見出し画像

対話の魔法:オープンダイアローグが変える、豊かな人間関係と働きやすい職場

はじめに

 昨年、私は「対話のまちづくりコーディネーター(全6回)」という渋谷区民講座で、初めて「オープンダイアローグ」という言葉を知った。

 1982年、フィンランドのケロプダス病院で、精神疾患の治療で用いられた営みを、オープンダイアローグ、と言う。講座にはそれを知る人や、実践者が、何人かいた。

衝撃の体験


オープンダイアローグは、開かれた対話、と訳す。

 日常で意識せず使う言葉のやりとりが、オープンダイアローグにのせてやってみるようになると、つぼみが徐々に花弁を開かせていくように、心や言葉が変化していく。それは、まるで水たまりに、一滴の雫が落ちたように、言葉の波紋が広がって、周囲に影響を及ぼす美しい景色のようだ。

 私は、その変化を目の当たりにして、雷に打たれたように、強い衝撃を受けた。
 
  私たちの生活は、会話だらけだ。
なのに、なんだろう、この感覚は。新しくて、瑞々しい。

 誰かにじっくり話を聞いてもらうのは、なんて心地よいのだろう。
そして、誰かの話を黙ってじっと聞くことは、どうしてこんなに難しく、疲れるのか。


 講義を聞くうちに、講師の森川すいめい氏(オープンダイアローグトレーナー、精神科医)が、なぜ一般市民にオープンダイアローグのやり方を懸命に伝えるのかを理解した。
 精神医療の疾患に対処する形で生まれたオープンダイアローグだが、「開かれた対話」は、特別な場所だけで使える対話ではない。あなたも知ってほしい。そして、身近なところで、実践してほしい。そして、他者と関わりあって、日本の社会をより良くしてほしい。そんなメッセージに違いなかった。

オープンダイアローグ実践への道


 感動した私は、彼を支援したいと考えた。具体的に何ができるか。考え始めると、心の中で、猛反発する自分がいる。

 なぜなら、この実践は、膨大な時間を要する。ゆったりとした時間は、私にないし、そもそも職場は効率的かつスピーディーさが求められる。

 もし、これを本気で実践したいと願うなら、私は会社を辞めて、大学に入り直し、カウンセラーか医師へ転向するしか、選択肢がない気がした。だが、私が現役で働ける時間はもう、わずかだ。



だとすれば、実践するなら、職場か?
だが、それは、遠い夢だ。

エレベーターピッチ、という言葉がある。エレベーターに乗っている間に、相手に自分の考えを伝え、即座に理解してもらう。米ドラマの「SUIT/スーツ」みたいに、有能な弁護士が移動中に素早く相手に交渉する、そんなシーンが職場にはよく似合う。


 だが、考えた。これは、とってもいい。私たちの生活に、ぜひ取り入れてみたい。

職場での可能性

 この手法を習った当時、私は自分のチームに悩んでいた。うまく廻っていないと感じていたし、上司との関係も良いとは言えなかった。特に、繰り返し行われるチーム会議にはウンザリしていた。
 何度、会議を重ねても、会話は平行線を描き、徒労感だけが残っていた。

 もしここに、オープンダイアローグがあったなら、何かが変わったんじゃないか。次第に、私は自らの土俵で、オープンダイアローグをどうやって展開できるか、懸命に考えるようになった。

分かり合えない他者は世の中にごまんといる。
分かり合いたいのに、相手を嫌いになっていく。
信じあいたいのに、相手を信じられなくなっていく。


家庭、近所、学校、病院、職場、公共の場で、そんな現象は山ほどある。



Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree.(ドイツの宗教家、マルティンルター)

「たとえ世界が明日滅びるとしても、私は今日リンゴの木を植える。」

オープンダイアローグがあれば、世界はよくなるとは言わないが、今より少し何かが変わる可能性を秘めている。

このnoteでは、オープンダイアローグについて学んだことや有識者らとの意見交換を通じて、職場を良くするアイディアを共有し、未来に向けた展望を考えていきたい。

by桜子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?