子供を殴っていたのは私だった

その人は殴っていた
子供を、旦那を。

私の目の前で。



人は強烈な体験のあとに
自らを顧みる



忘れもしない2017年9月の晴れた日だった。

娘の腎盂腎炎という病氣の検査入院で小児病棟にいた。




救急病院だったためか
流行りのRSウイルスや
ケガの治療で小児病棟のベッドは
子供たちで埋め尽くされていた。


親は片時も離れず、
小さなベッドで24時間
子供のお世話をしなければならない。




6台のベッドがある私達の部屋には
12人の親子がカーテン越しに
入院生活を送っていた。



私達親子のベッドの前には
おそらく3歳くらいの男の子と
ママがいた。




ママはどうみてもヤンキーだ。


「はよ、食べんね!」
まだ3歳の息子の口の中に
スプーンを押し込む。

言葉使いも荒い。




日中は、面会が許されるので
ヤンキーママの旦那と
子供の兄弟3人が来ていた。

3人は中学~高校生くらいだ。


''ドンッ!''
''ガタッ!''


「痛ってぇ」

「お前らが悪いんだろ」

「おい、叩くなよ」

「なんでママは殴るの?」

「うるせぇな、黙れ」


''ゴンッ!''

''バンッ!''




私の心臓は爆発しそうだった。




目の前のカーテンは
締め切られている。



でも、見なくてもわかる。



人を殴る音を
あんなにはっきり聞いたことはなかった。


私は手が震えて
血の氣が引いて倒れそうだった。



娘はそんなことお構いなく
遊びに夢中だ。

私は目の前のカーテンの中で起こっていることが氣になってしょうがない。



「この男がわりぃんだよ」

「......」


「てめぇ何とか言え」

''ゴンッ!''


「いや、俺は...」

どうやら、旦那の方が
何かしてしまったらしい。





そのあと、殴る音や
蹴る音が続いて

ヤンキーママの怒鳴り声まで聞こえてきた。


3兄弟も殴られ
言葉にならない「音」を出していた。




ついに入院していた3歳の息子は泣き出し、兄弟の誰かが


「ママ、やめて」

「お願い、殴らないで」

と言い出した。





そんな地獄の中で
3歳の息子は

ベッドにいるヤンキーママから離れ
旦那の方に行きたがっているようだった。

当然だ、ママが怖いのだから。




どうにも収集がつかないところで
ヤンキーママが3歳児に

「ママはいらないの?!」
と怒鳴りながら聞いた。




3歳児は「パパがいい」と言った。





その瞬間

''バシっ!''と殴る音が聞こえ

そこにいた家族全員が
「やめて!」と叫んだ。



3歳児の狂ったような泣き声が聞こえる。




目の前で繰り広げられる虐待に
私も、もう吐きそうだった。






ヤンキーママがカーテンを勢いよく開けて、飛び出していった。


音と想像でしかなかった惨劇は
私の前に現実として開かれた。


一瞬目に入ったその家族たちの表情は、私の想像したものと同じだった。






夜になり、目の前のベッドには
パパと息子が寝ていた。

ヤンキーママは帰ってこないらしい。





夜中、何度も何度も
3歳の息子は発作を起こした。



見るに堪えないほどの
酷い発作だった。

血を吐き
おそらく呼吸困難にまで
病状は悪化していた。


幾度となくナースコールが
旦那の手によって押され

先生と看護師たちが
夜中じゅう忙しくその子に
処置を施していた。






私はほとんど眠れずに
次の朝、ベッドの移動を申し出た。


小児病棟の部屋の空きはなく
ほとんど全て埋まっていたが
あと数時間待てば
ひとつだけ空くというので

私はなるべく部屋にもどらずに
娘と待合室で時間を潰した。



数時間たって、
私たちはとても穏やかな
空氣の流れる部屋に移動した。



部屋を出る時、
あのヤンキーママと1度だけ
すれ違った。


息子の発作が酷いので
また、戻ってきたようだ。






それからは、どうなったか知らない。




部屋の移動を申し出た時
看護師さんに「虐待をしている」「子供が心配だ」と伝えた。



でも、それからは
どうなったか知らない。



この強烈な出来事は、
私にとっておそらく

一生忘れない出来事であることに間違いない。




殴っていたのは私だった。





一生忘れられないのは
私が同じことをしていたからだ。


あのヤンキーママのように
激しく殴るわけではない。


私は娘の心を殴っていたのだ。



壮絶な難産で
産後の体調不良と
ワンオペ育児&仕事により
精神状態が崩壊して

自分の娘を可愛いと思えなかった。



毎日ヘトヘトで
頭痛や目眩に悩まされ
産後まだ2ヶ月というのに
体を酷使し

育児どころではなかったのだ。



助けを求めるほど
私の弱さをさらけ出す
勇氣はなかった。


どんどん追い詰められ
誰も見ていない
暗い部屋で

赤ちゃんだった娘は放置された。



私は呆然と
暗闇を見つめ

涙を流していた。




母親としてどう見られるか?
完璧か?を常に意識し

娘が言うことを聞かなければ
罵声を浴びせた。



「これじゃダメだ」
そう思っていた。


私は、私ではなくなっていた。



息子が生まれ、

娘が言葉を理解出来るようになってから少しでも反抗し始めると
力ずくで押さえつけた。


娘の頭を床に押し付け、
鼓膜が破れるかというほど
娘の耳元で私は絶叫した。


「なんで、片付けないの?!」

「なんで、早く食べないの?!」


となりで、1歳の息子が
娘から私を引き離そうとしていたけれど、

その力は無く
泣きじゃくっていた。



狂った母親だった。





その数カ月後に
娘は入院した。


そして、その病院で先程のヤンキーママと出会った。


とても不思議なことに
ヤンキーママの虐待事件のあと、
私は「宇宙の法則」と出会う。


まさに、
移動した部屋のベッドの上で
私は「宇宙の法則」を
スマホで検索していたのだ。



宇宙の法則=自分が出したものが返ってくる

鏡のように、自分に戻ってくる。




私は強烈に、
宇宙の法則を体験していた。



この日を境に、私は
「自分を生きる」ことを
実践し始めた。


そして、今
私は以前の私とは
別人になった。


いや、奥底にはまだ
あの時の狂氣はある。


だけれど、
それさえ愛している。


必死に生きた「悪魔のような私」を抱きしめて、頭を撫でた。


「ずっと、そうして欲しかったんだ」と小さな私は泣いていた。



あのヤンキーママは、
私が創り出したものだ。


実在するし
ほんとうの現実として
いたわけだけど

私の鏡として
彼女は私の前に現れた。



彼女がいなければ
今の私はいない。



人は強烈な体験の後に
自分を顧みる。



実は自分の鏡として
自らの現実を創っていて

その根底にあるものと
向き合えたときに
氣づきを得ることができる。


「氣になる事」は、
その根底に向き合うべき
課題がある

スルーすることはできるけれど
同じことが繰り返されるのは
まだ向き合えていないということ。




ゆっくりでもいい、
ほんとうの自分を生きよう。





一緒に、ね。

超難産から産後鬱になり
自分の人生をもう一度生き直した
私のストーリー。

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Tomo

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