで私が書いてきた「電車で出会ったおじさん」についての事柄は全て私の主観である。私の認識では日記とは得てしてそういうものだが、主観を日記に書くには主観を主観だと認識する必要がある。私が認識したのは、次の場面だ。
最寄りの駅まであと一つ。私はあることに気づいた。おじさんがさっきより落ち着いて、足と足の幅を狭くして座っている。あれ?さっきまでの威嚇はどこにいったんだ?ていうか、そもそもあれは威嚇だったのか?
私は勘違いをしていたのかもしれない、と思った。おじさんはただのおじさんで、動きがちょっと大きくてたまたま不機嫌だっただけなのかもしれない、と。私は結局私の中で一人相撲をしていただけだったのだ。私の世界が、また広くなったのを感じた。
最寄りの駅に着く。ドアはもう開いている。




#日記

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