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赤ちゃんという名の『異物』

超難産から産後鬱になり
自分の人生をもう一度生き直した
私のストーリーの続きです。

★まずはコチラをお読みください
【娘は生まれ、私は死んだ】

生まれたばかりの赤ちゃんを
病室の窓から投げ捨てようとしていた私は、

数ヶ月経っても
見慣れた自宅の階段を見つめ
「ここから落としたらどうなるだろう」とボヤいていた。


私にとって【赤ちゃん】とは
乳を吸い
糞尿を垂れ流し
泣きわめく

【異物】でしかなかった。




その小さな温かさも
柔らかなほっぺも
幸せの象徴ではなかった。




唯一の ''母性'' というべき乳首からは血が流れ
昼夜を問わない3時間毎の授乳が拷問だった。


難産による体のダメージは
想像以上に激しく
立ちくらみや目眩
頭痛と倦怠感

トイレさえ傷跡が痛くて
毎回10分以上汗だくになりながら
用を足していた。



可愛い赤ちゃん
可愛くない赤ちゃん




Facebookの中では、同じ月齢の赤ちゃんを幸せそうに抱く同級生が微笑んでいる。



なんでそんなに嬉しいのか分からない。
たいして可愛い顔した赤ちゃんでもないのに。


それなのに、
'' 可愛い ''のか?


私の「赤ちゃん」は、
'' 可愛い ''のに可愛いくない。





40時間に及ぶ壮絶な出産を経た私は、
体の回復を待たず
2ヶ月半で仕事に復帰した。


「私なんて産後2ヶ月で出張行ったんだから」と、
スーパーウーマンの母の言葉に
''ママの体のためにゆっくり休む''
なんて概念は葬り去られた。



もちろん、体はボロボロだった。

ボロボロと言うより
生きてることが不思議だった。




基本的にワンオペ育児である。
夫は朝早く、帰りは遅い。
手伝って欲しい実母は
「赤ちゃん」にはあまり興味がない。




ゆっくり座る暇もなく
仕事に忙殺され、
ヘトヘトになった帰りみち
乳児保育士さんのお家へ寄り
「赤ちゃん」をお迎えして

買い物を済ませ
帰宅し家事や料理をしながら
「赤ちゃん」のお世話をする





ずいぶん前から体は
悲鳴をあげていた。


繰り返す副鼻腔炎や
急性胃腸炎、
突発性難聴

医師からは「これ以上出せないよ」と言われるほど
抗生物質を飲んでいた。





それでも私は
ストイックだった。

というよりも、
私という「人間」を虐待していた。


いつでも言えたはずだ。


「助けて」と。







私の住んでる市では、
出産すると保健師さんが
定期的に家庭訪問してくる。



私は常にお家を綺麗にして
お客様にはお茶菓子を用意し
聞かれる質問には「笑顔」で応えた。



幸せという見せかけ




『幸せですね』保健師の女性が言った。


たまらなく嬉しかった。





そう、私は幸せなの。


見て、私の可愛い赤ちゃんを。

充実した仕事をもち
夫も優しく育児もしてくれる
実母も赤ちゃんを可愛いって....





幸せなんて、
ちょろいもんだ。



簡単につくれる。







産後すぐに出張に行った母より
私はゆっくりさせてもらった。


おばあちゃんなんて
田んぼで出産して
そのあと休まず働いたんだもん。

私の方が恵まれている、
幸せだ。


Facebookの中の友達より
私の赤ちゃんのほうが可愛い。


私の方が幸せだ。



夫は優しい、育児の時間はほとんどないけど友人のダンナのように暴力をふるう夫よりよっぽどいい。


私の方が幸せだ。




私の方が幸せ、と
常に他人と比べてきた。


私は恵まれている、
私は幸せだ。






「助けて」なんて
被害者ぶったコトバを
言えるはずがない。


「お前は幸せなんだから」と
小さな檻に自分を入れて
声をあげようものなら
殴りつけた。




難産で体がボロボロでも
赤ちゃんが可愛いと思えなくても
仕事と子育てで死んだように生きていても

私は幸せなんだから、と
虚構で作られた檻の中で
小さく息をしていた。




自分への虐待が日常になった私は
正常な判断が出来なくなっていた。


当然、モヤモヤしたストレスの矛先は可愛いはずの「赤ちゃん」に向いていく。







超難産から産後鬱になり
自分の人生をもう一度生き直した
私のストーリーの続きは

また書きます。


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