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《生存者》の声はサバイバーに届く




あなたは、興味があるか?

【8月15日終戦記念日】という日に。



興味がなくても責めることはできない。




戦後74年となり、
当時の様子を語る人達も少なくなった。


そして、日本という国自体も
興味があるのかないのか
政治的な思惑があるとかないとか

昔ほどテレビで戦争の特集や
反戦アニメ映画もやっていないように感じる。

それよりも、相変わらず
芸能人の結婚やスキャンダル
お隣の国との終わりなき論争ばかり。



それに反して、「戦争を体験していない」私たちが今後平和な日本を作っていけるのか?という危機感も、年々高まっているように感じる。



とはいえ、私は戦争の記事ばかりを見ている。


きちんと、生存者たちの記憶は「私」には伝え継がれている。



そんな私が考えるに、
戦争というものを今の若者が ''想像できない''のは当たり前だとおもう。

生まれた時からスマホがあって、
24時間いつでも冷えたアイスと温かい揚げ物が食べられて、足を動かさず言葉を発さずとも友達の動向が知れて、買い物が出来て、全世界の音楽が聴ける。


そんな時代しか知らない子供たちに、上官から命令されて玉砕を余儀なくされた同年代の青年の氣持ちを想像させるほうが無理な話だ。


彼らがどんな部屋で寝て
どんな物を食べていたか
どんな会話で笑っていたか

そんな肌感覚さえ想像し難い。




かたりべの減少はもちろんだが、
今の時代との生活感の違いは
戦争への関心が薄れる要因でもあるだろう。




生存者の声が響くのは
あなたがサバイバーだからだ



私は戦争体験や生存者の話に
とても興味がある。


残酷な運命と想像し難いほどの混乱の境地において、人間はどのような心境になるのか、どうやって乗り越えるのか、を知りたいと思う。



それは、私が「産後うつサバイバー」だということが一理ある。



もう何もかも終わってしまいたい、
という地獄の日々があった。

死んだように生きた日があった。



戦争体験を語るとき、そこにある死生観や感性・人間の欲深さを感じることがある。


出来事は別であっても「生きる」ことをサバイブしてきた同士として、その共通言語的な感性は奥底で繋がるような氣がするのだ。




私が戦争体験を意識するように、


戦争を知らない若者たちは
''現代のサバイバー(生存者)''たちの体験を
意識している




毒親サバイバー
虐待サバイバー
カーストサバイバー
癌サバイバー
性的搾取サバイバー
社畜サバイバー



日本は
世界大戦のような戦争状態になくとも、
サバイバーで溢れている。


Twitterを開けば、
少数派や民族ヘイト、
格差社会への警笛、
性的搾取や学校・ママカースト...

それと同時に
動物の可愛い動画
最先端技術の
目を見張るようなAI世界

秒単位で変わるタイムラインに
現代のサバイバーたちは生きている。




私は「戦争」サバイバーの言葉を胸に刻み、産後うつサバイバーとして記事を書く。

その記事を読んだサバイバー達が、またサバイバー記事を書く、かもしれない。


そうやって「生存者たち」が、言葉を紡いで次のサバイバーの心を動かす。



「自分の命をたいせつに」

74年前のサバイバーたちの言葉は、
消されているだろうか?



私は、''74年経っても''
必要な人に届いていると思う。


まだ足りないとか、
みんなが知るべきとか、


同じことを私も思うよ。





だが、
それぞれの時代に一生懸命「生きた」言葉は必ず誰かに届く。




この日に思うのは、
今日も私たちは一生懸命に生きていることだ。



こんな私をサポートするなんて、そんな変態な人がいるのですかっ?!