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不合格なら具体的にどこがダメだったのか、どうしたら良くなるのかを提議しない世界は優しくない

今日、全国フードチェーン店の料理を超一流シェフが合格か不合格かをジャッジする番組を観た。



そこで氣になったのが、
合格を出したシェフのコメントは流されるのに

不合格を出したシェフの
「どこがダメだったのか?」
というコメントは流れないことだ。



(もしかして、そのコメントは撮られていて時間の都合上端折っているのかもしれないけれど)

不合格のコメントを見せないのは、
優しくない。




不合格なら不合格で、

''どこがダメで、どうしたら良くなるのか?''を
提議してほしい。

むしろ、フードチェーン店側もそれが知りたいだろう。




今、ネット上も現実もこの2極化ジャッジで溢れている

アートでさえ、
合格か不合格かをジャッジされる時代だ。




合格か不合格か、で言うなら
「私」は不合格だ。




数年前の産後うつの時
子供や夫さえ、
いらないと思っていた。


体調不良に悩まされながら
産後すぐの仕事復帰、
上手くいかない育児と頑張りすぎる性格


子供、夫、仕事に
恵まれていながら
ぜんぜん幸せじゃない私。





恵まれていても
子育てで感じるであろう
一瞬の幸せすら皆無だった。




自分のことを考える余裕すらなく
押し寄せる休む暇のない育児と仕事


誰にも相談出来ずに、
やがてそのイライラは
一番近い「家族」に向いていく。




夫に当たり散らし、
子供を怒鳴りつけ
発狂し叫び続け

死んだように眠り
少しの静寂のあと
ゾンビのように起きる。


毎日がその繰り返しだ。


家族だって、
そんな母(妻)がいるこの家は
地獄だっただろう。





私は「家族」を有するものとして
不合格だった。




世間からみた不合格の私が、
いま子供達を愛し
一瞬の幸せを愛でるようになれたのは

政治が変わったからか?
社会システムが変わったからか?







''家族''という形をつくれずに
世間からこぼれ落ちた不合格者でも

「なぜこうなったのか」
「どうしたら良くなるのか」
「今できることは何か」

を一生懸命考え
自分と向き合い寄り添うことで
もう一度 ''家族'' をつくることはできる。



世間から見たら不合格かもしれないけれど、
それ自体に価値がないわけではない。


合格と不合格の2極化ジャッジにあふれ、
何の提案もなく不合格のまま捨てられていく世界には未来がない。


そんな世界は、優しくない。




これからは、ジャッジだけでなく
それぞれの観点でどうしたら良くなるかを
議論できるような寛容さが求められる。

人同士も、国同士もだ。



そんな優しい世界に、
子供たちと住みたい。





娘はいつも、私に
「こうしてくれると嬉しいよ」と提案してくれる優しい子だ。

こんな私をサポートするなんて、そんな変態な人がいるのですかっ?!