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自分に取材(^^)/ 「ライターはじめの一歩!」Q&A形式で書いてみた。

こんにちは。川野です。

「ライターはじめの一歩」を書いてみたものの、なんだかしっくりこないので、同じ内容を令和(2020年)の私が、平成(1998年)の私にインタビューするQ&A形式で書き直してみました。一人称で書いたものとQ&A形式で書いたものとの違いを楽しんでもらえたらと思います。
*私のWebサイトはコチラ→ http://www.opato.info

Q:(令和川野)
現在、複業スタイルでお仕事をされている川野さんですが、最初のお仕事は取材原稿だったそうですね。どのようなお仕事でスタートされたのでしょうか? 

A:(平成川野)

ライター仕事のスタートは、大手新聞の販売店が立ち上げた地元密着型のミニコミ誌で、主婦層に向けて、同じ目線の主婦ライターが取材して情報を届けるというものでした。その地域に住んでいるからこそわかる公共サービスやイベント、話題のお店などを取材し紹介するというのが特徴でした。

Q:どんな経緯で決まったんですか?
A:随分前のことなので記憶が曖昧なのですが……。新聞の折り込みチラシでライターの募集を知ったのだと思います。書類審査があって、原稿用紙2枚に身の回りであったできごとを書いて応募しました。採用人数が30名と多かったこともあったのでしょう。合格して、1998年10月にライターの活動がスタートしました。

Q:お仕事の条件はいかがでしたか?
A:報酬は固定で5,000円でした。月に1本原稿を提出すれば、掲載されてもされなくても支払われるのという太っ腹な(笑)条件です。しかも、地元の情報を紹介するので、取材は自転車で回れる範囲でいいし、ライターの経験がなくてもいい。今の時代はみかけない条件です(笑)

Q:その頃、川野さんは子育て真っ最中の専業主婦だったとか……。
A:そうです。当時は長女が6歳で次女が4歳でした。夫はときどき夜勤もして頑張っていましたが、マンションのローンと二人分の幼稚園の月謝で家計はキツキツの状態でした。なので、経験ゼロでよくて、取材ができて原稿が活字になって5,000円!がもらえるなんて、まさに私のためのお仕事と思いました。

Q:取材にあたり編集部のフォローやサポートはありましたか?
A:これも記憶が曖昧なのですが、最初の顔合わせのときに、編集部による説明会があったのだと思います。アポの取り方や原稿の文字数やルールなどを教えてもらったのだと思います。だから、迷わずにできたのかと。編集部の方にも恵まれました。

Q:ところで、最初の取材先はどのようなところでしたか?
A:沢庵漬けを専門に作っている漬け物屋さんです。母の知り合いで、地元の強さですね。その年に漬けた沢庵漬けの出荷が始まるタイミングでの取材だったので先方も喜んでくれました。

Q:初めての取材原稿が掲載されたときの感想は?
A:
原稿は翌月(12月)のミニコミ誌の裏表紙に掲載されました。前の晩からドキドキして眠れないくらい(笑)本当に嬉しかったです。ここから始まる!と思いました。漬け物屋さんにもミニコミ誌を見た人から何件も問い合わせがあって。それも嬉しかったですね。

Q:このお仕事は川野さんの原点なのですね。最後にミニコミ誌の仕事を通して学んだことなどありましたら教えてください。
A:
この仕事では、文末に「あなたはどう思いますか?」という投げかけは厳禁でした。最後の部分を相手に委ねてはいけないという編集長のポリシーです。これは、20年以上たった今でも守っています。

■令和川野
次回は、ミニコミ誌での印象的だった取材を中心にお聞きする予定です。
次回もお楽しみに!

お仕事図解0620


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