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この国の片隅で、ふと誰かが言った、、、

「こんな国、モヒカンになっちまえば!…いいんだなぁ…みつを」


わけしれずとも、その波紋は全国津々浦々に波及した。いわゆるひとつのバタフライエフェクト(違ったっけ?)というやつである、「なっちまえば!…いいんだなあ」という投げやりかつみつを的な後半失速した感のある希望は多くの人に触れるうち、曲解されたむきもあるが、この誰かが言ったことの葉は、とにかく集団深層心理の表出なのだ、飛べないカナリヤの戯言でおさまればまだよかった、そいつは皮肉にも「芯を食う」一言だったのだ。訳知り顔の識者は反論を用意する、そして言うだろう、流行はマーケティングにより操作?されている?ならば、なぜ、マックの店員はモヒカンではない?およそ、的外れの議論となるだろうし、つくづくほうし。すいちょんすいちょん

そんなこんなで機は熟したとばかり、いままでどこにいたんだという激渋なモヒカンたちが街に集まりだす、さあ兄弟、世直しの号令だ、わかってはいるが、いつも「はじめ」が一番ワクワクするんだぜい

なんやかんやあって、「国民総モヒカン法案」は可決され、晴れて、モヒカンが市民権いや国民の義務となる日がやってきた、筆者?もちろん、いまもモヒカンでこの文を書いている。



慌ただしい、そしておびただしい生活の激変


2019年7月19日、モヒカン促進day施行

多くの国民が床屋と美容室に長蛇の列を作った、postモダンの脱却、戦後レジームの終焉の日、もしくはmakeモヒカン時代の幕開けの輝かしい元日、である。

社会学者のシュミレーションはほとんど杞憂に終わった、なんの抵抗運動もなくつつがなくその日を終える事ができた、紳士淑女、おじいさん、おばあさん、主婦、サラリーマン、大学生、高校生、はたまた幼稚園児まで、全員が「モヒカン」となるのである、資本主義社会を根底から覆す、そんな究極の記念日だったのである。




「モヒカン」…ソレはどんな効果をもたらしたのか?


数字が物語ることと言えば、モヒカン施行日から、およそ3か月は自殺率が跳ね上がった、その結果を重く見る向きもあったが、その声をあげるものもすでにモヒカンであったため、説得力を欠いていた。あと、施行3か月後以降、驚くべきことに自殺率は限りなく0になった事実もモヒカン継続説を後押しした。

いじめも、パワハラも、セクハラも、あらゆる腐ったことがなくなった、すべてがバカバカしくおもえてくるようになったのは予想外の出来事であった。いじめるものもモヒカンであり、かついじめられるものもまたモヒカンであるのだ、そりゃバカバカしくもなる。ネットに動画を上げる気力すらなくなる、また、眉をひそめ、いじめはよくないと言う大人たちもみな…モヒカンなんだ、どうだい?

また、SNS上でもその効果は実に顕著にあらわれた、例えば、毎日、同じアカウントに粘着しては、クソリプをなげつづけるもの、いわゆる「常習者」がいた。モヒカン施行初日はおそらくいつもの習性で「〇〇、モヒカンでやんの、ざまあ!」など、クソリプを投げ込む通常運転していたのだが、満を持しての「おまえもな」の返しに閉口、みずからもモヒカンである事実を受け入れざるを得なくなったのか、粘着行動のバカらしさに気づいて、アカウントはそれ以降沈黙を保持している。思った以上にその効果は絶大であった。


他のSNSでも、毎日、毎時間、どッろどろの恋愛相手にむけて、恋文を発表していた、いわゆるメンヘラ的アカウントも、「なんかモヒカンになってから、気持ちが、のらない、彼ぴっぴも、モヒカンだし、さ、なんか違うかなって思いはじめてる、はいりこめないんだよね、、今思い浮かんだ言葉、馬糞ウニ、」とかなりの恋愛至上主義の価値の大転換を見せている、今後作風も元モリ(元気モリモリの略)でモヒカンちっくに変わっていくようになるのだろう。


なにより国民の生活設計を大幅にぶっこわしたのがデカい。あとなぜか国民の生命力がupした。

国民は寝るとき以外、自分も周りもモヒカンである事実に苦笑せざるを得なくなった、インスタグラムは壊滅し、美容整形もやる必要がなくなった、なぜかって?モヒカンだから。かわいいって言ってくる人もまたモヒカンなんです、。タクマシックスってな感じ。

一方、では野蛮なことはどうだろうか?コンビニ強盗はどうだろうか?銀行強盗はどうだろうか?

これらもほぼ皆無になった、なぜかって?モヒカンのコンビニ店員である、なにするかわからないじゃないですか、モヒカンの銀行員ですよ、一番キレると思いますよ。モヒカンであることですでにイッコ乗ってるわけ。

「表面上の犯罪がなくなっただけで、本当の犯罪は地下に埋もれる」と警笛を鳴らす、犯罪学の権威がテレビでコメントするのだが、その学者もモヒカンなのである、まるで説得りょくがない。

うつ病患者は減ったどころの話ではなくなった、元気にモヒカンライフを楽しみ始めている、「皆の目が怖い、と思ったがよく見りゃみんなもモヒカンで、なんだバカ野郎ってな気分っす」元うつ病患者のKさんはこう話す。

公園デビューにおじけづいていた新米ママのHさんは、モヒカン施行後、意を決して公園に向かった、するとどうだろうあんなに怖かった公園の重鎮ママたちの威厳は、まったくなし、そこにはただの6人のモヒカンママがいるだけなのである。その日のうちに打ち解けたのは言うまでもない。「モヒカンってスゴイ!」とHさんはモヒカンを立てながら我々取材陣に話してくれた。


かつてえらいひとは言った「我もひとなり、彼もひとなり」、と。

そう、賢明なる読者のみなさんはもう、お気づきですね?

そう、”ひと”を”モヒカン””に変えて読んでみてください。ほら、ね?




壮大なる社会実験精神の幕開けである!なあ兄弟!さあさあ!わきたつか?血潮!あの逞しい、朝日を、一身に受けて、さあさあ!いまだいまだよ!





了(唐突な終わり)




という極めて雑な夢を見た、そうさ、いつだって、おれたっちは、





















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